いろいろあって、熱を出しました。
隔日更新です。どこまで続くかしら。
頑張ります。
そこから、いつの間にバステト邸に帰ったのか、記憶は定かではない。
気づいたときには森を抜けて、街灯の灯った街に入っていた。
バステト邸に着いた時には、完全に日が暮れていて、帰りの遅い私たちを心配したエリーゼさんが、玄関まで出迎えに来てくれていた。
心配気な顔で何か私に話しかけてきた。けれど反応のない私に、何かあったのかとダンテさんに聞いていた。
そんな景色を、ぼんやりと眺めている。
なんだか、一枚ガラスを隔てた別世界を眺めているような、ふわふわとした現実感のなさ。音もよく聞こえない。
クロに促されて馬車を降りるときに、ダンテさんが手を貸してくれようとしたけど、体が竦んで、馬車から降りることが出来なくなってしまった。
それに気づいたのか、ダンテさんが気まずげに手を引き、数歩後ずさる。
そのときのダンテさんの表情に、申し訳ないとも思ったけど、今の私には別世界の出来事のようにも感じられて、何も言わなかった。
一連の出来事から、明らかに私の様子がおかしいと思ったエリーゼさんは、それ以上何も言わずに、私を部屋まで連れて行ってくれた。
それからの数日間、40度近い高熱を出した。
夢と現の狭間でうつらうつらしていると、時々、昔のことを思い出した。
新型インフルエンザで、今と同じように高熱を出していた時だ。
その時は、今ほど意識は朦朧としていなかったけど、体がだるすぎて数日間ベッドの住人になっていた。
そしてその間、ずっとクロが一緒に寝ていた。
あの子は昔から、私が熱を出すと何をするでもなく、ずっと一緒に寝ていた。
時々、私の寝相の関係で、足の下に潰していて抗議されたこともあったけど、いなくなることはなかった。
私の体温が高いから、暖を求めてきているだけなのはわかっていたけれど、とてもうれしかった。
瞼の裏にちらちらと光が散って、意識が浮上する。
目を開けてみると、繊細な紗のカーテンが開いた窓から入る風に揺られて、ひらひらしていた。
いまだ体調は戻っていないらしく、相変わらず鉛のように重い。まぁ、現実に鉛なんて持ったことないけど。
自分でも熱を持っているとわかる溜息をついて、だるい体をもぞもぞと起こす。寝っぱなしというもの、疲れるのだ。
と、掛蒲団の一部に何かおもりが乗っているのか、つんと引っ張られる。
視線を落とせば、底にはネコ耳付きの小さな黒い頭が、こちらに顔を向けて突っ伏していた。いつものくるくると動く萌黄の瞳は瞼の裏に隠されて、くうくうと子供らしく寝息を立てている。
そういや、ネコの時もこれくらいの大きさで寝息立ててたな。
手を伸ばして、起こさないように頭をなでる。
サラサラとした髪は猫っ毛で、ネコのときと同じ手触りをしている。
けれど、伝わってくる感触は、間違ってもネコの頭の形ではなく、人間のもの。
そう、クロは間違ってもネコではない。
そして、人間でもない。
ここは魔界なのだから。
風景があまりにも長閑だったし、今まで出会った人々が、多少違和感はあっても人間っぽい形をしていた上に、みんな優しかった。
あの傲慢そうな魔王様でさえ、今考えれば優しかったのだ。敬う仕草をかけらもしない(敬語は使ったけど)、まともな受け答えもしない娘なんて、本当に傲慢な貴族なら下手したら無礼討ちされる(と、思うたぶん)。
だから忘れていたのだ。ここが、私のいた世界ではないことも。彼らが、「魔界の住人」であることも。
さわさわとクロをなで続けていると、クロが目を覚ましたらしい。
起き上がって、こしこしと目元をこすっている。
その仕草が、あまりにもネコっぽくて、思わず笑ってしまう。「魔界の住人」だなんて、嘘のようだ。
「おはよう、くーちゃん」
くわっとあくびしたクロに、起床の挨拶をする。
その声に驚いたのか、びくっとして、私を見る。しばらく私の顔をしげしげと眺めてから、ほっとしたような顔をした。
「よかった。ちょっとは元気になったみたいだ」
「うん、もうだいぶ元気」
微笑み返すと、クロは少し悲しそうな顔をした。
「リサ、ごめん。オレが湖に行きたいって言ったから、あんなことになって」
しゅんとした顔で、膝に乗せた小さなこぶしを握り締める。
小さな体が、責任感で押しつぶされそうになりながらも、それに負けないようにと踏ん張っている。
そっとクロの頭に手を乗せる。いつものように、撫でまわしたりはしないけど。
それでも、私の気持ちは伝わったようで、クロは顔を上げてくれる。
「私こそごめん。みんなが優しいから、甘えてたんだよね。危機感が足りなかった」
そう、ここは、深夜に女一人でコンビニに出かけられるような安全な世界ではない。
いくら道が整備されているとはいえ、普段は人の入らない森に、夜になって入れば、野性の動物に襲われても文句はいえない。
「でも、怖かっただろ。熱まで出したんだし」
「確かに怖かったけど、熱を出した原因はそれだけとは限らないよ」
確かに怖かった。めちゃくちゃ怖かった。主に、ダンテさんが。
あんな問答無用な力を持った生き物を怖がらないなんて、できないと思う。
でも、少し考えればわかることだ。
彼なら、私を殺した上に、後始末をすることなんて簡単なことなのだ。それも、塵も残さないレベルで。
それを彼は一か月もしなかったのだ。今更、すると考えるのもどうかと思う。
たぶん、アルベルトさんも、エリーゼさんさえも、あれくらいの力は持っているんだろうし。
甘いと言われれば甘いのだが、どのみち、彼らがその気になったら、私には逃げる術はない(というか、あれから逃げられるとは思わない)のだから、そう考えておくほうが精神衛生上大変よろしい。
だから、それでいいことにする。
「そんなわけないだろ。他に、原因になりそうなことなんかなかったし」
ふ、甘いな、クロ。
私の虚弱体質を甘く見るなよ。
「クロ、私が中学のときに、お母さんと旅行言ったでしょ?」
単なる母の付き添いで行っただけなのだけど。
それはただの日帰りバスツアーだった。某洞穴ツアー付きの。
その洞穴は、船で行って、甲板から中を観察するというものだったのだけど、私ははしゃいで、ずっと甲板で海風に当たっていた。
そして翌日、思いっきり熱を出した。それはもう、盛大に。
似たようなことは、大学時代に友人と行った、某有名川下りや湖畔でのボート遊びに行ったときも起こった。
つまり。
「あの、湖畔でのボート含む水遊びが原因だと?」
「うん。あの事件がなくても、熱は出してた」
それはもう間違いなく。
そこに、あの衝撃の事件が起きて、多少ひどくはなったとは思うけど、そうそうクロの責任でもない。
すべては、私の虚弱体質にある。
「だけど、それならやっぱりオレのせいだ。ごめん」
私からの断言を聞いて、しばし呆然としていたけど、表情を改めて再度謝る。
別にいいのに。
感じる必要のない責任を感じて、悔しそうなクロに、私はしょうがないなぁ、と思う。
クロもやっぱり、男の子なのだな。
「ねぇ、クロ。それなら、私のお願い聞いてくれる?」
「オレができることなら、いいぞ」
微笑ましく感じながらも、そのままでは可哀想なので、その責任感を軽くするために、お願いをすることにする。
償いをすると、人間、罪の意識は軽くなるものなのだ。
「クロにもさ、ダンテさんみたいな、怖いほうの姿ってあるんでしょ?それ見せて」
そう、ちょっと前に、アルベルトさんに聞いたんだけど、人型になれる魔族というのは、三つの姿を持っているらしい。
一つは人型。この姿の時には言葉がしゃべれて他種族とも意志疎通が図れるらしい。
もう一つは小型。クロがうちにいたときに取っていた姿だ。この姿の時には魔力は一切使えない。
そして最後に、魔獣型。これが本来の姿らしい。魔獣本来の姿で、持ちうる力のすべてが使える。
しかし、そんな姿で街中を歩かれると危険なので、街の中でこの魔獣型を取ることは禁止されている。小型では意思疎通もできない種族があるし、全く魔力が使えないのも困るので、集団で暮らすには、やはり人型が一番すぐれているらしく、街中には人型しかいない。
それに、人型を取れるということは、高位の魔力と知性が必要らしく、それだけで、高位魔族という印象を他の者に与えることが出来る、というメリットもあるので、基本的に人型が好まれるようだ。
「なんだって、そんなのみたいんだよ」
私のお願いに、クロは少し嫌そうだ。嫌、というか、困惑しているのか。
「うーん、深い意味はないけど。純粋に、クロの本当の姿ってどんななのかなと」
夢うつつであっても、私の部屋にダンテさんは姿を見せていないと思う。きっと私は、あの人を傷つけたのだ。
だから、もしいつか、クロの本当の姿を見て、怖がってしまわないように。クロを傷つけてしまわないように。
「個人宅の中で、こっそりやる分には黙認されるんでしょ?」
街中で魔獣型になるのは禁止はされているけど、個人宅で誰にも迷惑をかけない限りは、一応許されるそうだ。
「・・・・・・わかった」
少し悩んだみたいだけど、私のお願いは聞いてくれるらしい。
ちらっとだけ私を見て溜息をつくと、座っていたベッド脇の椅子から降りて、部屋の少し開けたところに行く。
しばらくすると、変身するとき特有の現象として、クロの輪郭がぼやけてくる。
真っ黒なそれは、少しづつ大きくなっていって、最後には、ライオンくらいの大きさになって、はっきりと姿が見えるようになった。
そこにいたのは、艶やかな漆黒の毛並みと、しなやかで力強い肉体を持つ、猫科の肉食獣だった。
百獣の王ライオンも真っ青な大きさに、凄まじい威圧感。
人間のような貧弱な生き物は、一瞬にして餌食にできると確信できる大きな口に、鋭い牙。
正直、心の準備をしていても、感じる恐怖はあった。
それでも、いつものクロの萌黄の瞳と目が合うと、そんなもの、どうでもよくなった。
その眼は、どこか悲しみと寂しさと、それから諦めを宿していたのだから。
「クロ?こっち来て」
気づいたら、クロを呼んでいた。
言葉が通じたのか、ネコ失格だと思っていたぱたぱたとなる足音は全くしない、野性の獣を思わせる歩き方で、少し離れていたクロがベッドに近づいてくる。
私の身長など軽く超える巨大な体を持った肉食獣が近づいてくるというのに、恐怖はどこにもなかった。
だって、クロだったから。
「触っていい?」
ベッドの縁まで来たクロの鼻先に、手を差し伸べる。
本当の肉食獣なら、パクリとやられてしまうけど。
クロはいつものように、鼻のあたりから下あごのあたりまで、私の手に擦り付けてくる。
濡れた鼻の感触が、いつも通り冷たいな、と思う。
そう、いつも通り。
「くーちゃん、ここ、おいで」
なんだかうれしくなって、クロから手を放した私は、ベッドに空きを作ってポンポンと叩きクロを呼ぶ。
向こうの世界にいたころ、よくやった動作。
それを見たクロは、一瞬目を見開いて(人間でいうとそんな感じ)、それから鼻で盛大な溜息をついた。
なんだかバカにされた気がしてむっとしていると、クロの輪郭がぼやけて、人型になる。
「そんなの、狭すぎるだろ」
呆れたように一言だけ言ってから、またクロの輪郭がぼやけた。
今度は、小型になったようだ。
ベッドの下から、ひょいっと飛び乗って来て、私の開けたスペースにくるりと丸くなる。
「・・・・・・一緒に、寝てくれるの?」
あまりの早業に呆けていると、何を言っているのだとばかりに、ちょっとだけ頭を上げて私に呆れた視線を向けると、また丸くなってしまった。
一緒に、寝てくれるということだろう。
「ありがと」
お礼とともにひと撫で。
返事は一度だけ動いたしっぽで返って来た。
そして私は、風邪を治すべく、クロとともに夢の世界へと旅立っていった。
3/29誤字・脱字訂正及び一人称統一。