【08】 憐憫
翌日、十二月二十三日
AM 10:30
真菜の入院する病院の病室のドアの前で、明は一つ大きく深呼吸をした。
手には、来る途中で買ってきた花束。
「女の子のお見舞い用に」と言って、花屋に適当に見繕って貰った。
ガーベラとかすみ草と、明自身には名前は分からないが、淡い色彩のピンクの花々の微かな甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
彼女は、喜んでくれるだろうか?
「この事件、お前が調べてみろ」
山城デスクの厳命が下った。
助けた明なら証言を取りやすいと言う事なのだろうが、アルバイトの彼に任せるような仕事ではない。
今まで、資料整理や使いっ走りくらいしか仕事を任せて貰えなかっただけに、とうの明本人も不思議でならなかった。
「俺で、いいんですか?」
「勿論、担当記者は社員が付く、だがとにかくこの忙しさで手が回らん。とにかく、彼女の証言を取って来い。お前なら、面会が許されるかもしれん」
そう言って山城デスクは、ニッと含みのある笑みを浮かべた。
実際、デスクの読み通りだった。思いの外、すんなり病院の面会許可が下りたのだ。
『救急車を呼んで病院まで付き添った善意の第三者』が見舞いたいとの申し出を、真菜本人も拒むことはしなかった。
本来なら新聞社の人間が、記事を書く目的で「面会させてくれ」と言った所で、病院の許可は下りなかったはずだ。
勿論、新聞社の取材などとは一言も伝えてはいない。そのことに一抹の罪悪感を感じつつも、明は意を決して病室の白いドアをノックした。
「どうぞ」
ノックの後、数瞬の空白があり、思いの外しっかりとした声音の返事が返ってきた。
明は「失礼します」と声を掛けながら、病室のドアを開けた。
そして、目に飛び込んで来たその光景をきっとこの先忘れないだろうと思った。
白い病室の簡素なベットの上。
病院の青いストライプの手術着を纏った少女がぽつりと座っている。
まだ幼さの残る丸みを帯びた頬のラインと、対照的な身体の線の細さ。
セミロングの柔らかそうな癖のある黒髪。
無造作に後ろで一つに括られたその髪は、若さを象徴するように、窓からの日差しを浴びて、キラキラと光り輝いていた。
本来なら、黒目がちな大きなその瞳も、同じように生気にあふれ生き生きと光り輝いていたのだろう。
真菜は、何も見てはいなかった。
ただ、機械的にその瞳に映っているだけ――。
まるで全てを拒絶し、絶望だけをたたえたその暗い瞳の色を見たとき、明は、ここに来た事を心底後悔した。
「あの、俺は……」
思わず、言葉に詰まった。
何を言えばいいのか、分からなかった。何を言っても、真菜には慰めにすらならないだろう……。
遅かれ早かれ自分の素性はバレるだろうが、今、この状況で「事件の事を聞かせて下さい」とは、口が裂けても言える訳がなかった。
――デスク、恨みますよ。
明は心の中で、山城への恨み言を呟いた。
「明日は、クリスマス・イブですね……」
なぜこんな話をしたのか明自身でも分からないが、とにかく何か話さなければと、思い付くまま真菜に話し掛けた。
「……そうですね」
なんの感情も読みとれない抑揚のない声。
もしかしたら自分ははこの少女に、とんでもない苦痛を強いているのではないか? そんな考えが明の胸をよぎる。
所詮俺は、男。
彼女をこんな目に遭わせた奴らと、同じ側の性を持つ身なんだ。
苦い思いがこみ上げてくる。
「……なん……ない」
「は?」
掠れるような真菜の呟きを、聞き取れ無かった明は、思わず聞き返した。
「この世に、神様なんていない……。私は、信じない」
その声は決して、大きくも強くも無い。
だが、絶望に打ちひしがれた呟きに明は、返す言葉が見つからなかった。
小刻みに震えている、小さな華奢な肩。
その肩を、ただ突っ立って見詰める事しかできない自分の無力さを、明はかみしめていた。