【03】 悪夢の始まり
「もう、……帰るの?」
気だるげな美里の声が背後からかかり、ホテルの部屋を出ようとしていた明は、足を止めた。
「ああ。明日も、朝からバイトが入ってるから……」
気まずさで鼻をぽりぽり掻く明に美里は、「私も朝から仕事よ。バイト君」と苦笑いをする。
ベットを下りると、一糸まとわぬ見事な裸体を恥じる風でもなく、明の方に歩いて来る。
キュッとくびれたウエストと豊満で形のいい胸のラインが、薄暗い部屋の微かな明かりの下、艶めかしく浮かび上がる。
「酷い人ね。大事な上司を一人で、ホテルに置いて行こうなんて」
そう言って、明の首にしなやかな腕を回し、チュッと口付ける。
「美里さん、俺の上司じゃないし」
「バイト君は、みんなの部下なのよ」
「酷いな……」
だんだん深くなって行く口づけ。
先刻まで自分の腕の中で、喜びにすすり泣いていた吸い付くような肌の感触が甦り、明は、身体の奥でくすぶっていたものが、またチラチラと残り火を揺らすのを感じていた。
誕生日の夜。
思いもかけない父親からのビッグプレゼントに、嬉しさのあまりなかなか寝付けないでいた真菜は、浅い眠りの中、その物音に目を覚ました。
目をこすりながら、枕元のデジタル時計に目を凝らす。
AM 2:00。
最後に時計を確認したのは十二時を回っていたから、二時間くらいしか寝ていない。
ガタン――と階下、一階の方で、また物音がする。
お父さんがトイレにでも起きたのかな?
真菜は首を傾げる。
あれから、酒が強くない父親のワインを飲むピッチが急に上がり、最後には、かなりへべれけになっていた。
私も、喉、乾いたな。トイレにも行きたいなぁ……。
布団の中でうずうず考える。
さすがにもう十二月、部屋の中でもけっこう寒い。
真菜は、「うーん」と一つノビをして、二段ベットの下の段からそっと抜け出す。
上の段を覗くと、留美は良く眠っていた。
部屋の隅に置いてあるペット用のソファーベットに、丸くなって眠っていたチョコが、真菜の気配に気付いて顔をムクッと上げた。
クゥンと鼻を鳴らす。
「しぃっ」
真菜は、人差し指を唇に当てて『静かにしなさい』とチョコに合図を送り、柔らかい小さな頭を一撫でして部屋のドアをそっと開けた。
廊下に出ると、ヒヤリとした冷気が首筋を撫でて、思わず羽織ったカーディガンの襟をかき寄せた。
「寒っ……」
パジャマにカーディガンを羽織っただけでは、さすがに寒くてぶるっと震えが走る。
トイレが先だな。
冷気に刺激され急に尿意が増してしまった。
真菜は一階のトイレに向かうため、小走りに廊下の突き当たりの階段を下り始めた。
階段の三分の二くらい下りたところで、不思議なことに気が付いた。
廊下に、居間の明かりが漏れている。
磨りガラスで良く見えないが、黒い人影がチラチラ動いているのが分かる。それも、一人じゃない。何やら、ぼそぼそという低い話し声も聞こえた。
お父さん達、こんな時間に何してるんだ?
バースデイの後片付けは真菜と留美も手伝って、ほとんど済んでいた。夜中の二時過ぎに、しなければならないことなんて思い付かない。
真菜は、そこにいるのが父と母だと信じて疑わなかった。
だから、何の迷いもなく居間のドアを開けた――。
「何してる……の?」
えっ……?
目に飛び込んで来た異様な光景に、真菜はそれ以上言葉を発することが出来なかった。