【11】 再会
クリスマス・イブの午後。
今にも雨が降り出しそうな薄曇りの冬の空は、、のんびりとした住宅街に陰鬱な影を落とし込んでいた。さすがに、吐く息が白い。
ホワイト・クリスマスになるかもしれないな。
そんな事を考えながら明は、『斉藤』と表札の掛かった瀟洒な白い洋風の二階建て住宅を見上げた。インターフォンを押してみたが、応答はなかった。まだ家人が戻っていないようだった。
明は一つ溜息をつくと、自分の隣で茶色の幾分くたびれたコートーの襟を立てて小太りの体を丸め、寒そうに足踏みをしている先輩記者・堺のちょっと寂しくなりかけた頭頂部にチラリと視線を走らせた。
別段、頭頂部をことさら見ようとしたわけではなく、自分よりも頭一つ分身長の低い堺の方を見ようとすると自然とそう言うアングルになるのだ。
明は『公務員夫婦刺殺事件』の担当記者になった堺のお供で、日下部真菜の引取先の叔母・斉藤晶子の家の前に来ていた。
腕時計を確認すると、一時半。
病院で真菜の退院は確認してあるので、もうそろそろ着く頃だった。
「俺は、何も話さなくて良いんですよね?」
明は堺に最後の確認を取る。
社を出る時、『お前は真菜への顔繋ぎだから、何も話さんでいい』との有り難い山城デスクのお墨付きを貰ってあるのだ。
「まあ、勉強だと思って割り切るんだな、バイト君」
そう言って堺が、恰幅のいい身体を揺らして意外と人好きのする笑顔を浮かべた。黒縁メガネの奥の目は、柔和そうに細められている。
――この笑顔がくせ者なのだ。
明は、正直この堺が苦手だった。
この笑顔を武器に、いつの間にかスルリと人の懐に入って来てしまう。気が付くと、隠しておきたい事まで喋らされてしまうのだ。
ある意味、新聞記者より、刑事や検事の様な仕事に向いているのかも知れない。
だか、それは記者にとっては得難い資質で、スクープを物にしたことは数知れない。
とは、デスクの山城からの受け売りだが、バイトの明にさえその噂が届いているのは確かだ。
「来たぞ。せいぜい愛想良く頼むぞ、工藤」
愛想良く、か。
「分かってますよ」
明は、一抹の不安を胸に、静かに頷いた。
白い軽自動車が家の前に止まる。
運転手の三十代後半くらいの女性を見て、これが叔母の斉藤晶子だろうと明は判断した。助手席には、明たちの、と言うより明の姿を認めて、驚いている日下部真菜が乗っていた。
「あの? 家に何かご用でしょうか?」
運転席の窓を開けて、斉藤晶子が訝しげに明たちに声をかける。
「すみません。日下部真菜さんですね? 私、東日新聞社・社会部の堺と申します。こっちは、アシスタントの工藤。彼の事はご存知ですよね?」
堺のセリフに、真菜の表情が単なる驚きからスッと冷たいものに変わるのを明は見逃さなかった。
無理もない。おそらく、自分が病院に見舞いに行った動機が、事件の取材の為だったと気付いたのだろう。そう思った。
明は、じっと自分を見詰める真菜の視線に耐えきれずに、スッと視線を外した。
「粗茶ですが」
「いやぁ。ありがたい。ちょうど喉が渇いていたんです。やっぱり日本人は緑茶に限りますな」
晶子が出したお茶を『ズズッ』と一すすりすると、堺記者が例の人好きのする笑顔を真菜達に向けた。その隣で明は、ニコリともしない硬い表情で座っている。
八畳の洋間。居間の応接セットのソファーに、真菜と叔母の晶子、明と堺が並んで向かい合って座っていた。
晶子も、本心を言えば新聞記者などを家に上げたくはなかったが、曲がりなりにも『姪を助けてくれた恩人』を無下に追い返すことも出来なかった。
だから、表情には何も出さず普通のお客を迎える様に、新聞記者だと言う二人を、家に上げたのだ。
「工藤さんは、真菜を助けてくれたそうで、叔母としてお礼を申します。ありがとうございました」
真菜と晶子が二人で、明に頭をぺこりと下げる。
「いえ。私は、救急車を呼んだだけですから……」
「でも、病院まで付き添って下さったと聞いています。なかなか出来る事じゃありませんよ」
晶子のねぎらいを込めた言葉にも、「当たり前のことをしただけですから」とボソリと答えただけで、口を閉じた。
話題が続ずに嫌な沈黙が落ちる。
真菜はじっと明を見ていた。いや、むしろ観察していたと言う方が近い。
不躾に観察する真菜の視線に気付いて、明が顔を上げた。
ふたりの視線がかち合う。
それは、見つめ合うと言うよりは、『睨み合う』と表現した方が良い、そんな瞬間だった。
ゴホン!
堺記者の咳払いに、二人がはっと我に返った。
結局、真菜の口からは、警察発表以上の新しい事実は何も得られずに、明と堺は斉藤家を後にした。
これは、仕方がない。
事件が起きてから、まだ三日しか経っていないのだ。両親を目の前で惨殺され、自分はレイプされた。それだけでも悲劇的なのに、その上、唯一残った肉親の妹は連れ去られて行方不明。
それを考えれば、今日の真菜の自分たちに対する冷静な態度は賞賛に値する。
もし、自分が真菜の立場だったら、新聞記者などにまともな対応をする余裕などないだろうと、明はそう思った。
「あの娘、かなり危ないな……」
帰りの明が運転する車の中、助手席の堺が珍しく深刻な声音で呟いた。
「危ない……んですか?」
「ああ。あの娘、何かやるかもしれん」
「何かって、何をですか?」
「こんな仕事を長いことしていると、色々な事件の被害者に会う。絶望に打ちひしがれて涙に暮れる者がほとんどだが、たまにああ言う目をした人間に出くわす……」
口を閉じてしまった堺の表情を、明はバックミラー越しにチラリと見やった。
「ああ言う目、ですか?」
「ああ」
一つ、長い溜息をついて煙草をくわえると、堺は静かに呟いた。
「あの娘の目。あれは復讐者の目だ――」
『復讐者の目』
堺のその言葉に、自分を冷静に観察していた少女の、どこか感情の欠落したような瞳の色を思い出して、明は心の奥底で何かがざわざわと波立つのを感じていた。
それは、これから起こる事への予感だったのかもしれない。