【10】 退院
翌日のクリスマス・イブ。真菜は退院した。
午後一時。
薄曇りの今にも泣き出しそうな冬の空は、そのまま真菜の心を映す鏡のようだった。
もともと外傷は軽度の打撲と裂傷がほとんどで、そんなに酷いものではなかった。
だが、動くたびに身体の奥で疼く鈍い痛みを感じるたびに、あれが悪夢ではなく紛れもなく現実に起こった事だと、否が応でも思い知らされた。
迎えに来た叔母の斉藤晶子の運転する車で、家に、あの事件現場になった真菜の実家に向かう。
学校はもう冬休みに入っていたが、二週間もすれば新学期が始まる。学用品や着替えなど、当面必要なものを取りに行かなければならなかった。
「別に、もう少し後でもいいのよ? 何だか週刊誌やワイドショーの取材も来ているみたいだし……」
気を遣う晶子の言葉に真菜は否、と頭を振った。
――たぶん、時間が経っても同じだ。この恐怖感は、決して消えない。真菜はそう思った。
それに、どうしても取りに行きたい物があった。
幸い、家の周りには取材に来ている人影はなかった。
警察の捜索は既に済んでいて、敷地の中にも人の気配はない。
晶子に付きそって貰い、真菜は玄関の前に立った。ふうと、一つ大きく深呼吸をしてから、玄関のドアを開ける。
そして、目に飛び込んで来た光景に、真菜は唖然とした。
玄関先から、見える範囲の床一面にあらゆる家財道具が散乱していた。
衣類。本。手紙――。文字通り、足の踏み場も無い。
「義姉さんが、あんなに綺麗にしていたのに……」晶子がが、ぽつりと呟く。
お母さん――。
綺麗好きだったお母親が、楽しそうに掃除をする姿が目に浮かび、真菜はギュッと目を瞑った。
「おばさん。ここにいて下さい。一人で行きます」
心配気に見守る晶子の視線を背中に感じながら、真菜は家の中に足を踏み入れた。
ごくん。
つばを飲み込む音がやけに大きく響く。
玄関から真っ直ぐ、突き当たりの階段に向かう。
小走りに居間の前を走り抜け、一気に階段を駆け上がった。鼓動が跳ねる。
自分の部屋、自分とと妹の留美の部屋に入った瞬間、真菜は息を飲んだ。
ここも玄関周りと同じだった。
まるで竜巻の後のような有様になっている。
おそらく、家中の部屋が同じように荒らされているんだろうと思った。
何も考えないようにして、旅行鞄とスポーツバックに必要な荷物を詰め込んで行く。
最後に、奇跡的に机の上に置いてあるままになっていたバースデープレゼントを手に取る。
妹の留美のコスメセットをコートの右ポケットに入れ、母親の手編みのマフラーを巻き、手袋をはめる。
そして、父親から送られた、ペンダントを首に付けた。
熱い物がツンと鼻の奥にこみ上げてきて、真菜は唇をギュっと噛んだ。ぷつっと唇の切れた感触の後、口の中に血の味が広がる。
――泣く、もんか。
ぎゅっと、ペンダント・ヘットのロケットを握りしめる。
留美。
必ず、見付けるよ。必ず助け出す。
だから、お願い。
生きていて。
荷物を両手にぐっと握りしめ、真菜は振り返らずに家を後にした。
――もし、いつかまたここに住むことがあるとすれば、それは留美を見つけ出した時。
それまでは、私は絶対に泣かない。
そう、心に誓って。
今後、週2回ほどの更新にしたいと思います。
火曜と土曜の深夜24時位を予定しています。
(都合で、曜日・時間が多少前後するかもしれません)
まだまだ物語は序盤ですが、宜しければ、お付き合い下さい。