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2、反転、目覚め

 右折、左折、左折、右折。直進、左折、右折、左折。

 数多の分岐点を右へ左へ通過する。つかず離れず、一定の距離を保ったまま黒猫は先へ先へと進んで行く。それを小走りで追いかける篝。肉体的疲労こそ少ないものの、もうすでに数十分はこの追いかけっこが続いている。


「……ッ、あれ……?」


 また同じように、路地を右に曲がった。そこでようやく足を止め、呼吸を整える。出て来たのは少し開けた場所。だが、そこにあの黒猫の姿はどこにもなかったのだ。よくよく見れば、鍵だけが路地の途中に置き去りにされていた。


「……何だったんだろ」


 最初は遊んでほしくて鍵を盗ったのだと考えていた。そして今までの追いかけっこに至る。飽きて帰ったのだと思えば合点もいく。自分勝手でこちらのことを何も考えていないのは、相手が猫なのだから仕方ないとしよう。

 ひとまず、寂しく置き去りにされた鍵を拾った。紐から鍵まで、異常はない。一瞬、もしやこの置き去りにされた鍵は罠でどこからかこれを拾う自分を狙っているのではないか――なんて想像していた。念のため辺りを確認するが、その気配はない。改めて安堵した。ようやくだ。これで家に帰れる。


 くるり、後ろを振り返った。もちろん、来た道を戻り帰宅するためだ。だが、篝は歩み始めるどころか足を止めたまま動かない。いや、動かせないのだ。

 左右は高い壁、前後は分岐路だらけでまるで先が見えない。簡単に言ってしまえば、気づかないうちに篝は路地の中で迷子になっていた。同じ風景ばかりが続く中をずっと曲がり曲がって進んできたのだから、来た道を戻るのは至難の業。


「ついてねー……つか酷くね? こんなとこに置き去りとか酷くね?」


 思わず不満が漏れるが、もちろん誰からも返事はない。文句を言っても、立ち止まっていてもどうにもならないのは篝だってよくわかっていたが。

 そして何を思ったか、篝は来た道を戻るどころか真逆、つまりは進むはずだった道へと歩き始めた。やはり戻るのは不可能と考えたのかもしれない。


 だが歩きはじめて僅か数秒、少し遠くに最初の角が見えはじめた時だった。視界に異質な何かが映った。人の足と、スニーカーらしきもの。

 反射的に一旦足を止めたが、またすぐに前進再開。誰もが持つ、怖いもの見たさというものだろうか。慎重に、一歩ずつ。近づくにつれ、鼻を掠める匂い。明らかに、異質なモノ。

 それでも、足は止めない。徐々に視界に入る何かは増えていく。スニーカー、黒のズボン、そしてグレーの――――、


 ドン、と重たく響く音。どさ、と地に伏せる音。視界から入る情報はそこで途切れた。

 鈍痛。異質な何かを前に、全神経がそちらへと注がれていたのだろう。その隙を突かれた結果がこれだ。篝は後頭部への衝撃に、間もなく意識を手放した。

 スニーカー、黒のズボン、グレーのパーカー、そして散らばる赤。異質何か――それは、男の死体。

 篝の意識が無くなったことを確認すると、凶器を握りしめたまま何も言わず、ただ口元に恍惚とした笑みを浮かべていた。


**


「――ちーっす、緋菜いるー?」


 拍子抜けするほど明るく、元気の有り余ったような少年の声。ドアを勢い良く開け、彼が入った先。明かりがついているにも関わらず薄暗い部屋とは対照的だ。部屋の中のソファに一人、腰掛ける女性。鋭い目線を少年に送ると、ため息混じりに口を開く。


「……緋菜はんならちょっと前に出て行かはりました。後始末、あの子が引き受けはったんよ」

「あ、言いたいことわーかった! ノックしろって言いてえんだろ? 悪かったって」


 彼女のみるからに不機嫌な様子を察したのだろう、すぐさま謝罪の言葉を述べる。相変わらずの軽快な口調に、反省の意が伴っているかは謎だが。女性はまた一つ、ため息をついた。


「しっかし、緋菜も気張りすぎじゃね? 後始末ほど後味の悪い仕事ねーだろ」

「……仕方あらへん、異端が邪魔者扱いされるんは自然の摂理どす」


 女性が腰掛けるソファと、透明なテーブルを挟んで向かい側。これまた材質の良いソファに少年もどかっと腰掛ける。彼らにとっては他愛のない会話をしながら、緋菜、もとい六条緋菜の帰りを待った。


**


 暗い。目を覚ました篝は漆黒の中にいた。目の前に広がるものは、ただひたすらに、暗闇。ずっとこのままでいたら、本当に目を開けているのかどうかもわからなくなってくる。ささやかな恐怖から逃れるように、ひたすら瞬きをした。

 身動きがうまく取れない。どうやら、とても狭い空間にいるらしい。両腕が背中に回っているが、縛られたりはしていない。なんとか片手ずつ引っ張り出すと、上にあるもの――おそらく光を遮っているのであろう何かを押し上げた。


「……どこだ、ここ」


 まず、第一声がこれだ。ようやく太陽の光が拝めるかと思えば、寧ろ正反対。夜の闇に落ちたかのように辺りは先程よりやや涼しく、相変わらずの物寂しさだけが漂っていた。ひとまず、狭い空間からはい上がり、思いっ切り体を伸ばした。


 ――俺は死んだのか?


 次は、そんな考えにたどり着いた。起きたばかりでうまく回らない頭をなんとか働かせ、今までの粗筋というものを脳内で描いてみた。

 黒猫に鍵を取られる。追いかけて路地裏に入ったものの、見失う。帰ろうと歩く。それから、だ。

 襲われたのだ、後ろから。ふと思い出すと後頭部の痛みも目覚めたのか、じわじわと痛み出す。あの道の先にあったもの。確認する前に後頭部を殴られて、そのまま気絶したのだ――――あれは確かに、死体だった。

 あの時自分が殴られたのは、やはり口封じとして殺すつもりだったのだろうか。しかし、いまだ痛みはするものの血すら出ていない。おまけに先程とは場所が違う。殴った本人が移動させたに違いない。不可解な事象に頭を悩ませる篝。再び後ろが無防備なことには気づいていなかった。


「――……倉科……?」


 聞き慣れたばかりの声。凛としてよく通る声に、疑問や不審といった感情が混じっている。立ち尽くす篝の後ろから、その声は投げかけられた。

 いつもの制服姿とは一転して、漆黒に身を包んだ姿。時折風になびく黒髪。篝はゆっくり後ろを振り返った――――六条緋菜の姿が、そこにあった。


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