14、黒猫と摩訶不思議なお仕事
「――……ひーちゃん、起きて」
体を軽く揺さぶられて目を覚ます。その呼び方から確認せずとも千佳だとわかる。もしかして寝坊したのか――そう思って飛び起きるが、時刻は十一時四十分。まだ少し余裕があった。ひとまず安心して、千佳に優しく微笑みかけた。
「わざわざ起こしに来てくれたの? ありがと、千佳」
「うん、だってひーちゃん、おしごと行くんでしょ? 千佳も行く」
そう言って千佳は嬉しそうに笑った。正直緋菜としては彼女を仕事に同行させるのは気が引けるが、行くと言ったら聞かないのだ。彼女の笑顔に、緋菜はただ笑ってみせた。
ベッドから降りると、軽く身支度を始めた。何も言わずとも、千佳は近くにあった椅子に腰掛け緋菜を待つ。その間、肩から提げたショルダーバッグの中身を確認していたようだ。緋菜はなるべく手短に済ませると、千佳の小さな手を握って部屋を出た。
「お、緋菜と千佳も来たか。じゃ、全員揃ったな」
談話室に再び全員が集まっていた。予想通り、みんな集まった。悠斗と色葉は談笑していた。律香と翔梧はいかにも寝起きの顔で、まだ眠たそうだ。川嶋を先頭に車のもとへ向かう。この人数ならぎりぎり乗れる。
「なーあー、いっつも思ってんだけど、何で俺律香の隣なんだよ?」
「私も不満ですー! 悠斗さん代わってくださいよっ!」
「あーうるさいうるさい! 緋菜と千佳の隣にいて良いのは悠斗だけだ!」
「なんだかんだ仲ええくせに、何の文句があるんどすか」
呆れたような色葉の発言に二人とも過剰に噛み付いた。喧嘩するほど仲が良いのだろう、きっと。運転席に川嶋、助手席に色葉、真ん中の三人掛けの席に左から千佳、緋菜、悠斗が座っている。その後ろで翔梧と律香が騒いでいるのだ。人見知りというレベルを遥かに超越し、千佳は緋菜以外に懐いたことはない。千佳を置いて緋菜が翔梧や律香と話そうものなら、彼女はたちまち不機嫌になる。さすがに優しい悠斗に敵意を見せることはないため、この構図がお決まりとなっているのだ。
「ったく……緊張感がかけらもねえな」
「求めるほうが無理なんじゃないかなあ」
ため息をつく川嶋と、いつも通りニコニコと笑う悠斗。彼もまた、緊張感などかけらもない。これが普段と変わらないということは川嶋もよくわかっていたため、もう何も言うまいと車を走らせた。
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「……ここ、なの?」
「ホラー臭ぷんぷんしてますけど大丈夫ですか……?」
案外早く着いたのだが、車を降りてすぐ目に入ったのは古い屋敷。いかにもお化け屋敷と呼ぶに相応しい。深夜の暗さや空気の冷たさ、そして静けさが相まって不気味さを際立たせている。
「送られてきた地図が間違ってなきゃここだ。しっかし……むやみに突っ込むのは止めたほうが良いな」
廃墟と言っていたくらいだから、おそらく今は誰も使っていない。しかし門は誘うように開いたまま、時折風に揺れて錆び付いた音を立てる。だがあの門をくぐって帰ってきた者はいないのだ。川嶋の言う通り、考えなしに突っ込めば即死かもしれない。緋菜はある提案を口にした。
「最初に、あたしと翔梧が屋敷に入る。ちょっと状況を確認して大丈夫なら次に律香や色葉たちが入る。それでどう?」
「確かに緋菜はんと翔梧はんならだいたいどんな罠でも耐えられるからねえ……翔梧はんは?」
「俺はいーよ。二人いりゃなんとかなるだろ」
「敵の正体がわかってないし、本当に危なかったら逃げてね。ドアを叩いてくれたらすぐ行くから」
特に異論はなく、提案通り緋菜と翔梧がまず屋敷に入ることになった。不安げに緋菜の手を握った千佳に、緋菜は「大丈夫」と頭を撫でた。実際大丈夫と言い切れはしないのだが。川嶋たちは入口のドアの前で二人が戻るのを待つ。
「……どう、何か見える?」
「んー……目立ったものはねーな。先に入ってった奴も入口でくたばったわけじゃねーのかな」
門と同じ、錆び付いた少し耳障りな音をたててゆっくりドアは閉まる。電気はついておらず、多少暗闇に慣れているとはいえ緋菜には何も見えなかった。そこで、翔梧の力が役に立つ。彼は人間でありながら、その体に人間離れした様々な身体能力を秘めている。今ならばその目だ。犬や狼のような広い視野と暗闇でもよく見える目を一時的に作り出している。彼自身はっきりと数は把握はしていないらしいが、彼は様々な動物の身体能力を借りることが出来る。緋菜も少し慣れはじめた目で辺りを伺うが、何も見当たらなければ何の気配もしない。
「……何もねーことないか。ちょっとだけ、血の匂いがする」
「それくらいかしら……一回戻ってから、他の部屋も見てみましょ」
そう言って一度ドアのそばまで引き返す。ドアノブに手を掛けようとした――その瞬間、突然部屋に光が満ちた。驚き振り返れば、大きな正方形の部屋の壁に四ヵ所、燭台があったらしく明かりが灯っている。もちろん、緋菜も翔梧も一切触れていない。確かに今、自分たち以外の何かがここにいたのだ。緋菜は右手に刀を握る。やはり気配はなく、明るくなったが部屋には誰もいない。下手に扉は開けられない。
辺りを警戒していた翔梧が、ゆっくりと部屋の真ん中に向かって歩き出した。止まっていてもらちが明かないと判断したのか、緋菜は咎めようと開いた口を何も言わずに閉じた。部屋のちょうど真ん中に来た瞬間、何かは再び動き出した。
「翔梧、危な――ッ」
たくさんのガラスが一度に割れた、そう思わせるような轟音。突如、翔梧の真上にあったシャンデリアが落下した。咄嗟に声を張り上げたが、緋菜の言葉は途中で切れた。一瞬だけ、気配を感じたのだ。何かが殴り掛かってきた。風を切る音。緋菜は横に飛びのいた。だが再び気配はなくなった。
「緋菜、大丈夫か!?」
「……平気。それより、どうする?」
「姿が見えねえんじゃな……対抗出来んのは、テツさんか悠斗か?」
「可能性があるとしたらそれくらいね」
上へと続く階段の手すりに翔梧は避難していたらしい。緋菜のもとに降り立つと、警戒は解かないまま対抗策を考える。翔梧はずっと匂いや音も力を使って探っていたのだが、いっこうに掴めやしない。守るように翔梧が立ち塞がる後ろで緋菜はドアのそばまで戻り、力一杯叩いた。即座にそばを離れる、と同時にドアは勢い良く開いた。
「おい、大丈夫か!?」
「えらい遅いから心配したんよ……で、状況は?」
「姿は見えないけど、何かがいる。まるで幽霊みたいね……」
まず入ってきたのは川嶋、続いて色葉、律香たち。軽く説明しながら、粉々に砕けたシャンデリアを指差す。空気が張り詰める。少しずつ、気配を探りながら動き出す。いつどこから襲い掛かってくるかわからない、それがネックだ。
「やれることはやってみっか……悠斗」
「うん、テツさんもね」
川嶋は両手に銀色の銃を握っている。言い終わるや否や、一つ深呼吸を置き、小さく何かを呟いき引き金を引いた。下手な鉄砲数打ちゃ当たる――そう言わんばかりに、部屋の至るところに乱射した。壁に当たっては弾ける、黒いペイント弾だ。彼は今、黒いペイント弾を脳内に描き、二つの銃はそれに応えたのだ。
緋菜たちが身を潜めて見守る中、悠斗も動く。右手の親指を軽く噛み、血の雫を一滴地面に落とすと白い光が彼を包む。そして名を呼んだ。光の中から美しい純白の毛並みを持った獣――レグルスと名を付けた、彼の使者が姿を現す。悠斗はその頭を撫でると、行け、と一言だけ告げた。
やはり正しい人選だった。二人にかかればあっという間だ。黒いペイント弾は時折空中で弾ける。例の何かにぶつかった証拠だ。レグルスは空中で獲物に噛み付く。響く悲鳴。そこに何かがいる証拠だ。
耐え切れなくなったのか、ついに正体を現した。そこにいたのは、まさに絵に描いたような“お化け”。継ぎ接ぎの白い布を被った何か。目が一つのものや三つのもの。数は多い。しかし黒色に染められたり噛み付かれて逃げ惑う様子に恐怖は感じない、それにまるで子供の落書きのような可愛さがあった。
「……こりゃ、形成逆転だな」
「ふふ……暴れまくれという神のお告げですね!」
にやりと笑う翔梧と律香。この二人、やや好戦的なところは一緒だ。ため息をついた緋菜のもとに千佳が走り寄ってくる。きゅっと口を固く結んでこちらを見てくる。それは「千佳も戦う」というサインなのだと緋菜はわかっていた。微笑み、頷いてみせる。
「……ま、とりあえず全滅させましょっか」
握った刀の銀色に反射して、静かに燃える火が煌めいた。