13、黒猫と愉快な仲間たち
六条緋菜、十五歳。性別は女。血液型はB型。十月十八日生まれ。すらっと細い体型に高めの身長、整っている歳の割に大人びた顔立ち。くせのないまっすぐな黒髪は背中の中心辺りまで長く伸びている。表側では茜崎高校の一年生でありながら、裏側では組織“黒”の幹部の一人である。
彼女は生まれた時から能力を保持していた。具体的な内容は明らかになっていなかったものの、それが理由で親に暗い路地裏に捨てられた。だがそこを運良く、本当に運良く“黒”のボスに拾われたのだ。緋菜は自分にとって親と同然のボスのもとで育てられ、次第に組織の一員として戦うようになった。長い間組織内で三番目の実力だったのだが、数年前にボスに次ぐ二番目になった。
そんな昔の、懐かしい夢を見ていた。何故今になって思い出すように見たのかわからない。自宅のベッドで目を覚ました緋菜だが、まるで夢を忘れないように、余韻に浸るかのように動かないでいた。今はいない仲間も夢には出て来た。裏側の基本、殺し合いはまるで無かった。みんなで楽しく団欒している、ただそれだけの夢。
――今日、まだテストだっけ。
伸びをしながら思い出す。ついこの間まで一風変わった仕事をしてから、今日で一週間になる。中間テスト最終日、科目は現代文と化学。成績優秀な緋菜には何ら問題のないことではあるが、彼女の脳裏に二人ほど今日のテストに頭を抱えているであろう人物が過ぎった。だが今更してやれることもない。ベッドから出て支度を始めた。
緋菜の自宅は学校まで徒歩で二十分近くかかる。組織から直接通うこともあるが、なるべく自宅で生活することを心がけている。ほったらかしにすれば埃まみれになってしまう。この日も余裕を持って家を出て、いつもの通学路を歩いて行った。
「ろっくじょーさん、おはよ」
「おはよ……なんだ、倉科じゃない」
後ろから声をかけられて、反射的に挨拶を交わした。振り向いた先にいたのは、倉科篝。少し前に隣の席になってからやや話すようにはなっていたが、つい最近妙な関係が出来てしまった。なんだってなんだよ、と不服そうに言いながら緋菜の隣を歩く。彼は今日のテストの話に始まり、他愛のない日常会話を交わしていた。
「あ、そういえばさ。昨日コンビニでスイさん見たんだよ」
「へえ……外出るんだあの人」
「しかもさ! 何してんのかなーって思ったらさ、無料の求人広告取って帰ったんだよ」
「え――ついに脱ニートの時、ってこと……?」
篝もよほど驚いたのだろう、どこか興奮気味である。緋菜も口ぶりこそいつも通りだが、内心かなり驚いていた。なんせスイは一日をネットゲームで潰し、親の金で生活する毎日を送る人物だ。にわかに信じがたいが、一週間前の彼女に関わる仕事を通じて、スイの中にも何か変化があったのかもしれない。前線で戦っていた緋菜にはよくわからないが。
その後も他愛のない話は続いた。不思議と話題が尽きることはない、基本的に話題を持ち掛けてくるのはいつも篝だ。校門をくぐった先、まだ数もまばらな生徒たちの中から、こちらに向かって手を振る人物を見つけた。黒髪に黒縁メガネが特徴の男子生徒。二人のクラスメイトであり、篝が普段から行動を共にしている伊宮アキラだ。
「篝、今日は早えーじゃん! そしておはよう、マイハニー緋菜ちゃ――」
響く破裂音。アキラの愛を込めた挨拶が終わる前に、彼の左頬に清々しいほどの平手打ちがヒットした。だが大きく左へ傾いたがかろうじて倒れずに済んだ。隣にいた篝は、あんぐりと口を開けてその始終を見ていた。緋菜自身驚いていた、体が反射的に動いたのだから。篝とふいに目が合ってしまった。
「……なんかハエがうるさかったから」
「やる気のねー言い訳だなオイ」
しれっと適当に言い訳らしからぬ言い訳をして、緋菜は二人を残しさっさと教室へ向かった。篝は一度置いていこうかとも考えたが、仕方なくアキラに大丈夫か、と声をかけた。
「さすが美人の平手打ちは強烈だな……まあ逆に燃えるってもんだろ。高い山ほど登りがいがあるんだよ、なあ?」
「諦めろ、多分頂上は宇宙にあるから」
真っ赤になった左頬は気にも留めず、長い黒髪を揺らして歩く緋菜の後ろ姿を見つめていた。アキラは入学して一週間後ぐらいに、緋菜に一度告白したらしい。だが、汚いものでも見るような目で黙殺されたとのこと。それ以降も今日のようにちょくちょくアピールしてはいるがすべてあの調子だ。
だがアキラが美人好きで他にも彼女候補がいるという事実を篝は知っていた。要は女たらしだ。アキラ自身は見た目も格好良く男女ともに評判が良いのに、なんとも勿体ないことだと篝は常日頃思っていた。
**
終わりを告げるチャイムが鳴り響く。一斉に回収される解答用紙。すかさず出来栄えについて一喜一憂する生徒の声で教室は騒がしくなる。終わりの会なるホームルームはないため、淡々と帰る支度をして緋菜は教室を出た。
「あれーっ、緋菜、もう帰っちゃうの?」
「今日はちょっと用事あるから。また明日ね」
「そっかー、ばいばーい!」
足早に帰宅しようとする彼女の姿はやはり少し目立ったらしく、女子生徒が数人声をかけてきた。軽く手を振り返し今度こそ教室をあとにする。残った生徒たちはテスト終わりということでカラオケやら何やら遊ぶ予定を立てていた。かもめの姿もその中にあった。
緋菜の用事。詳細を聞くのはこれからなのだが、裏側での仕事の話だ。来れる仲間は皆来るよう言われている。人気のない細い路地裏へと進む。しばらく右折や左折を繰り返した先、適当なコンクリートの壁の前で緋菜は立ち止まる。その壁に指先で“HINA ROKUJO”となぞると、そこに白く光る文字となって現れた。書き終わると文字はすっと消えていった。軽く壁を押せば、代わりにドアが現れる。この中を通って行けば組織の談話室へと一直線なのだ。一度篝を連れて来たこともあった。
「いいですか!? 私がネトゲばっかしてると思ったら大間違いです! 日々皆さんのために情報収集してるんですよ!」
「嘘つけお前ネトゲか乙女ゲーしかやってねーだろ! 二次元なんざに恋してどーすんだよ!」
「もうっ、二次元の良さがわからないなんて! 翔梧さん人生の八割損してますよ!」
「んなわけあるか! お前こそ現実見ろっての!」
談話室に続くドアを開けた先、いきなり耳に入ってきたのは罵り合い、目に入ったのはパソコンの目の前で騒ぐ二人。翔梧と、赤いメガネをかけた茶髪のショートヘアの少女、律香。彼女は先程自称していた通り情報処理、収集を得意とはしているが、どうにもネットゲームや画面の向こうの恋人と愛を育むことに精を出している場合が多い。
「あれ、おかえり緋菜。テストお疲れ様」
「ただいま。あの二人また喧嘩してるのねー」
「ねー、仲良しだよねー」
備え付けの台所からひょこっと顔を出した男性、悠斗だ。焦げ茶色のくせ毛といつもにこにこ笑っているのが特徴の彼。動物に例えたら間違いなく羊だ。現役大学生で料理が得意、そして誰も彼が怒ったところを見たことがない。紅茶でも飲むかと聞いてきた悠斗に頷くと、翔梧たちは放っておいてソファに座ろうとした。その時、ドアが勢い良く開かれる音と共に隣の部屋から猛スピードで何かが駆け込み――緋菜に抱き着いた。
「ひーちゃんっ」
「千佳、びっくりした……」
腰のあたりに手を回し、きらきらと目を輝かせて笑う。わずか九歳の少女、千佳。彼女が駆け込んできたドアの付近にうさぎのぬいぐるみが置き忘れられている。彼女のお気に入りのぬいぐるみなのだが、抱き着くときに手を離したのだろう。
基本は肌身離さず持っているぬいぐるみがこの有様だ――千佳は緋菜のことが誰よりも何よりも大好きだ。彼女が居ればぬいぐるみなんて空気同然。緋菜に手を引かれ彼女の横にちょこんと座った。目の前に置かれた紅茶を一口飲んだところで、隣のドアが再び開く。
「……お、結構いるぞ。もういいんじゃねえか?」
「そうやねえ……緋菜はんや翔梧はんもおるし、始めましょか」
ぬいぐるみを拾いながら入ってきた川嶋と色葉。川嶋がそれを千佳に手渡し、ぶすっとした表情で受け取った。どうやら早速本題に入るということらしく、まだ揉めていた翔梧と律香や台所にいた悠斗もソファに座る。色葉たちが腰を落ち着けたところで、一瞬にして先程までの和やかな雰囲気は無くなった。
「詳しくはさっきボスに聞いて来たんやけどねえ、今回は人数多めに動員しはるて。三つ首の一件もあるからねえ」
通常、引き受けた仕事は一人から三人程度でこなすものだ。もともと人数がさほど多くない組織なのだが、高い能力を持った人材も多いので問題はない。だが今回はそうもいかないようだ。手のかかりそうな仕事なのだろう、そして尚且つ“三つ首の番犬”への警戒でもある。スイの一件のとき緋菜が遭遇した、正体も目的もよくわからない相手だった。
「場所は廃墟になった建物……ちゃんと案内すっから説明は省くぞ。そこに住み着いた化け物を倒してくれってさ。能力落ちなのかただの気違いなのかはわからねえ。なんせ生き残った人間が居ないんだからな」
全員、神妙な面持ちで話を聞いていた。すでに死者が出ている上に、妙に情報が少ない。ここにいる全員が優秀な能力を持ってはいるが、戦闘力には事欠く者もいる。川嶋は全員の顔を見渡して、しばらくしてから再び口を開いた。
「行くか行かないかは自分で決めろ。いつも通り、ボスも強制はしないってよ」
「……あたしは行く。そのために来たんだから」
少し冷めてしまった紅茶を飲み干して、緋菜は告げる。臆した様子はまったくない。組織の目的、それは主に表の人間を守ること。今回はそれに直接関わりはないかもしれない。だが、緋菜の目的には一致していた。
裏側の世界を、非道な殺戮が合法とされた世界を変える――緋菜が長年夢見た世界。表側のように、安心して暮らせる世界が欲しい。力がすべてのこの世界、目的を果たすためには頂上を目指す必要がある。だから強くなりたい。夢見た世界の実現への一歩として、この力で救いをもたらす。
「出発は深夜零時、来る奴は準備してここに集まること。ま、なるべく気楽に行こうぜ」
もともと今答えを求めてはいないのだろう、川嶋はそう言ってすぐ談話室をあとにした。それぞれが思い思いに動き出す。あくまで予想だが、おそらく七人全員が集まる。千佳のような子供を連れて行くのは少し気が引けるが、彼女も立派な戦闘員だ。信頼するボスが引き受け、それを自分たちに任せようと言うのだから、きっとその期待に応えようとするだろう。
緋菜は組織内の自室へと向かい、仮眠を取ろうとベッドに横になる。ふと、三つ首の言った言葉が頭に浮かんだ。あれから何度考えてもわからなかった意味を再び考えていた。目を閉じ、眠りにつくまで。
“近いうちに、迎えに行くから――――”
雰囲気が終わりっぽいけど少し続きますよ!←