12、父と娘
「……あの、殲滅ってことは」
「敵陣に乗り込んで痛い目みてもらう、ってこと」
しれっと物騒な発言を再びしでかした緋菜ではあるが、篝は早くもそれに慣れつつあった。困ったことに変わりはないのだが。
「まあ、あとでちゃんと話すけどあいつらのしたことは法律違反なの。箱庭に報告する前に締め上げて手柄頂くってこと。殺すわけじゃないわ」
「……もうやだお前怖い」
小声で篝にだけ聞こえるように緋菜は告げた。多分、死なない程度に痛めつけるんだろう。篝の頭の中ですでに出来上がっていた緋菜という鬼のイメージが消えなくなってしまった。さすがに少し同情する。裏側のお仕置きは恐ろしい。
「けどその前に……スイさん、お父さんと連絡取ってもらえますか? 許可なく依頼主とは接触出来ないんで」
緋菜の頼みに、スイは俯き押し黙ってしまった。首を縦にも横にも振らず。緋菜を見れば、表情を変えることなくスイの返事を待っている。スイには答えられない複雑な理由がある。彼女を見ていれば篝自身そんな気がしていたし、緋菜もそのくらいは察しているのだろう。
「……ボディーガードが話したがってる、って言えば良いんだな」
「ええ。あとは任せてください」
意を決して顔を上げ、しぶしぶ承諾したスイ。そんな彼女を見て、緋菜はわずかに微笑んで頷いた。スイがズボンのポケットから黒い携帯を取り出し、耳にあてた。静かな車内に通話音が響く。
『もしもし……翠か?』
「……てめえの依頼したボディーガードが話したがってる。代わるぞ」
無愛想にそう言い捨てると、緋菜に携帯を手渡した。不機嫌さをあらわにしたまま、スイは窓のほうへ顔を背けてしまった。篝は何と声をかけていいかわからず、ただ黙っていた。
「突然のお電話申し訳ありません。娘さんは無事ですが、少し状況が変わったのでお話させていただくことがあるのですが」
『ああ、ありがとうございます……構いませんよ、聞かせてください』
スイの父――つまり依頼主である二階堂グループ社長と話しはじめた緋菜。完全に仕事モードに入っている。黒スーツが似合う、そう思った。そして、何故こんな時に激しくくだらないことを考えたのか、と思った。
『……要は、この話は無かったことに……ということですか』
「ええ。明日には例の方々は刑務所なのでこの件は忘れてください」
さっきからまったく表情を変えずに話すから、篝はますますこの女が怖かった。敵に回したらこうやって無慈悲に裁きが降る。それが裏側のルールなんだろうが。そのまま緋菜とスイの父親は二言三言話して電話を切った。話はまとまったらしい。聞きたいが聞けない、スイには聞かせられないこともあるのだ。
「色葉とテツさんは二人を送ってあげて。翔梧手空いてるかしら」
「翔梧はんはここ数日暇してはるさかい、連れてったって」
「一応気をつけろよ。暴れてこい」
非常に軽いノリで進む会話を、篝はぼーっと聞いていたわけだが。よくよく考えればこれは敵を殲滅する話だということを思い直した。この裏側の空気に流されないようにしよう、慣れは怖い。
「それじゃスイさん、あたしはこれで。この件はなるべく早く忘れてください。倉科もお疲れ、家まで送ってもらいなさい」
「……いろいろと不満が残るんですけど六条さん!」
「激しく同意。けど今日は疲れたしもーいいや」
スイに携帯を手渡しで返し、車を降りる緋菜。徒歩で向かうのだろうか。そもそも敵の本拠地はわかっているのだろうか。不満の声を少しばかり上げてみたが、まあ聞いてもらえないだろう。確かに今日は疲れた。後部席で緋菜の小さくなる背中を見送りながら、篝たちを乗せたワゴン車も帰路へ着くため動き出した。
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カツン、カツン、と靴の音が響く。深夜の裏側じゃ当たり前の静けさ。大して気に留めず、緋菜は歩を進める。一つの鉄の扉の前に来たとき、ようやく彼女は足を止めた。
「……ここだな。あとは任せたほうがいいのか?」
「そうね。一人残らず叩き潰せばすっきりするでしょ」
「へいへい……そんじゃま、俺はここで見張りでもしてますよっと」
欠伸をしながら、一緒に来ていた翔梧が告げる。彼は先程まで組織の拠点で寝ていたのだが、彼の能力を必要としている仲間のためにわざわざ出向いたのだ。とは言ってもその仕事、道案内は終わってしまった。一人で暴れる気満々の緋菜は扉を開けて中へと進む。近くの壁に背中を預けて、翔梧はもう一度欠伸をした。
「……あ? 誰だてめえ」
「裏法律第二十三条……表の人間への不当な接触を禁ずる。くたばりなさい、違反者ども」
冷たく、低い声でそれだけ言って、緋菜は睨んだ。工場の跡地のような広い空間に、うじゃうじゃと屯する柄の悪そうな男たち。緋菜の言葉に表情を歪めた。彼女はそれを見逃さず、やはり容赦はいらないと確信した。なんとなく、あの刀は今使いたくなかった。代わりに手に握ったのは薙刀。一掃するのには手頃だろう。
こちらの戦闘意思も十二分に伝わったところで、男たちは各々雄叫びをあげながら向かってくる。今度は金属バットや特殊警棒のような生優しいものじゃない。おおかた全員が刃物を所持している。だがもちろん臆することはない――薙ぎ払う、薙ぎ払う、くるくると回って、また薙ぎ払う。踊るようにステップを踏み、刺し、斬り、払う。この男たちが元々弱いせいもあるが、やはり少し前に大きな存在と剣を交えたせいだろう。負けるどころか、傷一つ受ける気がしない。
「――よい夢を」
冷ややかな笑みを浮かべ、最後の一人を気絶させた。文字通り、全滅。薙刀を無に帰すと、緋菜は振り返ることなく自分を待つ翔梧のもとへと戻った。
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この車は、無駄に性能が良い。走行音すらほとんどしない。そういうわけで、誰も一言も話さない車内はひどく重苦しい静けさに包まれていた。運転手の顔はもちろんだが、助手席の色葉の顔もよく見えない。スイは相変わらず窓の外を見ている。こうなると、この空気をつらいと感じているのは自分だけな気がしてくる。
まずはスイを自宅に送ろうとしているのだが、結局自分は何しに来たんだろう、と篝は少し省みてみたが、スイを連れて走り回った記憶だけが鮮明だった。お荷物にこそならなかったと思うが、なんだか腑に落ちないまま事件は解決したことになっている。深いため息を一つついた。
「……なあ、篝はさ……両親と仲良いのか?」
「へ……? 両親、ですか……もうずっと前から海外にいるんで、わかんないですね」
顔はまだ背けたまま、スイはようやく口を開いた。聞かれたのは両親の話だが、本当にいつから海外にいるんだろう。もう顔もぼやけてちゃんと思い出すことが出来ない。寂しいなんて思ったことがないのが自分でも不思議だ。
「そっか。あたしな、母親のことは大好きだったんだ。優しくてあたしをすっごく大事にしてくれて。けど父親には……昔から反抗的だったんだよな」
ぽつり、昔の思い出を拾い集めるように、スイは少しずつ話しはじめた。もちろん篝も気になってはいたが、ずけずけと聞いていいことではないとわかっていたから。彼女はその気持ちを汲んだのだろうか。
「けど母親はあたしが高三のときに事故で死んじゃって。ショックで大学受験も辞めて、働きもしないで無気力のまま今生きてんの。父親には相変わらず接し方がわかんなくて……なんでかわかんねえけど、あの時は母親が死んだのも父親のせいにしてたな。そのくせ父親の仕送りで生活して、しょーもないことで人生潰してクズに成り下がったわけだ」
ひどく自嘲じみた言い方だった。篝は黙って聞いていた。そうするのが正しいと思ったからでもあり、また何も言えなかったからでもある。スイは言葉を続ける。
「父親はそれでもあたしを見捨てないから、ますますどうしたらいいかわかんなくて……自覚はしてるけど、あたしなんかいつまでも意地張ってるバカな子供なんだよな」
言い終えて、スイがこちらに向き直った。表情に変化はない。多分至っていつも通りの、初めて会ったときと同じ彼女だ。だがその目は心なしか潤んでいるように見えた。走っていた車がゆっくり速度を落とし、止まる。今度は篝が口を開いた。
「……スイさんの気持ち、俺じゃなくてお父さんに言ってあげてください。とことん成り下がったんなら、今度は上がっていけばいい……って俺は思いますから」
「……お前はあたしみたいなクズにはなるんじゃねーぞ。ありがとうな、緋菜によろしく」
目を細めてスイは笑った。いつの間にかスイの自宅マンションに着いていた。色葉と川嶋にお礼を言って車を降りた。見えなくなるまで、その世界を見送った――そういえば、彼女の笑顔を見るのは初めてだった。車は再び動き出す。ひどく長く感じた一日だった。
「ふふ、お疲れさんでした。さて篝はん、明日はテストやねえ」
「……それ言わないでくださいよおおお!!」
いろいろな意味で、現実と日常へと戻ってきたのだった。
**
赤い雫が一つ、また一つ、床に零れ落ちる。ソファに腰掛けたまま、じっとそれを見ていた。ふいに規則的なそれは途切れた。
「ねえ、ネレイさ……先生は俺の邪魔をするのが好きなの?」
「あら、邪魔だなんて人聞きの悪い。今日は何もしなくて良かったんですのよ。下手に傷でもつけられたほうが迷惑ですわ」
傷口に包帯が巻かれる。すぐに暗い赤色が染み出した。思ったよりは深かったが、この程度の傷は三つ首の番犬にとっては心地好い痛みに過ぎなかった。
「……黒猫のこと、知ってたんだね。俺は先生が二階堂グループと“黒”の仲介をした、としか聞いてなかったけど?」
「教えなくても、貴方なら見つけ出すってわかってましたの。強い相手を探すの、お好きでしょう?」
薄い桃色にウェーブのかかったセミロングの髪。白衣に身を包んだその女は、彼に一瞥もくれることなくてきぱきと処置を済ませる。彼女は、自分のことを怖いくらいに理解している。自分の性格も、そこから起こる行動も、さらにはそれによって生じる周囲の状況まで予測してみせる。彼女からは本当に仲介の件とその内容しか聞いていなかった。黒猫を探しに行くことも、そして自分が先程までしていた行動までわかっているのだろう。
「はい、終わりましたわよ。やはり貴方は優秀だわ、三つ首」
満足そうににっこりと笑い、彼女の右手がするりと頬を撫でた。三つ首は、この女――ネレイ・ルルジアに命を救われた過去を持つ。瀕死の彼を救い、新たな人生を与えたのだ。彼女がいなければ今の自分はいない、その事実をよく理解し、感謝している。
だから三つ首は、彼女に従う。自分は彼女に忠実なただの犬でいい、そう思ってさえいるのだ。彼女の右手を取り、その手の甲にそっと口づけを落とす。敬服の意を込めて。
遅くなってしまい申し訳ありません…!
事後処理はともかく、これにてニート編終了です。
次回は緋菜とその仲間たちにスポットを当ててみます。
三作目を企画中につき、更新停滞の可能性もry




