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11、犬と猫

 ごくり、唾を飲む音が聞こえた。背中を嫌な汗が伝う。視線が彼から外せなくなっている。


「倉科、ここから離れて」


 どこか重たい、緋菜の言葉。こちらには見向きもしない。否、彼女も目の前の存在から視線を外せないのかもしれない。ちら、と彼を見るが、彼は薄く笑ったまま緋菜を見つめている。何も言わないが故にまた、何を考えているかわからない。

 恐怖を振り切って、篝は再び走り出す。スイの手を引いて。薄々感じ取っていた――――緋菜はおそらく、彼と戦う気だ。もちろん状況がどう転ぶかにもよるが、そうなった時は緋菜も行動に出るだろう。だからここに自分たちを、特にスイを置いてはいけないのだ。


「追わないのね……まだ聞きたいことがある。答えてもらえる?」

「ま、俺の目的じゃないし。構わないよ、答えられる範囲でなら。あ、スリーサイズはだめー」


 軽快に笑う彼。彼が篝たちを追わないか、内心ひどく心配していたのだ。止める自信はもちろんあるが、相手の能力は未知数だ――緋菜は“三つ首の番犬”の名に聞き覚えがあった。姿も能力も判明していないが、要注意人物としてその名を聞いたことがあったのだ。


「あんたが倒した奴ら……裏側の人間で間違いないわね」

「うん、BかCランクの雑魚の集まりだよ。だから日付が変わってから彼女に襲撃を仕掛けた、彼女が裏側を知らないのを良いことにね」

「……箱庭にバレたら終わりじゃない」

「相手が相手だからねえ……事を穏便に済ませたがることを見越して自分たちに有利に運ぼうとしたんだろう。うまく欺くつもりだったんじゃないかな」


 この男は、憶測で語っているのだろうか。それとも、すべて知った上でややはぐらかしているのか。緋菜にはそれが見抜けなかった。食えない奴。さてこの話、どこまでが真実なのか。

 彼が言い終わると同時に、手に握られていたアクセサリーが投げ渡される。なんとかキャッチしたものの、驚きを隠せない顔で相手を見つめた。


「いらないし、あげるよ。ちなみにそれ偽物ね、ただのガラス玉」

「……何でも知ってるのね。あんた何なの? 何が目的なの」


 渡された宝石、否、ガラス玉をポケットにしまう。一応、まだ捨てないほうが良いと思って。そして冷たく、刺々しい口調で問い掛ける。彼があの集団の一員であるとは考え難い。だが、彼はすべてを知っているかのように一連の事件を語ってみせる。


「さあ、俺って一体なんなんだろうね。こっちが聞きたいよ。けど目的ははっきりしてるよ――君と、ちょっと遊ぼうと思って」


 真面目のような適当のような答え。言いながら、彼は先程自分で倒した男たちの所持品を物色している。特に止めようとは思わず放っておいたが、その一つ一つの動きからは目を離せずにいた。 言い終わり、物色も終えて立ち上がり、戻ってきた彼と再び対峙する。にこにこと笑う彼の手には、小さめの刀が握られていた。


「君、組織の中じゃボスの次に強いんだってね。数年前は違う誰かだった気がするけど……ねえ」


 まあいいや、と小さく付け加え、鞘から刀を抜いた。街灯を反射して刃が煌めく。彼の手から離れる鞘。落ちる音は耳に入らなかった。


「俺はね、戦うのが大好きだ。肉を斬る感触も、血飛沫も、痛みに歪んだ顔も、全部全部愛おしい! 生か死かの駆け引きの中で、死に物狂いで俺を殺そうとしてくる。“戦い”の中にあるすべてが愛おしくて堪らない! だから俺は、そんな最高の快楽を与えてくれる人を探してる」


 感情の高ぶりが、興奮が、抑え切れなかったそれが目に映る。狂気じみたそれを、彼の二つの鮮やかな赤から見出だしていた。今になって、その綺麗な赤がひどく不気味に感じられる。


「……本当は、もう一人見つけてるんだけどね。今日俺はもっと素晴らしい人に出会える気がしてた。君だよ黒猫。ねえ、君なんだよ」


 一度ああなると、しばらく戻れないのかもしれない。案外冷静なまま、緋菜はそう考えていた。手の中の金属バットを無に返す。残念ながら、これでは役不足だ。代わりに右手に握られたもの。真っ黒い鞘に収められた、先日も活躍してくれたあの刀。何を使うか迷った挙げ句、一番使い慣れているものにした。美しい刀身が姿を現すと、三つ首は嬉しそうに笑った。


「受けてくれるんだ。嬉しいな」

「……逃げられないだけよ」


 その言葉を合図に、同時に地を蹴った。自然と、裏側に生きる者としての本能的な何かがそうさせたのかもしれない。ぶつかり合う高い音。先程金属バットでぶつかり合った時とはまるで違う、内面から相手の殺意がじわじわと侵食してくる。いや、殺意と言えば少し語弊があるかもしれない――殺したいというよりは、痛めつけたがっている、ような。

 時折、鋭い痛みが全身を駆け巡る。掠めた傷口から赤色が舞う。それに抗うことはしない、だからこそ怯まない。それは相手も同じ。実力は互角か――だが、一閃。一瞬の隙を突いた。緋菜の細い刃が三つ首の右肩を貫く。

 引き抜かれ、開かれた距離に鮮血が飛ぶ。よろめいた彼を無表情で見つめ、刃に残った血を払い落とす。血はとめどなく流れているが、あまり深い傷ではないだろう。やがて向き直った彼は、再び笑っていた。


「あはは、やられちゃった。でも俺、今たまらなく幸せだよ」


 言葉だけ聞けば普通だった。だが目の前にいる男の声は興奮で震えており、とても恍惚とした表情を浮かべている。出来ることなら、さっさと始末してしまいたい――そうは思うが、簡単な話ではない。相手の持つ力はまだまだ計り知れていないのだ。


「……く、はは、あははははは!! ねえ、そろそろ本気出してもらえるかな? 俺そろそろ我慢の限界だからさぁ」


 ようやくか、と緋菜は構えた。今までは小手調べ、もしくはそれ以下だろう。あいにく緋菜は好戦的なタイプでないため、彼に付き合ってやるつもりはさらさらなかった。チャンスさえあれば心臓を貫き、終わる。いつも通り、狙い討つだけ。ぎゅっと刀を握り直し、再び緊迫した空気が流れ出した、瞬間――――軽快なメロディが辺りを包んだ。


 驚愕。呆気。なんとも言えない表情で彼らは静止した。鳴り止まぬそれの正体に、まず気づいたのは三つ首。ポケットから震える携帯を取り出し、耳に当てた。が、すぐに離し、ため息をついた。


「……ごめん、時間切れだ。俺帰らなきゃ……ほんっと先生ってば空気読めてない」

「……は?」


 こればかりは、聞き返さずにはいられなかった。だがそんな緋菜を放置して、三つ首の男は緋菜に背を向け去って行く。呆然と立ち尽くす緋菜を、彼は最後にもう一度振り返った。


「続きはまた今度だねー。でもすぐ会えるよ……近いうちに、迎えに行くから」


 不敵に笑ってみせたあと、じゃあね、と一言告げて彼は路地裏の暗闇に行方をくらませた。それからもしばらく、緋菜はその場を動けずにいた。夢見心地、とでも言うのか。あの男に会ってから今までがまるで現実味を感じられなかった。だが、体に残る痛みは本物。一旦、この件は置いておくことにした。そして再び駆け出す、守ってやるべき人たちのもとへ。


**


「……篝、ここ本当に安全なんだな?」

「俺があいつに騙されてなきゃ、安全です」


 緋菜に促され、彼女を残し逃亡を謀った篝とスイ。彼らは今、黒のワゴン車の後部席に居た。どうやら知らないうちに緋菜が手を回してくれていたらしく、走っていたところをこのワゴン車に乗っていた色葉と男性に発見され拾われたのだ。


「緋菜はんならきっと戻ってきますえ。それより、あんさんらが今出来ること考え」


 助手席に座っている色葉が告げる。きっと戻ってくる、もちろんそう信じてはいる。けれど落ち着かない。


「つーかよ、お前らこれからどうするんだ?」

「……どうするべきなのかな、って」


 運転席に座る男性が振り向き、尋ねる。男性の名前は川嶋というらしい。外見はどこにでもいそうなあごひげの三十代男性だが、緋菜や色葉の仲間だと言う。見た目だけでは判別できそうにないな、と改めて思ったものだ。

 それより、今後の話だ。もともと“スイを守れ”という明確なようで漠然とした依頼だった。それがよくわからない陰謀に巻き込まれていたようで、妙な男には出会うし、逃げてみれば追っ手の気配は皆無。事態はどこへ向かっているのか――悩める二人に救いの手、もとい後部席の窓を叩く音がした。


「六条……」

「遅くなった、ごめん。スイさんも無事?」


 篝がドアを開けると、少し息を切らし、また体の数ヵ所に傷を負った緋菜の姿。思わずそのことに触れようとした彼を緋菜は言葉で制した。乗り込み、奥に座っているスイの姿を見て、お互い安心したのかほっと息をついた。


「テツさん、色葉もありがと」

「いいっていいって。それよりさっさと片付けてくれ……策はそろそろ見つかっただろ」


 欠伸をしながら川嶋が答える。愛称はテツさんというようだ。彼の言葉に緋菜は頷いた。そして篝とスイに向き直る。


「緋菜、怪我してんのか……? あいつは……」

「大したことないですから。あいつは……門限で帰りました」


 最後の一言には全員が疑問符を浮かべた。やや考えてその言葉を搾り出したようだが、緋菜すらも怪訝そうな顔をしている。問いただしたかったが、緋菜がとにかく、と言葉を続ける。


「やることは簡単です――乗り込んで、一匹残らず殲滅するだけ」


 冷たい言葉と冷たい口調。一瞬、篝の頭に浮かんだ。あのいわゆる悪党集団を薙ぎ倒し、壊滅させる緋菜の姿が。

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