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10、からくり転がり

 甲高い音がぶつかり合う。ひっそりと物音ひとつしない踊り場で、最後に鈍い音をひとつ叩きだして、また静かになった。倒れたのは、男のほう。階段の下で息を荒くして転がる男を、冷ややかな目で見つめながら緋菜は階段を降りていく。左手にはやや形の悪い金属バットが握られている。


「……っ、どういうことだあ……? お前、どこの差し金だ」

「そんなの、こっちが聞きたいんだけど。あんた何なの? スイさんを狙う目的は何」


 蓄積したダメージで男はもうほとんど動けなくなっているらしい。声に覇気がない。お構いなしに、緋菜は男の喉元にバットを突き付けた。すると男は一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに意地の悪い笑みを浮かべた。


「なーるほど、なあ……あんた、ほとんど聞かされてねえな……? 思い出したぜえ、黒猫さんよお……」


 無様な姿になってもなお、苛立ちを煽るような口ぶり、声、表情。もう一発殴ってやろうかと疼きかけた感情をなんとか抑え込む。ただここで気絶させては、せっかく追い詰めたのに情報を吐かせられずに終わってしまう。冷静さを欠けばそうなるところだった。


「娘が狙われると思って護衛をつけたってことかあ……? さすが社長、ネットワークが広大なこった……俺らも回りくどいことしちまったなあ……」


 今度は緋菜が表情を変える。怪訝そうな、と言うよりは不審がるような表情。少しずつ理解し始めたような男の言葉は、緋菜にはまだ謎の言葉の羅列に過ぎなかった。


「スイ、ねえ……まあ偽名を名乗るのは妥当かもなあ。なんせ二階堂グループの令嬢さん二階堂翠ともなれば、本名言い触らして出歩けねえよなあ……嘘だと思うなら、聞いてみるんだなあ」


 ますます意地悪く笑い、笑い声まであげる男。そんな男を視界には捉えながら、混乱し始めた頭の中を整理しようともがいていた。つまり、つまりだ。まず、スイは偽名。本名は二階堂翠。表じゃ有名な二階堂グループの、令嬢――誰に言われようとも、信じろというほうが無理な気がする。

 今は仮に、スイが二階堂翠であり、社長令嬢であるとする。これはその身代金だとかが目当ての襲撃か。しかし、この時間帯なら表側の人間が接触してくるはずがない。だから間違いなく、この男たちは裏側の人間。その上、裏側の人間は基本的に表の人間を襲撃になど来れはしない。箱庭に裁かれて終わりだ――嗚呼、意味がわからない。


「……吐く気はないぜえ、黒猫お」

「なら、しばらく寝てもらうわよ」


 この程度なら幾分仕方ない気はするが、やはり見抜かれたか。今この場ですべて吐かせることが出来たら一番手っ取り早い。かと言って下手に能力でも使ってスイにでも見られたら、依頼人の言葉に背くことになる。だから仕方ない。緋菜はバットで男の頭を殴り、気を失ったことを確認してから走り出す。うまく逃げていることを信じて、二人を探しに。


**


「――……ッなあ、まだ、走んのか……?」

「撒くまで、止まれない、です……!」


 途切れ途切れに疲労を訴えてくるスイ。その手を引き前を走る篝も、すでに息切れが激しい。けれど、止まれない。後方からはまだ走る足音が聞こえる。

 緋菜と別れて部屋を出て、マンションを出るまではよかったのだ。だがそこで待ち伏せていた輩に遭遇してしまった。あの男の仲間であろうことはすぐわかったので、結局捕まるわけにもいかず今だ逃亡を続けている。


「ちょっと、止まれ……考えが、ある」

 そう言って無理矢理足を止めるスイ。焦りが表情に出ている篝をよそに、スイは走ってきた道を振り返る。追走者たちが追い付いた。皆肩を上下させ息を切らしていることに変わりはないが、奴らの浮かべる笑みにはまだ余裕がありそうな気がした。素人の感覚だが。


「……てめえら、目当てはこれだろ」


 そう言ってスイがポケットから出したのは、綺麗な宝石のついたアクセサリー。いつから持っていたのか――彼女の部屋にいた時は見当たらなかったはずだが。一応、平静を装ってはいる自分たち。だが篝は混乱し始めた思考回路に動揺しそうになっていた。


「見に覚えのねーもんで追っかけ回されんのは理不尽だろうが……さっさと持って帰れハゲ」

「言葉遣いが悪いな姉ちゃん……ま、潔くて助かるぜ。これで目的の一つは達成した」


 そう言ってアクセサリーを投げて向こうへ渡してしまった。怒りや苛立ちを含んだスイの言葉に、篝は今彼女に話し掛けるべきではないと悟った。触らぬ神に祟りなし。良いのか、との声すらも掛けられない。

 受け取った男――スイの言った通り頭が残念な男は、相変わらずニヤニヤと笑ったまま。後ろに控えている仲間たちも同じ表情。目的の一つ、という言葉には引っかかるものを感じ、話を続ける男の言葉に耳を貸してやった。


「だが残念――もう一つの目的は、姉ちゃんの身柄確保だ」


 その言葉が言い終わるや否や、奴らはこちらへと距離を詰めはじめた。篝は思わず舌打ちし、再びスイの腕を掴み走り出そうとした――――が。


「な、なんだてめえ! どっから出てぐぼっ」

「いやー……悪いね、ちょっと邪魔だったからさ。あ、もう聞こえてないか」


 次々に聞こえてくる、鈍い音、たたき付けられるような音、そして悲鳴。自分たちと向かい合っていた男たちも目を見開き後方を振り返った。驚きと、未知のものを見る恐怖。篝たちも突然の出来事に動けずにいた。


「寄ってたかって女性と少年を追いかけるなんて大人げないっていうか……はい、俺はとても呆れました」


 男たちが薙ぎ倒されていく中で、よく通る声が一つ。次第に取り巻く男たちは残り五人に。ようやく姿を確認できた。少し尖ったような暗い茶髪。スタイルの良い長身の青年。だが何よりも印象的なのは、彼の瞳。鮮やかな赤。彼が歩み寄ると男たちは後退する。やがて動きを止め、彼はとても柔らかい笑顔をこちらに向けた。


「やり方が汚いよねー本当。あの子たちもまだ訳わかんないだろうし、俺が一肌脱いじゃおっかなー……ああでも、まだ一人足りないや」


 ぺらぺらと話しながら、頭の残念な男に近づき馴れ馴れしく肩を組んだ。軽く悲鳴をあげた男を見て、彼はくつくつと小さく笑みを零していた。


「……おい、知り合いか……?」

「少なくとも、俺のでは……」


 こちらに味方するように見える男の言動。だが、警戒せざるを得ない。何か危険な香りとでも言うのか、異質なものを感じていた。スイの問い掛けからすると彼女の知り合いでもないようで、また訳がわからなくなった。


「――倉科!」


 凛とした声に名前を呼ばれる。即座に声がしたほうへと振り返った。駆け寄ってくる緋菜。そこで篝はようやく安堵した。無事に合流出来たことにほっと胸を撫で下ろす。


「……何があったの? それに、あいつは……」

「ははっ、来た来た。やっぱりね、俺は正しかったみたいだ」


 訝しげに尋ねる緋菜には何も言えずにいた。なにせ何もわからない。よくわからないうちにスイは宝石を渡してしまい、奴らは目的がどうとか言ったあと、目の前の異質な彼に怯えている。

 その彼はと言えば、駆け寄ってきた緋菜を見て目を輝かせ、嬉しそうに笑った。男から腕を離すと、彼は再び話し出す。


「先日、あの有名な二階堂グループの社長に一本の電話がかかってきた。内容は『そちらの人間がうちの宝石を盗んだ。三日以内に返さなければ家族にまで被害が及ぶ』と。ことをおおっぴらにしたくなかった社長は信頼できる人間だけを使い事実だと確認、しかし盗まれた宝石と犯人は見つからず、知人を通して娘にボディーガードをつけてもらった……それが君だ、二階堂翠」


 饒舌な彼の言葉には一つ一つ、人を聴き入らせる何かがあった。あっさりした説明で細かい点はよくわからなかったが――彼が最後に述べた言葉、そしてスイを見つめたことにより少し見通しが出て来た。そして、遅れて驚愕した。


「……は? え、スイさん……え?」

「本当だよ、あたしのくだりはな。多分全部、本当なんじゃねーの」


 今度はスイが舌打ちをした。不機嫌そうな顔ではあるが、彼女もまた黙って彼の言葉を聞いていた。緋菜のほうへ視線を移すが、まったく動じていなかった。知っていたとでも言わんばかりに。すでに何か他のことを考えているようだった。


「まあ電話をかけたのは彼ら……無名の悪党集団なわけだ。昨日が約束の三日目だった、だから日付が変わった瞬間に自分たちの立場を利用し襲撃した。でも残念、ボディーガードが凄腕だったんだよねえ。君達の無茶苦茶な作戦、あれは彼女の身代金でも貰おうと考えてんだろう? 宝石を盗んだ犯人は君達、それを彼女の家に送り付けたのも君達だ。そりゃあ見つかるわけない」


 嘲笑うように吐き捨てたあと、彼は宝石をまだ手に持っていた男の腹に、思いっ切り蹴りを入れた。地面に転がる男。彼は男には目もくれず手からこぼれ落ちた宝石を拾い上げた。

 そこで、直感ではあるが篝は感じていた。この男は、危ない。ただの味方なんかじゃない、能ある鷹だ。早くこの場を離れたほうが良い。だが動けばどうなるのか?


「て、めぇ……三つ首……!」

「あれぇ、君らみたいな底辺でも俺のこと知ってくれてるの? 嬉しいなあ」


 にっこりと優しそうな顔に柔らかい笑みを浮かべる。非常にこの場にそぐわない、だが言葉通り嬉しそうに笑っている。しかし次の瞬間にはそんな表情は何処かへ失せてしまった。もう一度男の腹を蹴り、残りを殴り、蹴り、片付け、また笑った。


「みんな俺のこと適当に略してくれるけどさあ……俺には三つ首の番犬(ケルベロス )って名前があるんだよね」


 本名じゃないけど、と肩を竦めて付け加えた。三人とも、もう確信していた。肌に感じる危険、身を包む恐怖。彼はおもむろにこちらへと向き直る。身を凍らせた二人をよそに、緋菜は数歩前へ出る。空気すらもこの一触即発の雰囲気を感じているかのように、音のない世界で彼らは対峙していた。

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