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その婚約者は爆発寸前です。

作者: ぽんぽこ狸




 ロレッタは婚約者のジュードにエスコートされて、ワルツを踊っていた。


 彼はとてもエスコートがうまくて紳士的で、同世代の貴族たちから人気が高く、甘いマスクを持っている。


 彼がニコリとほほ笑むとポッと頬を染めて恋に落ちるそんな女性がたくさんいることをロレッタは知っていた。


 けれどもロレッタだって負けていない。


 どんな部分が勝っているかと言えば、それは純粋に、衣装だった。


 今日の衣装の気合の入れようは、ここ最近で一番と言っても過言ではないぐらいだった。


 ロレッタの深い藍色のドレスにはふんだんに金の刺繍が施され、ところどころダイヤがちりばめられている。


 それが、ホールの明かりに反射してキラキラと光っている。


 まるで魔法でも使っているかのような美しいドレスで舞うロレッタのことを誰もが目で追う。


 芸術品のようなドレスにうっとりとして見とれている人もいた。


 あっという間に一曲終えて、ロレッタはジュードに笑みを向けた。


「素晴らしいエスコートでしたわ。ジュード様」

「君もいいダンスだったよ」

「ふふ、ありがとうございます」


 ロレッタが褒めるとジュードもにこりと笑って同じように褒める。


 その笑みは本物で、彼の気持ちをロレッタは嬉しく思う。


 けれども、それから少し間が開いた。


「……」

「……」

「それで、今日はお忙しいのかしら」

「ああ、そうなんだ。すまないね、いつもの会に参加しなければいけなくて……」

「まぁ、それは大変ですわ。ジュード様、……たしか、”新月の集い”という名前だったかしら」

「そうだよ。王都の少し外れの自然豊かな土地にある、我がヘイワード侯爵家の別邸に集まって天体観測に精を出す。気の知れた同じ趣向を持つ貴族しか呼ばない気楽な集まりさ」


 話をしながら、ロレッタとジュードは二人してホールをゆっくりと歩く。


 出口へ向かって彼を見送るためだった。


「楽しいものだよ、少し酒を入れて、夜通し話をしながら夜風にあたり……少し開放的な気分になったりして……」

「……」

「私がかねてよりたかったことだ。人との距離もぐんと縮まる。誰もかれもが自分のことを受け入れてくれるとわかるよ、それに自分も多くのことを許容できるのだと知ることができる」


 それらの言葉は彼が、その会に人を誘う時の彼の決まり文句だった。


 しかしロレッタは知っている。


 その会がどういうもので、なにを目的にしているのか。


「……前々から誘っているけれど、君もどうかな? 楽しいよ。なにも悪いことなんてしていないんだ、別に人間だもの、どんなふうに生きたって良いんだよ。ああもちろん、嫌なことなら断れる」


 そうしていつものようにジュードはロレッタのことを誘う。


 彼は、ロレッタがその新月の集いがどんな集まりなのか理解していることを知っていると思う。


 しかしロレッタはいつものように、おっとり微笑んで頬に手を沿えてうふふと笑った。


「そうねぇ、星を眺めながら語らって新しい出会いを探すのも一興かもしれませんわ。でも生憎、わたくし、そう言った楽しみに興じるよりも商いのことを考えている方が楽しいわ」

「……つれないな。きっと行けば君も楽しめるよ? 私は確信してるんだ、君は私ときっと同じだ」

「……」

「何物にも囚われ無い、自分の愉悦を探して手段を問わない、そういう人種じゃないのか」


 ジュードはロレッタのことを自分そっくりの人間だと思っているらしいが、その言葉にロレッタは適当に返す。


「……さぁ?」

「……わかったよ。今日はこれで失礼する。すまないね、ロレッタ」

「ええ、またいつかジュード様。さようなら」


 そうしてホールの出口に近づいて、彼は彼の言葉に真剣に答えるつもりのないロレッタの手を離す。


 そして身を翻して、去っていく。


 新月の集いは、天体観測を目的とした若年層の貴族の集まり、ということに表向きはなっている。


 しかし、本当のところはそうではない。


 複数人と乱れながら体を重ね、冒涜的で非倫理的なことをして好奇心と欲の限りむさぼるように夜を楽しむそういう集まりである。


 そして、その創設者がロレッタの婚約者のジュードだ。


 彼が人ごみに紛れて、消えていくその背を見つめつつ「カイル」と短く従者を呼びつける。


「はい」


 すぐにそばに寄り、かがんでロレッタの言葉を聞き逃さないように視線を向ける彼に、ロレッタはニコと微笑んだ。


「見ておいて、報告を。いいわね」

「はい」


 言いつけると、彼は深く説明せずともジュードの後を追っていく、そうしてロレッタは振り返ってホールの中に戻ったのだった。





「ズバリ、秘訣ってあったりするのでしょうか?」

「あ、良いですね。それ聞きたいです」

「わ、わたくしもっ!」


 軽やかなワルツが流れる中で、ホールの中に戻ったロレッタは、話を聞きたい同世代の貴族たちに囲まれてゆっくりとくつろいでいた。


「秘訣、ですか」


 このドレスがよっぽど利いたらしい。


 ロレッタは内心、とても悪い顔でにんまり笑みを浮かべていたが、きちんと優しげな顔をして彼らに問い返す。


「はい、そうです。なんせ、レッドフォード伯爵家の快進撃はなにより有名な話ですから」

「そうですよ。どこの商会も厳しい中で、ヘイワード侯爵家と協力して今では国で一二を争うほどの大きな商会になったのですもの!」

「先日は、あのサファイアの噂で大きな利益を得たと聞きました、そういう物を見分ける嗅覚だったり、なにかロレッタ様が意識している秘訣ってあるのかなと思いまして」


 一言問いかけるだけで、彼らはペラペラとロレッタの為によくしゃべる。


 その様子はとても素直で、ロレッタもついつい言ってはいけないことまで喋ってしまいたくなるぐらいだった。


 ……ダメですね。わたくしったら、悪い癖ですわ。


 それに今は、彼らは知らないでしょうけれど、山場ですもの。きちんとしましょうか。


 そう気持ちを切り替えて、ロレッタは「そうですねぇ」ともったいつけて言った。


 そもそも一から説明すると、レッドフォード伯爵家は小さな商会を抱えている斜陽の家系だった。


 しかし、跡取りのロレッタが”運よく”ヘイワード侯爵家の次男と婚約を取り付けたことによって、めきめきと力をつけ始めていた。


 ヘイワード侯爵家の持っている伝手は、やはり大貴族とあってそれなりであり、彼自身にも多く助けられた。


 そしてロレッタは、商会の扱う品の中に宝飾品を増やし、商会の名前を使って、独自に商いをしてきた。


 その収益が実家に大きな利益をもたらしていることも事実だし、ロレッタにはその才があった。


「そうですわね。ありきたりなことを言うようだけれど、大切なのはなにを”いつ”するかということですわね」

「……」

「……」

「……」

「サファイアの件もそうですわ。隣国の採掘場で事故があったという話は唐突でたしかに値段は高騰した。けれどもその後、ぞの噂は嘘とわかって以前と同じどころか、それ以下まで落ち込んだ」


 彼らはロレッタの言葉に一心に耳を傾けていて、ロレッタは神の言葉を伝える神父にでもなったような心地だった。


「多くの人は、ことが起こってから今の状況を見て判断するわ。でもサファイアの時と同じように、うわさが巻き起こったその時が関与するときではなく、一番利益が大きく出る、売り抜けるべき時だった」


 それがわかっていたから、ロレッタはいち早く売り抜けた。


 もちろん勘と同時に、カイルが収集してきた情報があったからこそできた判断ではあったがそれでも、先を見据えて手に入れておくこと、そして今だと思った時にさっさと手放すこと。


 それが、当たり前だけれどとても大切なことなのだ。


 ……まぁ、でも今回のことについては売り抜けるのが遅いから、少しだけダメージを受けるけれど、それは今までずっと良い思いをさせてくれた彼に対する報いというものね。


 心の中だけでそう口にして、ロレッタは、一人でこのまま話し続けるのもつまらないので続けて言った。


「だからいつやるのか。それがわたくしの秘訣、かしらね。そんな大層なものでもなかったでしょう? それに一人で話をするのって苦手だわ。あなた達も自分がどう思うのか、教えてくださる?」

「も、もちろんですっ」

「そうですよね、一人で話させてしまって申し訳ありませんっ」

「良いのよ、人は多い方が楽しいわ」


 ロレッタがそう言うと、今まで会話の輪に入ることができなかった貴族たちもロレッタたちの方へとやってきて、ニコニコと私も、自分もと声をあげる。


 そうしてロレッタたちは、賢い商いの仕方について話し合っていたけれど、ふと視界の端に、こちらをじっととみている妹の姿がうつったのだった。




 


「ずるいわ……ずるい」


 妹のレイラはロレッタに対して帰りの馬車で嫉妬にまみれた声でそう言った。

 

 ロレッタは、彼女の言葉にチラリと目線を向ける。


「お姉さまばっかりずるい! お姉さまには素敵な婚約者のジュード様もいて、なんでもいうことを聞く従順な従者もいて!」

「……」

「そのうえ、そんなドレスまで仕立ててもらって、みんなに注目されてずるい!」


 彼女はヒートアップしてその金の瞳を歪ませて、眉間にしわを寄せる。


「いっつも、いっつもそう! タイミングがいいだけなのに、ぜーんぶお姉さまが良い思いばっかりして、ずるいずるいずるいずるいずるいずるい!」

「そんなに何度も言わずとも伝わっているわよ。レイラ」

「わかってるなら、なにか言ってよ! 朴念仁!」

「……」

「また黙った! ずるいのに! お父さまもお母さまもどうして私に同じドレスを仕立ててくれないの!」


 言葉を返してもレイラはまったく静かにならずに、ずるいずるいとわめきたてる。


 小さな馬車の中なので、彼女のキイキイとした声はよく響いてロレッタの眉間にも若干の皺が寄った。


 彼女はいつもこうである。


「運がいいだけなのに、私の方が可愛いのに! なんでお姉さまばっかりいつも注目されるの!」

「……」

「私が可哀想だと思わないの! 冷血だわ、血も涙もないのだわ! 私知っているのよ! お姉さまは皆が思うような優しくて素敵なお姉さまじゃない!」


 彼女は一人でペラペラとロレッタのことを罵り始める。


「お姉さまは薄情で、冷酷な人だものっ、私わかってるんだから!」


 威嚇するように睨みつけて言うレイラに、ロレッタはまぁ間違ってはいないと思った。


 彼女はロレッタの化けの皮をはがしてその裏側を知っているような口ぶりで言うが、正直ロレッタ自身は隠しているつもりすらなかった。


 ただ社交場ではあのように振る舞うことが貴族らしいし、人に好印象を与えるからそうしているだけだ。


 彼らは総じてロレッタのことを少し勘違いしているだけだ、だからそんなことを知っているのだと言われてもだから何だと思うだけ。


「……だったら、なんだというのよ。レイラ。もう少し静かに話をしない?」

「だったら何ですって? ほら出た、私相手には取り繕う気すらないのね! 私なんて価値がないから!」

「……」

「それなのに、お姉さまったら、ジュード様にあんなに素敵な笑みを向けられて、あの人に助けてもらってお家だってうまくいっているのに!」

「……」

「お姉さまみたいな人、あの人にふさわしくないのよ! もっと優しくてかわいい人がお似合いなの!」


 レイラはそうして、また騒ぎ立てた。


 どこからどう訂正しようとしても、意味がないほどレイラはあまりに表面上のことしか見ることができていない。


 それをどう説明しようかとロレッタは少し頭を悩ませる。


 彼女はこういう所が駄目なのだ。


 自分でそう思っている通り彼女は愛らしい。ロレッタよりも華のある美しさを持っている。


 それなのに、なんにでも素直で傲慢で、もう少し自分の欲求を隠さないことには彼女の望むような素敵な男性は現れないし、現れたと思ってもそれは幻だ。


「それなのに……あんなに素敵なダンスを踊って……私もそのドレスが欲しい、私もあの人が欲しい! お姉さまばっかりずるい!」


 そして、ロレッタに若干のあこがれを持っている。それが透けて見えてしまうからロレッタはこれがまた厄介だと思った。


 素直過ぎるほどに素直ならば、もしくはただ傲慢なだけならばそれほど気にする必要もなかったが、彼女はそうではない。


「……どうしてお姉さまはいつもそうなの、私の邪魔ばかり」

「いなくなってしまえばいいと思う?」

「…………どうしてそう意地悪なことをきくのよ! でもずるい! 私に頂戴よ、もう我慢ならないのよ! 誘われてるんでしょ、新月の集いに」


 そうして彼女はどこから聞いたかわからないが、ジュードの開いている集まりのことを持ち出した。


 隠してはいない情報……というかむしろ意図的にロレッタはそれへの参加を拒絶していることを示している。


「行ってあげればいいじゃない! どうしてそう蔑ろにするのよ! 可哀想だわ! お姉さまじゃなくてジュード様が愛した人が私なら! もっと寄り添ってもっと大切にして! もっと、私なら……」


 そうして彼女は、ロレッタに対する不満を口にした。


 ロレッタが誘いを断っているという話を聞いて今日の様子を見ていて、嫉妬と不満が爆発したようだった。


 なにも知らない彼女は、昔からこうなのだ。


 何故、ロレッタが彼女からしてタイミングがよく見えるのかを知らないし、自分の世界で生きていてロレッタに文句を言ってくる。


 言ったって無駄だとも思わずに。


「ちょうだい、あの人をちょうだいよ。お姉さまばっかりずるい、私ならもっと愛してあげるもん。それで私も人に囲まれてウハウハしたい」

「っ、……」

「なに笑ってんのよ! いっつもそう! いっつもそう!」

「っく、くくっ」


 今にも地団太を踏みそうな彼女は、またキイキイと声をあげてロレッタのことを罵った。


 ……ウハウハ? ……っだめね、なにを言っているのこの子は。


 しかしロレッタは彼女の言葉がツボに入ってしまって、肩を揺らして笑った。


「お姉さまなんて嫌いよ! いっつもそう! 私だって……私だって…………嫌いよ」


 今にも泣きそうな顔をして可愛い妹はロレッタを睨みつけた。


 その言葉に、ロレッタはまたどうしたものかと思ったが、まさか、いくらロレッタと違って、人よりもタイミングの悪い彼女だからと言っても、このタイミングで一線を越えるようなことはないだろうと考えた。


「わたくしは、嫌いとまでは言わないわ。……だからこそ忠告よ。馬鹿なことはしないことね。取り返しがつかなくなるわ」


 そして一つ忠告をしたが、レイラは「私を馬鹿だって言いたいの! ひどい!」とヒートアップしたのだった。


 





 今のジュードは、導火線に火のついた爆弾のような存在だった。


 彼は、割と賢く人を見抜くし堅実な方である。


 しかし、彼はそれ以上に自分の愉悦を優先するきらいがある。


 そしてその癖は長いことものを隠しきるのに向いていない。


 すでに新月の集いの本当の姿は、一部貴族の中でまことしやかにささやかれていた。


 そんなものを王族が放っておくわけがない。カイルからの情報を得て、すでに新月の集いに集まる人間を監視する王族の手先の人間が確認できている。


 だからこそ爆発するのは時間の問題で、その被害は彼一人だけには収まらない。


 被害が出る。


 それをもろにかぶることにならないように、ロレッタはわざと豪奢なドレスを仕立てて、わざと舞踏会に残り、人々の記憶に残って善良で何も知らない女性を演じた。


 アリバイを作っておけば、参加していたのではと疑われることもない。


 多少の迷惑は被るが彼には恩がある、だからこそ最後まで付き合った。


 それが恩返しになったかどうかは知らないけれど、ロレッタは騙されただけ被害者、そう映るそれで彼のことは処理ができる……はずだった。



 

「ううっ……ゔうぅ……お姉さま、ごめん、なさい、ごめんなさい……ゔ、うぅっ、うぅ……」


 目の前には、王城の牢獄に捕らえられたレイラの姿があった。


 彼女は毛布に包まって、酷い顔をして涙を流している。


 毛布の下はあられもない姿だった。


 とてもじゃないが貴族としての品格を保つことはできないだろう姿に、ロレッタは少し困って、お付きの侍女に指示して服を着せるように頼む。


 端的に言うとレイラは一線を越えた。


 ジュードに自分なら一緒に天体観測を楽しめるし、ロレッタよりも優しいし、可愛いし、ふさわしいと彼にすり寄った。


 その結果、次の新月の集いに招待されて、彼らの集まりの正体を知った。


 そこで彼女が望んで行為をしていたのか、もしくはジュードに気に入られたい一心でそうしたのか、わからなかったけれど一緒になって乱れているところで、騎士団が突撃した。


 そしてこんなあられもない姿で、世間体の悪すぎる集まりに参加していた罪で捕まり、牢に入れられた。


 いくらタイミングが悪いと言っても、まさかこんなすべての凶事を引き当てるようなことをするとはロレッタも流石に想定外だった。


「お嬢様、伯爵の手続きが終わったそうです。もう連れ帰っても問題ないとのこと」

「ええ、ありがとう。カイル」


 従者のカイルがやってきて、ロレッタにそう告げる。


 侍女たちに簡素なドレスに着替えさせられたレイラはまた毛布にくるまってふらふらとした足取りで牢を出た。


 それから屋敷に戻ったのだった。





 引き取ってきたレイラはいったん休ませることにして、ロレッタは両親から相談を受けた。


 彼女をどうしたらいいのか、彼らはまったく見当がついていない様子で、変わらずロレッタがどうして今回、新月の集い騒動に巻き込まれなかったのかわからない様子だった。


 そして、運が良かった、ロレッタはさすがだと意味も分からず言う。


 更に、自分たちが溺愛している愛娘さえ、ロレッタに将来をゆだねてしまうだから、ロレッタはレイラよりもよっぽど彼らのことを愚かだと思った。


 レイラは、間違えても自分で判断をして行動を起こす人間だ、素直さには欠けるけれど、一方彼らは思考が停止していて、なにも考えていないから何もできずに人を頼るだけだ。


 ロレッタの苦労も、レイラの気持ちも知らずに。


 そう思うと、ロレッタは荒んだ気持ちになった。


 それから侍女を下がらせて、部屋を明るくするランプの明かりをじっと見つめるのだった。


「……」


 手元にはペンと紙があって、さらさらとレイラの名前を他人事みたいにフルネームで書いて、ついでにジュードの名前も書く。


 彼には重たい罰が下されるだろう。


 それは免れないことだと思うが、彼にとってはそんなこと予測できていた事態だろう。どうなろうともなろうとも知ったことではない。


 問題はやはりレイラだ。


「……」


 ロレッタが、何も書かずにまたランプの炎の揺らぎを見つめていると、扉が開く音がして、ロレッタはそれに視線を向けなかった。


「……お嬢様、言われていた通り、同派閥で下級貴族の未婚男性のリストアップが終わりました。あと既婚者でも王都から距離のある領地に住んでいる第二夫人を探している男性も」


 言いながら彼は、ロレッタの前に書類束をいくつか置いて、ロレッタのことを窺うようにソファーの横で膝をついて、小首を傾げた。


「この際なら、愛人でもなんでもいいんじゃないですか。集いに集まっていた若い貴族はそれなりに人数がいましたし、意外なことに女性の比率が多くて身分の高い方もいらっしゃってました」

「……」

「同じことを多くの人が考えるならば、早急にかたをつける方がいいかと俺は思いますけど」


 彼は気さくな笑みを浮かべつつ、すでにレイラを片付ける算段を頭の中で立てている様子だった。


 それはもっともな意見であり、彼女がどんなふうに傷ついて、彼女が一度の過ちしか犯していないのだとしても、事実、彼女に汚名がついた。


「お嬢様に、対しても目障りな行動や言葉が多かったですし、厄介な人がいなくなればもっと動きやすくなる」

「……」

「伯爵や、伯爵夫人はお嬢様に逆らいませんし、むしろ伯爵や伯爵夫人が甘やかして費用がかさむこともなくなって結果オーライなぐらいじゃないですか」


 カイルはレイラに対して、そんなふうに言った。


 彼が彼女をそう思っていたことは知っていたし、彼の頭の中にはロレッタ以外のことがあまり重要視されていないので、出てくる言葉を冷たいとは思わなかった。


「結果オーライね……」

「言葉が過ぎましたか?」

「……別に」

「ちょっと怒ってますか」

「とくには」

「……」


 カイルの言葉にロレッタは短く適当に返す。


 カイルは少し困っている様子だったけれど、低い位置にあるその頭に適当に手を伸ばした。


「……」

「……」


 それから、手慰みに撫でつけて、ロレッタは考えた。


 レイラは自業自得だ、それは事実だ。


 父や母にそのことを話して、彼女を適当な男の嫁に入れて、家のために放逐しようと言えばきっとその通りになる。


 けれどもロレッタは少しなんだか荒んでいて、じりじりとした変な感覚があった。


 その答えはでなくて、変に悩んでしまっていてらしくないと思う。


「……そうですわね……ただ……引っかかっていて」

「なにがですか」

「なんでしょうね。あの子があられもない姿だった時、多少溜飲が下がる気持ちもあったわ」

「はい」

「でも、それだけじゃなかった。なにか……」

「同情した、とか」

「いいえ」

「じゃあ、怒りを感じたとか」


 カイルに聞かれてロレッタは、静かに首を振った。そんな感情じゃない。


 なんせ、ロレッタは彼女が言う通りの人間だ。冷徹で非道で、血も涙もない。


 だからジュードに忠告しなかったし、レイラの素直で傲慢な性質をどうにかしようとも思わなかった。


「なら、なんだろう。俺はわかんないです」


 カイルにもわからない様子で彼は首をひねった。


 そんな彼の仕草が少し愛らしく思えてロレッタは少し笑みを浮かべた。


「お嬢様は、あんまり人に同情とかしないですし、現実主義が行き過ぎてるところありますし」


 続けて彼の言う言葉にロレッタは、彼から言われて少し引っかかったが、間違っていないので否定はしなかった。


「なら、なんでしょう、価値を感じた……とか?」


 ふと問われてロレッタは、カチッと閃いて、勘が働いて、いいことを思いついた。


 しかしそれを思いついてから、自分にがっかりした。


 レイラに対してあの状況を見てから、すぐにそれを感じていたというのならば自分はやっぱりどこかおかしいような気もする。


 誰もが不憫だと思うような状態で、たった一度の嫉妬からくる過ちだと知っていながら、彼女を利用できると察知して、捨てるだけではもったいないと感知していたのならば、それは人間性が大きく欠如している気がした。


「……」

「お嬢様、そういうところあるし。……でも確かに、今のレイラ様なら扱いやすそうな気もするけど」


 そうだ。扱いやすい、それに彼女は美しい、ロレッタよりもずっと。


 さらにいうと、貴族の女の子は汚点が命取りだ。


 多くの貴族は慌てて自分の娘をどうにか誰かの嫁に入れようと躍起になるだろう。

 

 しかし、カイルが取っていた新月の集いの参加者には、高位の令嬢もいた。


 全員に汚点がついて回るなど国の一大事になりかねない。


 隠蔽される可能性だってある。


 ここで彼女を処分してしまっては金を泥沼に落としたからと言ってあきらめる様なものだ。


 …………。


 そこまですぐに頭が回った。


 もっといい使いかたがある、彼女を手放すのは今じゃない。もっと早くか、もしくはこれから価値が高まってからだ。


 ……そうね、それが一番しっくりくるわ。一番いい。


 答えが出るとロレッタはぞくっとしてはぁっとつやっぽいため息をついた。


 しかし、ふっと頭の熱が冷める。


 こうなるともはやジュードが言っていた言葉も間違っていないのかもしれない。


 手段を選ばず、自分の愉悦を探求する。


 それだけの人間なのかもしれない。


 あれだけ傷ついた妹の姿を見ておきながら、そう感じるのだからやっぱりどこかおかしいのだ。


「そうかもしれないわね。残念ながら」

「残念ですか? 俺はそうは思わないけど」

「……どうして、だっておかしいでしょう。わたくしは……」


 カイルの言葉を疑問に思って頭をなでるのをやめて身を寄せると彼は、まっすぐな瞳でロレッタのことを見つめ返す。


 ロレッタの言いたいことは理解しているらしく、皆まで言わずとも彼は言う。


「おかしいかどうかは知らないです。でも、俺はお嬢様が望んでくれたからこうしてそばに居られるわけで」

「……」

「それが、どんな感情でも、手を貸してくれる人であるということに変わりなくないですか」

「……」

「だから、お嬢様に取って価値があるなら、喜ばしいことです。俺からすると」


 カイルはそう平然と言う。


 たしかに彼をそばに置いているのは、その彼の献身さと能力をロレッタが買っているからだ。


 あまり良い出身ではない彼を手元に置くことにした。


 価値を感じたから。


 けれどもそれはあまりに人間的な感情を排除しすぎた考え方で、とてもきれいな物とは思えなかった。


「それに、もしかするとそれがお嬢様なりの思いやりの形なんじゃないですか?」

「?」

「価値を感じて手元に置いて、価値が高くなるように手を尽くすんですから、そうしたいと思ってから価値があると思ったか、そうなりそうだから価値があると感じたのか、俺にはわかんないけど」

「……」

「でも、お嬢様にとって価値を見出せるものって山ほどあるはずです。その中でも手に取るものを選んだのはお嬢様で、その理由にはなんかお嬢様の感情があると思うんですけど」


 彼は言いながら困った顔をして、逆説的な考えを口にした。


 価値を感じたから手に取ったのか、手に取りたいと思ったから価値があると思ったのか。


 たしかにそれを意識したことはなく、レイラに対してもどちらかとははっきりと言えない。


 彼女の価値を最大限にしてから……多少はマシな相手を見つけられるようにしてから手放したいと思ったから、引っかかっていて、閃いたのか。


 それはロレッタにもわからないことだった。


 けれども、たしかにそう考えることもできなくはないだろう。


 否定はできないし、そうだったら良いなと思った。

 

 そうだとしたら、きっとロレッタは、やってしまった妹のことを呆れる気持ち半分、厄介に思う気持ち四割、そして残りの一割で、手を貸したいと思っていたと思うことができる。


 ……そうだったら、良いですわね。わたくしもその方が、自分のことを多少マシな人間と思えますもの。


 そう思って、ロレッタは「いいことを言うわね、カイル」と褒めて、それから頭を切り替えた。


 うじうじと悩むのは、らしくない。


 さっさと、彼女のこれからを決める必要があるだろう。


「レイラは、泥のついた金塊ですわ。今は泥まみれだけれど、キレイにするだけの価値はある。なら手間をかけてもいいでしょう」

「……はい」


 しかし、切り替えたロレッタとは違ってカイルは少し不満そうな声で返事をする。


 その彼の些細な変化が気になって、ロレッタは首をかしげてなにか不満かと言外で示した。


「…………いいえ、ただ、本当に俺にとってはうらやましいぐらいなんです。金塊と言ってもらえるようなレイラ様が」

「なぜ?」

「……俺はきっとお嬢様に取って道端の石ころにもみたない価値の存在ですから、卑屈なことを言ってすみません」


 ふてくされたようにそう言ってから、すぐに謝る彼は、レイラよりは大人だけれど、ロレッタよりは少し年下で、とてもまっすぐに嫉妬している様子だった。


 それがとても少年らしく純粋で、ロレッタからは彼の中にある感情がとても可愛らしく移った。


 自身は、価値を通してしか人を判断していないけれど、彼の中にはロレッタを思う気持ちやそれに伴う嫉妬があって、大切に思っている故にそれが生まれると思うと、純粋に嬉しく思える。


 ジワリとした熱が体に広がって、ロレッタの冷たい体に血を通してくれているように感じる。


「……カイル」

「なんですか」


 少し頬を染めて、複雑そうにこちらを見る彼の頬に手を添えた。


 それからロレッタは言った。


「たしかにあなたは石ころですわ。誰にも価値を見出されない名もない石ころですわ」

「わかってます」

「けれどね、カイル」


 そうして、少し腰を浮かせてロレッタは彼の方へとソファの上で移動して、更に顔を近づけた。


「わたくしにとってはなにより価値のある石ころですわ。……ダイヤモンドよりも、サファイアよりも金塊よりも」

「?」

「宝石だって、ただの石ころですもの。それを人が勝手に価値をつけた。だから価格があがったりさがったりする」


 ロレッタの目はとても美しいものを見る目をしていて、彼は眩しいぐらいにロレッタにとって価値がある。


「だからわたくしは、それらを一時手元に置いて上がれば売るし、下がれば買う、でも本当に大切なものは、どんなに周りが価値を低く見積もろうと高く値をつけようと売ったりしない」

「……」

「わたくしが一番高く価値を見積もっているのだから手放すわけがない、宝物なのだから。あなたはわたくしにとって何より価値のある道端の石ころですの」


 そうしてゆっくり頬を撫でた。


 そもそも、ロレッタは彼を市場価値ですら判断していない。


 売り渡すつもりがないので、傷がついていようと、名がついていなくても関係ない。


 だからこそ、地盤が固まったらやろうと思っていたことがあった。


「だからあなたは、誰にも嫉妬する必要もありませんわ」

「っ……」


 頬を染めて恥じらう彼は初々しくて、けれども、ロレッタはそれで引く気がなかった。


 ロレッタの空いた婚約者の席、将来の結婚相手、その地位にいつ彼を据えようかと狙いを定めていたのだから、むしろ逃がすつもりがない。


「ねぇ、カイル。むしろわたくし、あなたが自分の価値に気が付いて逃げ出そうとしたって手を離しませんわ。あなたがわたくしを避けてもわたくしはあなたを繋ぎ止める」

「なっ、突然、なんでっ、すかっ、び、びっくりするんで」

「言っていなかったけれど、空いた婚約者の席にはあなたが座るのよ。一生わたくしの宝物よ。あなたは」

「はっ、はぁ? う、嘘ですだ、って言ってくださっ」

「言いません。カイル」


 そうしてロレッタは、たじたじになってロレッタのことを縋るように見つめる彼を、狙いを定めた猛禽類のように鋭く見つめて、そのまま唇を奪った。


「っっ~!!!」

「誰にも文句は言わせませんわ。わたくしにはそれができる。そう思いませんか?」

「わっ、わかんなっ」

「できますしやりたいんですもの。ふふっ、逃がしませんわ」


 ロレッタは彼の手を取って、笑みを深める。それから唇をペロリと舐めて喉を鳴らして笑ったのだった。





「本当に馬鹿なことを、してっ……ごめんなさい。忠告を受けておいて、私なにも、わかっていなかった。お姉さまのことも……ほかの人のことも……なにも、言えない、ぐらい、迷惑をかけて、ごめんなさい」


 翌日、レイラはロレッタの元へと謝罪にやってきた。


 その言葉を聞いて彼女が、いろいろと考えたことがわかる。


 それにあの夜の出来事が相当堪えたのだろう、目元には隈があってきちんと眠れてはいないようだった。


 そんな彼女にロレッタは言った。


「……謝罪は受け取りますわ。……それで、自分がこれからどうなるか考えたかしら」

「っ……考えたわ」

「……」

「良い結婚はできない……と、思う」


 彼女の言葉は一般的に考えれば妥当な言葉であり、それを覚悟しているようだった。


 けれども、ロレッタは先日答えを出した。


 これが、ロレッタの中にある彼女を思う気持ちから来ていることかどうかはわからない。


 けれども捨て置かないそう決めた。


「……悪い相手でも、受け入れる……頑張り、ます」

「そうですわね」

「……」

「レイラ」

「……うん」

「あなたにきちんとした覚悟があるなら、貴族としてレッドフォード伯爵令嬢としてきちんとした結婚相手を探すことを手伝いましょう」


 ロレッタの言葉に、レイラは目を見開いて、その瞳は滲んできらりと煌めく。


「わたくしのことを信頼していうことを聞けるかしら」


 問いかけると彼女は、少し鼻をすすってそれから、濁音交じりに「ゔん」と返事をする。


「……ありがとう、お姉さまっ、ありが、とう……ずっとごめんなさい」

「いいえ、わたくしも……あなたに向き合うのが遅くなったわね」


 そうして、ロレッタはレイラのことを受け入れて新しい相手を探すために奔走することになった。


 カイルとのことももちろん同時進行で。


 現実的に考えるならば負担ばかりが増えていると言える。


 しかし、ロレッタの中ではこれがしっくり来ていて、同時にどこか満たされている。

 

 それが自分の中の見えづらい気持ちに従った結果であることは、長い時間をかけてわかるようになっていったのだった。





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