くまの背中
私の部屋には、母からもらったくまのぬいぐるみがいる。 小さな頃からずっと、私を見守ってくれていた。 その丸い目は、何も言わないけれど、いつも私の気持ちを知っているようだった。
彼とは一年付き合っている。 優しい人だと思っていた。 でも、いつの間にか、私の「選ぶ」という感覚は彼の「決める」にすり替えられていた。 デートの場所も、時間も、話す内容も。 そして今日、彼は私の部屋に来た。
「ねぇ、加奈」 彼の声は、いつも通り穏やかだった。 でもその言葉の奥に、何か重たいものが潜んでいた。
「俺とSEXしてくれ」彼はそう言った。
私は、言われるままにしようと思った。彼は私の身体を触って、キスをしてきた。
彼はくまのぬいぐるみの視線が気になると言った。私はそれに従い、くまのぬいぐるみを壁に向けた。 その瞬間、胸の奥で何かが音もなく崩れ落ちた。
誰にも気づかれない、小さな悲鳴のように。
私たちはそのまま一夜を共にした。私は何も感じなかった。 ただ、くまのぬいぐるみの背中が、私の心のように見えた。
それから彼は、何度も私の部屋に来た。 同じように、同じ時間を繰り返した。 私は、くまのぬいぐるみを壁に向けることに慣れてしまった。
ある日、彼が突然亡くなった。 原因は不明。 彼の身体は、絞った雑巾のようにねじれていたという。 私は泣かなかった。 涙は、もう枯れていたのかもしれない。
その夜、私はくまのぬいぐるみを抱きしめた。 壁に向けていたその背中を、そっとこちらに向けて。 丸い目が、静かに私を見つめていた。
「ごめんね」 私はそう言って、くまのぬいぐるみに顔をうずめた。 その柔らかさが、初めて私を守ってくれた気がした。




