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至上命題  作者: Z子
3/3

命題3:愛か否か

 




 左胸を狙った短剣は不快な甲高い音とともに弾かれる。

 どうやら、重そうな正装のその下は簡素な鎧でもつけていたらしい。弾かれた拍子に切り裂かれた正装の下、鈍く光る金属が目に入った。正直、この距離にならなければ男に刃を届けることなど出来ないだろうからあたしは絶好の機会をふいにしたということになるのか。


 そのまま返す手の勢いで首を狙うが、利き手が自由になる方が早かった。これなら始めから目に狙いをつけて置けばよかったかもしれない。


 酷く何気なく、五歩程度離れた場所に立つ男に、あたしは冷めた目で笑った。


「はっ、あたしの手で死ぬなら本望じゃなかったの?」

「今、何の躊躇いもなく心臓を狙いましたね。堪りません。……嗚呼、失礼。貴女の手で今世と別れを告げるのはこの上ない喜びですが、今は残念ながらそのご慈悲を受け入れるわけには参りません」

「口先ばっかりねシリウス・カルツァ宮廷伯爵」


 折れる寸前といっても過言ではなかっただろう。うっ血が残った手首を一瞥する。ああ気持ち悪い。

 男は相も変わらない貼り付けた笑顔のままで首を傾げる。


「アーヤ、私の女神」


 返事を返すのも面倒で男を睨み付けてやる。


「私は、貴方を返したくなどないのです」

「それがウザいつっってんのよ」


 一瞬で総毛だった。うっかり返してしまったあたしの言葉に男は――――笑った。


 空気が変わる。

 今までの阿呆みたいなそれとは違う、もっと凄惨なそれ。


 幾度か見た、「血塗れ将軍」の笑顔だ。馬鹿馬鹿しい。


「アーヤ。貴方はきっとこれから私に代わる男を捜すのでしょう?」


 男は近づかない。


「別に男じゃなくてもいいわよ。使えるなら女でも動物でも」


 あたしはここに至って自分がしでかした致命的な失敗に気付く。つくづく救えない自分の馬鹿さ加減に胸のうちは罵倒で一杯だ。視線を男に置きながら、必死に思考を巡らせる。逃げ道は? 男の遥か背後にある広間の入り口は、重くて開けるのに時間が掛かる。窓……二階からならまだ勝機はあるか?


「アーヤ。帰ってしまえば貴方は私のことなど忘れてしまうのでしょう?」


 力押しは、不可能か。あちらも本気だ。元本職にあたしが勝てる機会はとっくに先ほど逃してしまった。男と二人。こうなってくると外部からの干渉要素が皆無なのが痛い。

 男は真顔であたしを見つめてくる。男の全身を改めて一瞥した。……帯剣をしている様子がない。当たり前か、持っていたらあたしはこんなに間抜けにのこのこ顔を出さなかった。まぁ、短剣なら持っていてもおかしくはない。


「帰った瞬間に忘れたいわ、こんなん」


 落ち着け、冷静になれ。自分に言い聞かせて袋小路を作りたがる思考を蹴散らす。周囲を窺って、ふと思考が裏側に潜る。誰もいない。つまりここが無人だということは、どういうことだ。


「アーヤ、アヤ、私のアヤコ」


 一瞬、確かに頭が空白になって、肌が粟立った。


 忘れかけていた、私の名前を、いとも男は簡単に口にする。

 動揺を狙っていたのだとしたら本当に大した男だ。


 男が無表情のまま、口端で笑みを滲ませる。気持ち悪いほどシンメトリな笑顔。縦半分に割ってやったらさぞかし爽快だろう。


「止めて」

「アヤコ。私は耐えられない。貴方が私以外の人間に頼る? 私を忘れる? 貴方のその眼差しが、言葉が、笑顔が私ではない存在に向けられるなんて耐えられない。想像だけで堪らない」


 ゆっくりと伸ばされる腕を、跳ね除けるべきだ。

 握り締めているこれで切り落としてしまってもいい。


「殺してしまいたい」


 逃げ出せ。せめて距離を稼げ。


「貴方に関わった人間を、貴方に関わる人間を殺しつくしてしまいたい。全く、私は馬鹿げた契約を結んだものです。貴方を解放する、解放! 私はこれでも裏切ることには不慣れなんですよ、アヤコ。それなのに、この契約だけは認められないのです。私の努力を認めては下さいませんか?」

「……厚か、ましいにも、ほどがあるんじゃないの」

「おや、どうなさいました? 震えていらっしゃいますよ」


 どうぞこちらに、と腕を伸ばす男の、その笑顔!

 歩み寄ってくる足取りに、どうしてか強張ったままの己の体に絶望する。


 どうしてか、なんて、


(何度これ以上の修羅場を潜り抜けてきたの!)

(相手に飲まれている場合じゃない!)

(動け、動け動け動け……っ)




   嗚呼、

   なるほど、情けなくて笑える

   私は、喜んでいるのか




「っ!」

「死ねカス」


 力いっぱい短剣を投げつけた。

 ……切りつけられない辺りに、まだ動揺してるわね。

 何を楽観していたのか、男の頬を易々と掠めて、空しく床に転がった音が静寂を切り裂く。


「言いたい放題言ってくれんじゃないの、駄犬の分際で」


 息を吸って、あたしは微笑んでみせる。

 男の揺れている目に、昂然と傲然と。


「なんっっであたしの行動をお前如きに左右されなくちゃならないわけ? 調子乗るのも大概にしなさいよド変態野郎が」

「――――手が、未だに震えておられるようですが」

「ここぞとばかりにあざとい真似しくさったどこかの塵のせいでね!」


 髪を払って私は、胸を張る。


「あたしには向こうでこれから安定の公務員職が待ってるのよ。こんな利便性の欠片もない場所で一生涯愚図愚図過ごすなんてごめんだわ!」


 男はどこか間抜けな様子であたしを眺めている。


「あたしは、帰るわよ」


 そのときのあたしは、やっぱりまだどこかで動揺していたに違いない。

 だからそんなことを言ってしまったんだ、そうに決まっている。


「――――着いてくるなら、勝手になさい」


 男が目を瞬く。男に似合わない、あどけない仕草だった。


「……アーヤ」

「……何よ」

「私は、貴方のように選ばれた存在ではないので空間を渡ることが出来ません」

「……」


 沈黙してしまった。


(ええっと、今、あたし何ていった?)


「ご存知ありませんでしたか?」

「……五月蝿い」

「成程、アーヤは一度信を置くと無精になるようですね。貴方にしては珍しく儀式のことをお調べにならなかった?」

「調べたわよっ、……ここに来てすぐに」


 言い訳させてもらえば、革命軍には全然資料が全く不十分だったのと監視下で動いたために身動きが自由に取れなかった、更にはこいつと手を組んでからはもうごたごたとこいつの変態行動に気をとられて……本っっ当に言い訳じゃないこれ!


 そんなことはどうでもいいわ、あたしは今、なんていった!


「どう致しましょうか」


 男は顎を撫でながら、深く溜め息を吐く。


「そのように愛らしい様を見せられるとどうにも、気が殺がれてしまいます」

「黙れ」

「ですが、分かって頂けたようですね。だから私は貴方を返すわけにはいかないのです」

「あたしは帰る」

「それは許せません」

「誰に命令してんのよあんた!」


 あたしは怒鳴って、足早に広間から抜け出そうとする。後ろについてくる男は何やらへらへらと笑いながら止める様子もなく付いてくる。


「ひとまず、本日アーヤを攫うのは止めます」

「一生止めなさい、駄犬」

「ですが明日からは遠慮なくさせていただきます」

「あたしは、帰る」


 男が、またあたしの手をとる。手の甲に唇を寄せながら、緩んだその表情は見慣れぬ柔らかな。


「アーヤ、私の女神」


 ――――いつか、貴方を私のものに。


 あたしも、笑う。そして、


「だから気持ち悪い!」


 その整った顔面を反対の手で力の限り殴ってやった。






 愛しているから、手中に置きたい。

 愛しているから、逃がしたくない。

 愛しているから、愛しているから。


 愛しているから、今日もまた、

 私は貴女の笑顔に逆らえなくなるのです。







 

 

 

 お粗末です。

 すみません。

 


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