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転生悪女は逃げ出した

作者: 白生荼汰

 特に誓いの言葉とかもなく、淡々と署名をする夫(仮)を無感動に眺めていて、取引の契約成立だって握手ぐらいはするわよねー、と漠然とマリーヴェラは考えた。

 でも多分この夫(仮)はその程度の接触すら、現状ではしない。


 契約。


 そうね、政略というよりも契約結婚だわね、これは。

 それで、この夫はエスコートもせずに馬車へと乗り込み、主寝室に妻を放置して初夜も熟さず、翌朝には王宮へと向かって一カ月は帰ってこない。


 まだ起きてもいない、だが、ありそうな事柄が次々と脳裏に展開して、マリーヴェラは危うくしゃがみこむところだった。


 なにこれ、なにこれ。


 口にも態度にも出さねど、頭の中はパニックだ。


 貴婦人の常ならば、ここでばったり倒れたりしてもよいのだろうけど、どうもこの場にいる面々が助け起こしてくれそうな絵図が思い描けない。

 本来的にはその役目を負う立場にあるであろう夫(仮)は、この時点では女嫌いでマリーヴェラのことも毛嫌いしているし、同席している父と義母はマリーヴェラを憎んですらいるし、この結婚の立会人である神職の男は職業柄進んで淑女に触れたりはしないだろう。

 つまり、倒れたとしても従者かメイドかに指示が出されるまで、冷たい石の床に転がったままになるのだ。


 マリーヴェラは今にも力が抜けそうになる膝にぐっと力を籠め、毅然と変わらぬ態度を保ち続けた。

 悲しいことにこの体は、どんな状況にあっても平静を保つことに慣れっこだった。


 マリーヴェラは悪女である。

 いや、悪女であった。


 さすがに社交界に出て間もない十六歳の現在では、まだそこまでの悪事は働いていないけれど、それでも同年代の少年少女をいびり倒し、嫌がらせをして、幼い頃からの婚約者だった王太子に断罪され、年の離れた辺境伯であるところの夫(仮)に嫁がされるところなのだ。

 まぁ、でも、まだ権力というほどのものもなかったし、嫌がらせと言っても、メイドなどの自分が逆らえないものに命じて貴族令嬢に紅茶や水を掛けたりする程度の可愛らしいものだ。

 親の目を離れてある意味今まで以上に放置される辺境へと嫁ぐまでのことではあるが。この先曲がりなりにも辺境伯夫人の地位を手にしたマリーヴェラは、夫の無関心をいいことに辺境の地で悪徳の限りを尽くす。

 原作を踏襲するのであれば。


 マリーヴェラの記憶にある限り、原作の中で原作とされていた(ややこしいな、おい)漫画だか小説の中では、マリーヴェラはあれやこれやと考えうる限りの悪事を積み重ねた挙句、ヒロイン♂をいびり倒して、夫とヒロイン♂の恋のスパイスとなるのだそうだ。

 原作内における原作は、BLらしい。


 今ここに目覚めてしまったマリーヴェラの中の人は、WEB小説は嗜むけれど、腐女子ではなかったために、目の前にいる夫(仮)がBL作品のヒーローであるといわれても、これと言った感慨はない。興奮もしないし、逆に原作(以下略)のマリーヴェラのように蔑むつもりもない。

 というか、この世界がBL作品を根幹に持つ設定だといわれても、同時にこの世界で十六年生きてきた記憶もあるため、夫(仮)の配偶者は男性だったとして、それならマリーヴェラを押し付けられる前に、とっとと適当な男性と結婚しておけばよかったのにね、ぐらいの感想だ。珍しくこそあるが、同性婚もありうる世界なのだ。


 で、肝心の原作はと言えば、そんなBL作品に転生してきたおばちゃんの話であった。


 原作(以下略)や原作のマリーヴェラはこの後、初夜をすっぽかされたことに腹を立て怒り狂う。そして、何やかやあってぶっ倒れてから、転生ヒロインへと覚醒するのだ。


 それから転生ヒロインであるところのマリーヴェラは、原作(以下略)のようにはなりたくない、と前向きに奮闘し、放置冷遇されつつも味方を増やし、前世知識を利用して領地を改革していく。

 そして夫(仮)は次第に転生ヒロインマリーヴェラに心惹かれていき……という内容。元がBL作品なのだから、旦那様は男性がお好きなのよね、それに肉体年齢はともあれ中身はおばちゃんの私じゃあね、という勘違いからのすれ違いなんかもあったりするコメディだ。


 どうにかして置かれている状況を理解しようと、必死に前世の記憶を思い返していたマリーヴェラは、どうやら結婚したばかりで緊張している、ととられたらしい。ぐるぐると考え込んでいる間にも一応の身の回りの世話をされ、寝室へと案内された。


 原作のように親身な声を掛けられることなく放置されたのは、いっそ幸いだった。

 どうせ夫(仮)が今晩寝室を訪れることはないので、考える時間が与えられたのがありがたい。


 マリーヴェラに転生したからには、原作どおり領地改革に勤しむべきなのかと検討し始めて秒で諦める。


 うん、無理。


 原作で転生してきたおばちゃんは自己評価の割にとんでもなくハイスペックで、食から住から政まであらゆることを改革していく。

 一方、このマリーヴェラはといえば、異世界転生定番ともいえるマヨネーズに前世で挑戦したことはあるけれど、何がどうしてそうなったのか、卵はちっとも界面活性してくれず、酢と油は混ぜても混ぜてもばっしゃばしゃの液体だったし、ほっこりした丁寧な生活とやらに感化されて挑戦した天然酵母は腐って不穏な匂いを発するマリモを生み出した経験しかない。

 この異世界で再挑戦して芳しい結果を生み出せるとは到底思えなかったし、紙の作り方やスプリングやベアリングの構造なんて、興味を持ったこともない。

 原作で読んだ時も、ほえーすげー、で楽しく読み飛ばして終わりだった。


 かろうじて小学校か中学校で習った二毛作だか何かは、窒素とかリンだ何とかでマメ科の植物がどうたら、みたいなことは記憶の片隅にあるけれど、そのために使用人の協力を得て、農家に足を運んで、プレゼンしてネゴして、なんて考えただけで気が遠くなりそうだ。


 うん、無理。


 大体、原作で描写された夫(仮)、貴族としての能力は知らないが、だいぶ惚れっぽかっただけではないかという疑惑が否めない。

 噂で知る限りの女性嫌いと、原作で知っている情報を突き合わせた限り、同情の余地はないでもないけど、だからと言って結婚したばかりの若いご令嬢であるマリーヴェラをいきなり放置するあたり、人間としてどうかと思う。


 女性嫌いというのは自分の要望を振りかざして突進してくる肉食令嬢が苦手だったというだけで、適切な距離感を持って好意的に接してくる相手であれば、誰であってもいずれ絆されたのではないだろうか。


 そんな、人になつかない野良犬に餌付けするようなまだるっこしい真似、好意も持てないのにやってられるかよ。


 そしていざ絆されてしまえば、一転ヤンデレなのかというほどの溺愛になるらしい。


 うん、無理。


 物語のヒーローならいざ知らず、向き合わなければならない伴侶として、ちょろくて悋気の激しいすっとこどっこい、略してチョリーッスなんてちっともおよびじゃない。

 ちょっとばかり前世の記憶があるからって、たとえ多少顔が良くても、社会的地位があろうとも、チョリーッスと幸せになるために頑張ろうなんて思えない。


 何やかやで覚醒して原作のマリーヴェラになるのかな、と戦々恐々としつつ、ハンカチに刺繍なんかして過ごしたが、何がどう違ったのかしばらくしてもチートなおばちゃんに覚醒したりはしなかった。


 宝飾品は足が付くかもしれないが、上質なリネン類なら売れる。


 チョリーッスが帰宅する前に、マリーヴェラはアクセサリーの他、足が付かなそうなものを掻き集めて出奔した。

 チョリーッスと接触せず、押し付けられたワガママな悪女でしかない今ならば、おそらくまだ逃げ切れる。

 アクセサリーの類は惜しいが売ったりせずに途中の適当な場所に隠し、逃げおおせるまでの目くらましになってもらう。

 おそらく探すとしたら、まず疑うのは持ちだした宝飾品を売って路銀にすると考えるだろう。


 マヨネーズを作れなくても、ふわふわのパンを作れなくても、芋の皮ぐらいは剥けるので、石鹸を作れなくても、洗濯ぐらいはできるので、生きていくだけならどうとでもなりそうだ。


 チョリーッスには原作(以下略)のヒロイン♂もいるし、何ともなれば同性間でも子作りできる術があるらしいので、女嫌いだって何とかなるだろう。

 恋のスパイス(悪女マリーヴェラ)がない分、劇的なドラマは発生しないかもしれないけど、まぁ、頑張ってくれ。


 チートではない転生者のマリーヴェラは、それなりの人生を生きるため、すたこらサッサと物語から退場した。

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― 新着の感想 ―
[一言] 逃げ足はやっW
[一言] チョリーッスwwwwww 大草原不可避。 確かに嫌いじゃないけど、冷遇からの溺愛パティーンの場合のヒーローは、「氷の〇〇」と呼ばれる美貌の貴公子か、それともゴツくて寡黙な体育会系実力者かがテ…
[気になる点] なぜ辺境の護りの要であろう辺境伯が、王宮に詰めてるのか。疑問過ぎですね。
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