修学旅行:前編 12
一陣の風に木陰が揺れる。サクラは唖然としてエレンを見つめた。
「─────え?」
その表情を見て、エレンはムッと口を膨らませる。
「接近戦に限定した話だから。総合力ではお前は私の足元にも及ばない、図に乗るな」
「なっ……!」
「それに、その接近戦だって今は私の方が強い。勘違いするな、ばか」
「あんたねぇ!」
エレンは突然、無言でサクラに手を差し出した。意味がわからずサクラは首を傾げる。
「ティッシュ」
「あーもう……ガキかあんたは……」
サクラはしぶしぶ、エレンの手にポケットティッシュを握らせた。ついでにコンビニで貰ったレジ袋も。エレンは勢いよく鼻をかんだ。
「……でも、入学式の時はホントに勝てないと思った。私、一目見ればその人の強さが大体わかるから……だからホントは、お前の方が強い……はず」
「……ふーん」
サクラはエレンに見えない方の拳を握りしめた。
(喜ぶな……喜んだら、コイツを格上だと認めたのと同じだ)
「……授業でお前と戦うのが憂鬱だった」
サクラには想像することしか出来なかった。招待入学者として鳴り物入りで入学したと思ったら、入学式で自分より優れているかも知れない人間を見つけてしまった時の恐怖を。
「まぁでも、実際戦ってみたら、私の方がずっと強かった。全てはくだらない杞憂だった……」
エレンはそう言ったっきり、ゴミをレジ袋にまとめて立ち上がった。
「ちょっとあんた……まさかマウント取って終わりなわけ?」
「不満ならもう一つ教えてあげる。お前は、何かこう、ものすごく強い縛り、みたいな、ストッパー、みたいなものが掛けられている」
「は?」
「上手く言えないけど、とにかく、本来のお前の性能を、全く引き出せていない。お前はもっと、全力を出す努力をすべき」
サクラは呆れて乾いた笑いを零し、立ち上がった。
(何よそれ、化石みたいな根性論じゃない)
「はいはい。具体的なアドバイスどうも」
それを聞いて、エレンはサクラを睨みつけた。
「あたりまえだ。具体的なことは自分で考えろ、甘えるな、この、怠け者」
サクラもエレンを睨み返す。
「……なんであんたなんかに私が怠け者呼ばわりされなきゃいけないのよ」
「お前は、ウサギと亀という寓話を知っているか」
エレンが大真面目な顔で突然そんなことを言い出すので、虚を突かれたサクラは噴き出してしまった。
「あんた、ウサギと亀の教訓をちゃんと理解してるの? 今のこの状況に当てはめるなら、あんたは傲慢な怠け者のウサ────」
「怠け者は亀の方だ」
エレンはきっぱりとそう言い切った。
「亀はウサギになる努力を怠っている怠け者であるばかりか、くだらない詭弁をしたり顔で宣い、ウサギに勝った気でいる酷い愚か者だ」
「ウサギになる努力って……」
「これは寓話だ、ウサギは強者の、亀は弱者の比喩だ。何もおかしいことは言ってない」
「それはそうだけど……あぁもうだから、アレは、たとえ亀でもコツコツと歩けばウサギより先にっていう教訓話で────」
「亀は亀のままだ」
「っ……!」
サクラは顔を引きつらせた。
「ヴァンガードのパイロットに必要なのは、歩ききった距離の長さじゃない。一瞬一瞬の足の速さだ。亀は、いらない」
そう言ってエレンはゴミをサクラに押し付けると、食堂へ向かって歩き始めた。
「亀にしがみつくな」
一人取り残されたサクラは大きくため息をつき、ゴミ袋を握りしめた。
「自分で片付けろっての……」
◆◇◆
その後、広報館に展示されている様々な装備品を見学したヒビキ達学生一同は、バスに乗って基地を後にした。
窓の外を、夕焼けの引いた夜空が流れている。
隣に座るエレンの目は赤く腫れていたが、ヒビキは気付かないふりをした。
「ちゃんとゾフィーと話した?」
「あぁ」
「そ」
ヒビキは、エレンの態度をいつにも増して素っ気なく感じた。いや、普段からこんなものだっただろうか。普段よりドライに感じるのは、きっと自分に自信がないからだ。
(エレンが一人泣いてる時に、俺は……ゾフィーとあんな、馬鹿みたいな……)
顔が赤くなることは無かった。それどころじゃないくらい情けなかったからだ。
(エレンは何で飛鳥と戦わなかったんだ……?)
バスの中の賑やかな話し声に混じって、雑音が聞こえてくる。
「宇佐美の話したら先輩『爆笑』って返してきた」
「お前その辺にしとけって、逃げたウサちゃんが可哀想だろ」
「ギャハハハハ」
エレンは小さく、ヒビキの袖を引っ張った。ヒビキはエレンに見えるように顔を向けると、声を殺して口を開いた。
「"ウイルスならもう仕込んである。アイツに仕込んだ奴なんか凄いぞ、自信作だ。中二病AIが鳥肌ものの死ぬほど痛い小説を生成して、1日に1度、ランダムな連絡先に自動送信する仕組みになっている。アイツがそれに気づいた時にはアイツのあだ名は『先生』になってるだろうさ。もちろん、例えスマホを初期化したとしてもAIが消えないようになってるから、アイツはスマホを買い換えるしかない"」
それを聞くとエレンは噴き出し、身を捩ってゲラゲラ笑った。
「君、酷すぎるよ。いい気味だ、ざまぁみろだ」
しかし笑いの余韻が収まると、エレンの顔には暗い影が落ちた。
「"……ねぇ、君は、私が逃げたって思う?"」
ヒビキは座席の背もたれに身体を預けて、深くため息をついた。
「"言ったはずだ。俺にはお前が何を企んでるのか分からないと……"」
「"そう……"」
「"訓練用機で異形のヴァンガードに突撃していく恐れ知らずのお前が、今更あの程度のことにビビるとは思えないし……かと言って、お前の言葉通りサクラに親切で機会を譲ってやったとも思えない……サクラには悪いが、お前がやれば勝ってただろうし……"」
エレンはそれを聞いて、いつものジト目を微かに見開いた。
「"……私なら勝ってたと思う?"」
「"身内贔屓が入ってるかも知れんが……だってお前、第三世代型を第四世代型に変更出来るんだろ? 第三世代と第四世代の性能差を埋められる程、お前と東雲特佐に技量の差があるようには感じ無いし……"」
エレンはそれを聞くと少し顔を赤らめて、窓の外を眺めた。
「そっか……なら、いい」




