修学旅行:前編 8
飛鳥とエレンは暫くそうして見つめ合っていた。しかしふと、エレンが目を逸らす。
「……サクラとは同門の兄弟弟子なんでしょ。なら、サクラに譲ってあげる」
サクラは驚いてエレンを見つめた。ヒビキも唖然としてエレンの方を見る。
(エレン……それはマズいんじゃ……)
「あんた……いいの?」
エレンはそれには答えず、黙って目を瞑り、腕を組んだ。飛鳥はサクラを見つめる。
「……だ、そうですよ? 姉弟子」
サクラはしばらく考えていたが、静かに椅子から立ち上がった。
「分かりました。やりましょう」
◆◇◆
訓練所に続く道を学生達が歩いて行く。ヒビキは黙って歩くエレンの一歩後ろを静かに歩いた。
周りの学生達がヒソヒソと話す声が聞こえる。
「レッドカードさんビビって逃げてんじゃねぇか」
「仕方ねぇよ相手は零式のパイロットだぞ。勝負にならねぇって」
「普段学校でイキりまくってるくせに……」
(わざと聞こえるように言いやがって……でも、エレンだってこうなることは分かっていたはずだ……)
学校で最強のパイロットであるエレンがあの状況で飛鳥との戦いを拒めば、適当な理由を付けて逃げたと見られても仕方なかった。普段から邪険にされているエレンが、そんな隙を晒せばつけ込まれるのは当然のことで。
エレンの拳は固く握られ、震えていた。
ヒビキは大きく溜息をつき、髪をガシガシとかいた。エレンに追いついたヒビキはその小さな肩を叩き、ギリギリ周りに聞こえるように言葉をかける。
「何を企んでるのか知らんが……格下の言うことなんか気にするな」
「っおい大神てめぇ!」
「誰が格下だコラ」
「いやはやしかし──────」
ヒビキは大袈裟に周りを見渡しながら大声を張上げた。
「流石は自衛隊の基地。監視カメラが多いなぁ! こりゃあ、よほど視野の狭い馬鹿じゃ無い限り、悪いことは出来んなぁ! うん」
「もういいやめて……」
エレンは小さくそう呟いて、ヒビキの制服の袖を引っ張った。
「……悪い」
◆◇◆
訓練所には見学所があり、仮想世界の戦場を一望できるモニターが用意されていた。モニターの中に、操縦席に座っているサクラと飛鳥が映し出される。サクラは操縦席で、これから操縦するヴァンガードのスペック表を熱心に読み込んでいた。
「モニターが写している戦場がコンピューター上で計算された仮想世界であること。パイロットの操縦によって動くのが、仮想世界上の3Dモデルであるということ。この2点を除けば、これから行われる訓練は現実のものと大差ありません。この操縦席には、振動や衝撃、加速度を再現する機能があるので、実機の訓練にかなり近い訓練を行うことが出来ます」
仮想世界の中に作られた日本の山がちな地形の中に、2機のヴァンガードが生成される。自衛隊の『12式機動士』だ。陸自の戦車などに施されているものと同様の2色迷彩。機能性を追及された飾り気のない鋼のシルエットは全体的にがっしりとしており、鈍重で不器用そうな印象を与える。しかし実際は、指先で生卵を掴んで綺麗に割ることができる程の精密動作が可能だ。その器用な指先を活かして様々な装備を『持ち替える』ことで、あらゆる状況に柔軟に即座に対応できる、万能の主力機だと言えるだろう。
「さて、何か質問はありませんか? 姉弟子」
「いいえ、大丈夫です」
サクラはそう言ってスペック表を脇に置くと、操縦桿を握った。するとサクラの操縦する12式が鋼の大太刀を抜き放ち、上段に構える。
ヒビキは特に何も思わなかったが、エレンや朱雀、龍一といった一部の学生は目を見開いた。
剣道少女であるサクラは余程のことがない限り上段の構えを取らない、エレンも一度だってサクラの上段を見たことがなかった。理由は様々だが、剣道において上段の構えは相手に対して非常に失礼な構えだからだ。
上下関係の厳しい剣道においては目上の人に対して上段はまず使わない、使うとしても、『上段を使っていいですよ』と目上の剣士の許しを得てから使うもの。実際の試合で同格の相手に対して使う時も、『失礼します』と断りを入れたり、会釈したりしてから使うものだ。
そんな礼儀作法をくだらないと一蹴し、オリジナルのめちゃくちゃな構えを使うエレンに対してでさえも、サクラは礼儀を欠かさず中段の構えを取っていたのだ。だと言うのに……
(サクラが、会釈もせずに上段を使ってる……)
学生という立場で、現役の、しかもエースパイロットである飛鳥に対して、よりにもよって礼儀作法を何より重んじるサクラが、なんの断りもなく上段を使うというのはつまり……
(挑発? いや違う……サクラ、まさか、怒ってるの?)
サクラの表情は穏やかだ。しかし、その黒い瞳孔はばっくりと開かれていた。
「抜きなさい飛鳥。久しぶりに稽古をつけてあげる」
見学室がザワつく。サクラの失礼極まりない発言に、教諭達は頭を抱えて狼狽える。
飛鳥は微笑むと同じように鋼の大太刀を抜き、中段に構えた。
「……お手柔らかに」




