分隊演習 8
もう9月だというのに朝の日差しは真夏のように熱く、セミの声も酷くうるさかった。エレンは図書館近くの木陰のベンチでうたた寝をしていた。
「宇佐美」
ヒビキの声でエレンは目を覚まし、うーんと伸びをして立ち上がった。
「おはよう、ヒビキ。早速だけど、はい」
そう言って、エレンは手を差し出した。ヒビキは意図が分からず困惑する。
「ヘッドホン、外して」
「なんだ急に……まぁ、構わないが……」
ヒビキは言われるがままに首に掛けていたヘッドホンを外し、エレンの手に渡した。エレンはそれを自分の首に掛けた。エレンには少し大きい。
「……何の真似だ」
「君、今日の分隊演習で、いざとなったらこれを使う気だったでしょ」
図星だった。ヒビキは焦ってそっぽを向いてしまった。エレンはヒビキのその様子を見てクスクスと笑った。
「やっぱりね。ダメだよ、ちゃんと正々堂々勝ってくれないと」
「……万が一今回の分隊演習で負ければ、お前たちが周りからどういう仕打ちを受けることになるか、想像できないわけじゃないだろ」
「くすくす……少しはゾフィーの調整を信じてあげたら? 確かにちょっとポンコツだけど、私と同じレッドカードなんだよ?」
「そうじゃない……ただ、自分のことを信用していないだけだ」
そう言ってヒビキは俯いた。エレンはそんなヒビキの額を指でつついて、微笑んで見せた。
「そんなみっともないこと言わないで。女の子2人にお膳立てしてもらったんだから、少しはかっこいいとこ見せなきゃダメだよ」
エレンは笑った。今日のエレンはよく笑う、ヒビキはそう思った。
「勘弁してくれ、俺がそんな柄じゃないのはもう知ってるだろ」
そこまで言って、ヒビキはふと、エレンの言葉の違和感に気づいた。
「……ちょっと待て! "2人"ってどういうことだ!」
1人は、徹夜でエコーシルエットを調整してくれたゾフィーのことだろう。だがエレンは昨日、アイスを食べて椅子でくつろいでいただけだ。力仕事は時々手伝ってくれたが、エレンはその程度のことで自分を戦力だとカウントしたりしない。そして何より『お膳立て』という言葉の違和感。ゾフィーの働きを評す言葉としてはちょっと悪趣味が過ぎる。
「宇佐美……お前まさか……!」
愕然とエレンを見つめるヒビキを見て、エレンはまたけらけらと笑った。
「お前、本当にわざと龍一を殴ったんだな! こうなることが分かってて! 初めから停学になるつもりで龍一を殴ったんだな!」
エレンは大正解とでも言わんばかりに手をぱちぱちと叩いた。ヒビキは呆れて頭を抱えた。
「正解。まぁ、あのガキがムカついたのはホントだけどね、だから、一石二鳥、的な」
「っ……! なんでそんなことを! 俺やお前はともかく! 俺がもし負けたらゾフィーまで巻き込むことになるんだぞ!」
その言葉にエレンは少しムっとした様子で、ごにょごにょと文句を垂れた。
「……またそうやってゾフィー、ゾフィーって……」
「ん? なんだ、聞こえないぞ」
「うるさい、ばか」
エレンはそっぽを向いてしまった。ヒビキは大きなため息をつく。
「まったく……また例の『面白そうだから』か?」
「違うよ」
そう言ってエレンは振り向いた。
「じゃあなんで……」
ヒビキのその問いに、エレンは少し顔を赤らめてぎこちなく微笑んだ。
「私だってね、君が、皆から色々言われるのを、見たいわけじゃないんだよ」
エレンのその言葉で、ヒビキは自分がエレンの病室で言ったことを思い出した。朝の澄んだ風がエレンの白銀の髪を揺らした。
「だから、勝って。君はその気になればできるってとこ、皆に、私に、見せて」
いつもの気だるげな目とは違う強い瞳で、エレンはヒビキのことを見つめた。
ヒビキは困って、髪を掻いた。
「……善処する」
エレンは『よろしい』と、満面の笑みをうかべた。
◆◇◆
そして時は過ぎ、昼休みが終わって、分隊演習の時間がやってきた。ヒビキは更衣室でパイロット用のスーツに着替えた。
アラミド繊維製のパイロットスーツは軽量で、防弾・防刃・耐熱性に優れ、パイロットのヘルスモニタリンク装置、エアバッグ、GPS発信機、止血帯などのファーストエイドキット、挙句の果てにはいざと言う時のための除細動装置までついている。当然、ものすごい値段なので学校からの貸し出し品だ。
パイロットスーツにここまで入念な準備がされているのは、分隊演習が危険な訓練であるからだ。貫通能力の高い武装は使用できない上に、弾薬も訓練用ペイント弾を使用するが、それでも毎年数人は怪我人が出てしまう。
学校の広大な敷地の中には野外演習場があるが、演習場に向かうまでの距離が遠すぎるため、ヒビキを含めた操縦科・整備科の面々は専用バスに乗って演習場に向かった。バスの後ろには、ヴァンガードを乗せたトレーラーの列が連なる。ヒビキは、隣に座るゾフィーから改造後のエコーシルエットの詳細スペック表を渡された。
「……凄いな、たった24時間でここまで仕上げるなんて」
「ふふん、ボクは天才だからネ」
そう言ってゾフィーはドヤ顔をして見せた。目の下にややクマが出来ているが至って元気そうだ。おそらく、徹夜には慣れっこなのだろう。
「たださすがのボクも今回ばかりは時間が足りなくてネ、ソナーやEMP砲を取り外す時間がなかったから、新しい武装を搭載した分、機体の重量が増えてる。エコーシルエットの怪力なら機動力にはさほど影響ないはずなんだケド、一応注意しておいてほしい」
ヒビキは了解した、と頷いた。
「昨日説明した通り、今回エコーシルエットに新たに追加した武装は、今まで使用例のない極めて特殊な武装だ。実戦での効果の程は未知数だからネ。キミの負担も大きいし……使えない、と思ったらコレに固執せずに、すぐに武装を放棄するんだよ」
「コレの扱いには多少の心得がある。問題ない」
ヒビキはそう言ってスペック表の紙束を閉じた。窓側に座るゾフィーは、窓の外の夏空を見上げた。
「今日はいい天気だ、運はボク達の味方をしてるよ」




