やんごとなき諸事情 9
エレンが突然そんなことを言うので、ヒビキは思わず赤面してしまった。無論、自分がゾフィーに好かれているなんて思い上がりは一切なかったが、大神ヒビキ君のようなシャイボーイを赤面させるにはその言葉だけで十分だった。
狼狽えるヒビキを見てムカついたエレンは、ヒビキの腹に肘を食らわせる。
「ぐはぁっ!?」
「な、何を言ってるんだっ! 馬鹿かキミはっ!」
ゾフィーは顔を真っ赤にして思い切り叫んだ。
「このボクがあんな卑劣な犯罪者のことを、す、すすす好きだと!? 冗談じゃない! 何を根拠にそんな妄言を!」
「女の勘。なんか、WOLFの話をしてる時楽しそうだったから」
それを聞いてゾフィーは顔をますます真っ赤にし、フードを深く深く被った。
「そんなの君の主観だ! なんの根拠にもなってない!」
「そうだね、でも分かるんだ。だって私も同じだから」
それを聞いて、ヒビキは世界の音が全部消えたような錯覚を覚えた。
(『私も同じ』……それって、どういう意味────)
ヒビキの理解が追いつくよりも先に、エレンは『勘違いするな』と、ヒビキの腹に今度は拳を叩き込んだ。
「なんでっ!?」
激痛にヒビキは倒れ、階段の上でジタバタと悶え苦しんだ。
「ゾフィー、君は、WOLFを捕まえたいんじゃなくて、WOLFがただの愉快犯だってことを証明したいだけなんじゃないの?」
ゾフィーの返事は帰ってこなかった。
「WOLFは量子コンピューターを持っていないって、ただイタズラでハッキングを仕掛けてるだけだって、知って安心したいだけなんじゃないの?」
そのエレンの言葉で、ヒビキは初めてエレンの質問の真意を理解した気がした。『安心したいだけ』。自分の相方は、人脳で作られた量子コンピューターなんていう禁忌の代物を利用していないと。冒涜的なことをする人間じゃないと。そういうことを、証明して欲しかったんじゃないだろうか……と。
(だからエレンは、あんな顔をしたのか……)
ゾフィーは、ゆっくりとエコーシルエットの陰から姿を現した。
「……ボクはただ、WOLFを捕まえて、ボクこそが真の天才だってことを証明したいだけサ。だから────」
ゾフィーは顔を真っ赤にして、涙目でヒビキを指さしながら叫んだ。
「だから妙な勘違いを起こすんじゃないゾ! 大神ヒビキッ! いつか絶対、完璧な証拠を掴んでやるんだからナ────ッ!!」
ゾフィーは、荷物をぐちゃぐちゃにまとめると、あっという間に格納庫から出ていった。しかし、すぐにまた格納庫の扉を開けて────
「ボクにこんなに恥を掻かせておいて、タダで済むと思ったら大間違いだからナ! 分隊演習の時に後悔させてやるから、覚えてろよ────ッ!」
捨て台詞を吐くと、乱暴に扉を閉めて走り去った。
◆◇◆
エレンとヒビキは、エコーシルエットの格納庫を後にした。2人は夏の午後のむせ返るような暑さに襲われる。
「……お前が余計なことを言うから、目をつけられてしまったじゃないか」
「問題ない」
2人は日向を避けて、日陰を歩いた。
「学校中を敵に回すつもりか?」
「君に言われたく無い」
エレンの指摘はごもっともだった。世界中に匿名で喧嘩を売り歩いているヒビキに言えたことではない。
「……確かに」
「よろしい」
エレンはそう言って微笑んだ。エレンの包帯の端が風になびく。ヒビキは立ち止まった。
「なぁ、さっき最後何か言いかけてたよな。無関係じゃないって」
エレンはヒビキの方へ振り返った。
「……私は、自分の出生について何一つ知らない。両親の顔も名前も、自分の出生地も誕生日も、『宇佐美エレン』って名前だって、ホントの名前なのか疑わしい」
エレンの顔は柔らかく微笑んでいたが、暗い影が落ちていた。
「アルビノのような見た目、けど身体は病弱どころかその真逆。おまけに、どんなヴァンガードの仮想神経モデルとも完璧に共鳴できる特殊体質。私だけ、まるで異物みたい」
パーフェクトムーンや訓練用ヴァンガードTC-1などの第3世代型ヴァンガードには『仮想神経モデル』というものが搭載されており、この仮想神経モデルと神経共鳴をすることで、ヴァンガードを意のままに操縦することができる。
ヴァンガードの仮想神経モデルと操縦士の相性が悪い場合にはその相性が悪い分だけノイズが発生し、操縦士に痛みなどの負荷としてフィードバックされてしまう。負荷を軽減するために、『ノイズゲート』という防壁を設置する対策が取られるが、ノイズゲートを設置すると、操縦の際にラグが発生してしまう。
このため現在では、操縦士一人一人に向けて調整されたオーダーメイドの仮想神経モデルである『完全仮想神経モデル』を作成するのが理想的であるとされるが、この『完全仮想神経モデル』の作成は困難を極める。完全仮想神経モデルを搭載したヴァンガードは第4世代型ヴァンガードと呼ばれ、第3世代型ヴァンガードとは天と地ほどの性能差がある。
エレンは、あらゆる仮想神経モデルと完璧に共鳴できる特殊体質であり、それ故にノイズゲートを必要とせず、あらゆる第3世代型ヴァンガードを第4世代型ヴァンガードとして完璧に乗りこなすことができる。エースパイロットモードというエレン専用のヴァンガード起動設定が存在するのはこのためだ。
傍から見ればそれは才能だが、エレンにとってこの特殊体質はそんなに単純なものではなかった。
ヒビキはエレンの発言に驚きを隠せなかった。エレンはヒビキの様子を見て、ぎこちなく微笑んだ。
「ね? 色々とおかしいでしょ?」
ヒビキは困って視線を落とした。
(違う宇佐美……そうじゃないんだ……)
確かに、エレンの出生や特徴が少し特殊であることは明白であった。しかし、ヒビキが驚いたのはそこではなかった。
エレンは夏空を見上げた。
「多分、私の出生には何かある、ヴァンガード絡みの何かが。だって私、パイロットになるために生まれてきたみたいでしょ? 無関係に思えないのは、そういうこと」
そう言って、エレンは歩き出した。ヒビキは、それを呼び止めようとして、諦めて、『そうか』とだけ答えた。
(なんで、そんなに悲しそうなんだ……エースパイロットであることは、お前の誇りじゃないのか?)
かける言葉のない己の不甲斐なさを、ヒビキは悔いた。長い夏休みが終わろうとしていた。




