やんごとなき諸事情 2
エレンは自分の分のマドレーヌをすっかり食べ終えてしまい、無言でヒビキの分のマドレーヌを見つめた。ヒビキは呆れたように溜息をつき、エレンに皿ごとマドレーヌを譲った。エレンは嬉しそうにマドレーヌを頬張る。
「今回理事長室にわざわざ足を運んでもらったのは、謝罪と謝礼、そしてエコーシルエットについての話をするためですが、本題は別にあります。ゾフィーさん」
「はいはーい」
ゾフィーがそう言ってスマホをぽちぽちと操作すると、理事長室の天井からスクリーンが降りてきて映像が映し出された。先日のエレンと異形のヴァンガードとの戦いの映像だ。ゾフィーはコホンと咳払いをし、話を始める。
「結論を言うとネ、あの異形のヴァンガードは人間では無い何かが操縦していた可能性がすごく高いんダ」
ゾフィーが突拍子もないことを言うので、ヒビキとエレンは怪訝な顔をした。
「現状、あの異形のヴァンガードについて何一つ分かっていないの。何でもいいわ、実際にあのヴァンガードと戦ったあなた達の所見を聞かせてくれないかしら」
だからゾフィーも部屋に呼ばれていたのか、と、ヒビキは納得した。ヴァンガードの話をするなら、現代のヴァンガード工学の権威と言って差し支えないゾフィーも一緒にいた方が良いに決まっている。
エレンは紅茶を飲み干してから口を開いた。
「誰が操縦してたか分からないって、どういうこと。ヴァンガードは遠隔操縦出来ないはず、コックピットを開けて中を見ればいい」
「それが、中には誰も何も乗っていなかったらしいんだヨ、それどころか、中にはコックピットすらなかったとカ」
それを聞いてエレンは一層怪訝な顔をした。ヴァンガードの操縦の際、ヴァンガードとパイロットとの間では莫大な量の情報がやり取りされる。この大量の情報を遠隔の無線通信でやり取りしようとすると、情報伝達の大きな遅延が発生するだけではなく、その遅延がそのままパイロットにノイズとしてフィードバックされ、深刻な負荷が掛かってしまうのだ。
「でも遠隔操縦じゃない、反応が速すぎる」
エレンはキッパリそう言いきった。遅延のある遠隔操縦なら、エレンの攻撃に対する反応も遅くなるはずだが、そんな様子はなかったということだろう。
「オオカミ君は? 何か感じなかっタ?」
ゾフィーはわざと『狼』のイントネーションでヒビキに話しかけた。『WOLF』としての意見を聞かせろという意味なのだろうが、それに反応したら自分がWOLFだと認めることになるのでヒビキは無視して『大神ヒビキ』として答えることにした。
「いや俺は特には……けど、そもそもアレの目的は何だったんだ?」
「確かに、そういえばこの前のテロリスト達の目的も、結局何だったのかわからない」
「あぁ、アイツらは────」
ヒビキはそこまで言いかけて慌てて口を閉じた。ヒビキはあのテロリスト集団が、まず学校のサーバーにハッキングをしてきていたのを知っているが、なぜそんなことを知っているのかと言うと、ヒビキもまた同様に学校のサーバーにハッキングを仕掛けていたからなのだ。
(アイツらの正体はわからないが、目的は多分俺と同じだ。この学校には『何か』が隠されている。それがサーバーに保存しておけるような情報なのか、実体のある物体なのかすらわからないが、何か、物凄く重要な『何か』が隠されているのは間違いないんだ。あの異形のヴァンガードもそれに気づいていて、『何か』を探していたのか?)
「……アイツらは?」
ゾフィーは追い詰めるようにヒビキの言葉を拾った。
「アイツらは……確か警察に連れていかれたんだろう? 警察の取り調べで何か話しているんじゃないのか? もっとも、警察がアイツらの証言を俺たちに教えてくれるとは思えないが」
ゾフィーは『ちっ』と舌打ちをした。程なくして、エレンが口を開く。
「コックピットのことは一旦置いといて……アレを操縦していたかもしれない人間じゃない何かって何? 宇宙人?」
「宇宙人じゃない、アレは絶対に地球産だ」
ヒビキは間髪入れずにそう言いきった。ゾフィーは目を細める。
「……それは分からないんじゃないのかイ? 確かに『宇宙人』というのは荒唐無稽だけど、だからと言って根拠もなしに可能性を否定してはいけない。それは科学的じゃなイ」
「根拠ならあるさ────」
ヒビキはそこまで言って『まずい』と閉口した。ヒビキのいう根拠とはつまり、ヒビキのハッキングがあのヴァンガードに通用したという事実なのだ。宇宙人のコンピューターが地球人のコンピューターと全く同じ原理で動作しているとは限らない。さすがのヒビキも、動作原理の違うコンピューター相手にハッキングを仕掛けられる自信はない。ヒビキがあの異形のヴァンガードにハッキングを仕掛けることが出来た事実は、異形のヴァンガードに地球産のコンピューターが搭載されていたことの証拠になるだろう。つまり、あのヴァンガードは地球産なのだ。
だがそれをゾフィーに話せば、自分が『WOLF』だと認めるようなものだ。
「ほう、お聞かせ願おうじゃないかその根拠を!」
ゾフィーはまた『むー』とヒビキを半目で睨んだ。ヒビキの脳が、かつて経験したことがないほどのスピードで回転する。
「根拠というのはだな……つまり……えー」
「あ、そっか」
しばらく何か考えていたエレンが口を開く。
「アレが本当に宇宙人のヴァンガードなら、大量の放射線を撒き散らしてるはず、もし本当に放射線が撒き散らされていたら、警報が鳴るはず」
ヒビキ達の学校には、ヴァンガードの充電、整備、実験に使う大量の電力を補うために、小型の原子力発電所が設置されている。そのため、万が一発電所から放射性物質が漏れた時に気づけるように、放射線を検知して警報を発する警報装置が学校の至る所に設置されているのだ。今回の件では、その警報が鳴ったという話は無い。
ヒビキはエレンが言わんとすることを理解し、その知性に脱帽した。そしてそのままエレンの説に乗っかることにした。
「そ、そうだそうだ。宇宙人のヴァンガードなら宇宙から飛来してきてるはずだろ? つまり大量の宇宙線に晒されてきたってことになる。そしたら、あのヴァンガードは大量の二次放射線を発しているはずだ! よく分かっているじゃないか〜宇佐美君」
「ふふん」
エレンはヒビキに褒められて満足気にドヤ顔をした。エレンは一見するとアホそうだが、その実めちゃくちゃ頭が良い……というヒビキの予想が確信に変わる。ゾフィーは『ちっ』と舌打ちをした。
「ふん……とりあえずの根拠としてはいいんじゃなイ? 実際ボクもアレは地球産だと思うしネ」
ヒビキはお返しにその根拠とやらを追求してやろうかと思ったが、やぶ蛇を恐れてやめることにした。この判断は大正解であった。ゾフィーはヒビキと全くの同意見だったからだ。
そこから先に議論の進展はなかった。あの異形のヴァンガードについて分かったのは『何一つわからない』ということだけだった。3人は理事長室を後にした。
◆◇◆
廊下に出ると、3人は夏の午後の熱気に襲われる。
「うぅ~……日本の夏の暑さはホント異常だよ~」
「ゾフィー、どこの出身なんだっけ?」
「出身はドイツ。日本とドイツのハーフさ。エレンこそ、どこの出身なノ? 赤い目に銀髪……でもアルビノじゃないんでしょ?」
エレンはしばらく考えていたが『わからない』というあやふやな答えが帰ってきた。廊下の窓辺で、遠くの入道雲を見つめるエレンは、包帯だらけなのも相まっていやに儚げだった。あんなに強いはずのエレンが今にも消えてしまいそうな気がして、ヒビキは不気味でならなかった。
昼休みを告げるチャイムが鳴り響く。
「ランチタイムだ! 諸君! ボクが奢ってあげるよ!」




