レッドカード 1
2026/02/23:レッドカード編に大幅な修正を行いました。内容は変わっていません
大神ヒビキは、端的に言えば、所謂陰キャのレッテルを貼られる青年であった。道の向こう側から人が来れば道路を渡って反対側に行くような、学校が終われば誰よりも早く教室を出て寮に戻るような、食堂のラッシュのタイミングを避けて一人で壁際で飯を食うような。ヒビキはそんな青年であった。
だが、ヒビキがそうして人を避けているのは、単にそういう気質だからというだけではなかった。
「ミツハ重工の本社が昨日大規模なサイバー攻撃を受けて、機密データ全部ぶっこ抜かれたんだってさ! 俺思うんだよ、そろそろ世界大会近いし、どっかの国が日本代表潰すためにやったんじゃないかって、ミツハ重工って日本チームのヴァンガード全部整備してるらしいじゃん?」
「それ、例の天才ハッカーの仕業らしいぞ? ほら、懸賞金ウン10億円とかの」
「ウン10億!? ヴァンガードリーグ世界大会の賞金総額より高いじゃねぇか! オレ、ヴァンガードのパイロットじゃなくて賞金稼ぎになろうかな」
クラスメイトの雑談の声を聞き流しながら、ヒビキはため息を着いた。
(やれやれ、心臓に悪い……でも、陽動は大成功だな)
ヒビキが徹底的に気配を消して「陰」に徹している理由、それはヒビキの正体に関係があった。
「おい、喋ってないで集中しろ。お前達、そんなんだからこうして夏休みに補修なんてする羽目になるんだぞ」
黒板の前で椅子に座ってスマホをいじる教師がそんなことを言った。人の少ない薄暗い教室の、一番後ろの、一番窓側の席で、ヒビキは頬杖をついて8月の終わりの夏空を見上げた。
ふと、遠い夏空の中を、黒い人影が通り過ぎる。距離にして1.2km先。特段目が良いわけではないヒビキが、その人影を目で終えたのは、その人影が6mもある鋼の巨人……『ヴァンガード』のものだからだ。飛び跳ねた鋼の巨人が地面に降り立って約4秒、ズーン、という重い足音が響いて机の上のペットボトルに小さく波が広がった。
「がっ!?」
「大神! 演習場を眺めてるんじゃない! 集中しろと言ったのが聞こえなかったのか!」
チョークが飛んできたかと思えば、間髪入れずに教師の怒号が飛んで来る。ヒビキはチョークで白く汚れた額を抑えながら痛みに身を捩った。
(いつの時代の教師だあんたは……! エイムが良すぎる! 絶対に家でコソ練してる!)
クラスメイトがひそひそと話す。
「大神のやつ、怒られてら」
「才能ないんだから早くやめればいいのにな、あいつが操縦士になれるなら、俺たちですらヴァンガードリーグの世界大会で優勝できるぜ」
ここは巨大人型搭乗兵器ヴァンガードの関連人材育成学校、『国立機動士技術高等専門学校』だ。クソ長いので略して機高専と呼ばれている。そして大神ヒビキはその操縦士科1年生の、学校始まって以来の落ちこぼれであった。
(お前らだって俺と同じ補修組だろ)
ヒビキがいつものように心の中で文句を垂れた、その瞬間だった。ヒビキのスマホからけたたましいアラートが鳴り響いた。
「大神ーッ!」
鬼の形相で立ち上がり、チョークを探す教師、ヒビキは慌てふためいてスマホを取り出して、画面の文字を見て、目を見開いた。
「先生すいません! 急に父が危篤になりそうで!」
「待て大神ーッ!」
身を屈めて、机でチョークの射線を切りながら、ヒビキは教室を飛び出した。後ろの方で聞こえる、クラスメイトのゲラ笑いを置き去りにして、廊下を転ぶように走りながら、首にかけていたヘッドホンを耳に押し当てる。
ヘッドホンに密かに内蔵されていた神経接続システムが起動し、ヒビキの脳はヘッドホンと接続される。シナプスの間を走る火花はヘッドホンを介して0と1の羅列に置き換えられる。
(やっぱりだ! やっぱりこの学校には、何か、何か隠されてる!)
不敵な笑みを浮かべて渡り廊下を走るヒビキ。渡り廊下をふらふらと歩いていた白い少女は、すれ違ったヒビキに振り向いた。
「……」
◆◇◆
ヒビキは灼熱の日差しの下を自転車で走りに走って、学校の敷地内にある学生寮に滑り込んだ。床にテープで描かれた土足厳禁の文字の上を土足で走り抜けて、自室に転がり込む。PCの電源を右手で連打しながら、足で扇風機のスイッチを入れる。
小さな一人部屋を満たす夏のうざったい熱気が、PCの冷却ファンとボロの扇風機をすり抜けて不協和音になる。
(くっ……なんだコイツら! 手練れだ! ヘッドホンだけじゃ手が足りない!)
ヒビキはデスクの上の空き缶と空きペットボトルを床にぶちまけて、キーボードを引っ張り出した。猛烈なタイピング音が不協和音に混じる。
(させるか……!)
3枚のモニターに次々と表示される文字列。それに混じって映し出されるドキュメントファイルを、ヒビキは片っ端からダウンロード・削除していく。
その時突然、ノックの音とともに部屋の扉が開かれた。
血相を変えて扉の方へ振り向くヒビキ。扉の前に立っていたのは一人の少女であった。
気だるげな赤い瞳。白い癖毛の眠そうなツインテール。細く精緻で、しなやかな肢体を覆うTシャツとスカジャン。ホットパンツのボタンが外れて、セキュリティが曖昧になっているのは故意なのか。
カラカラと扇風機が鳴り、二人はじっと見つめ合う。少女が風船ガムを膨らませた。
「おい! ここは男子寮だぞ!」
「君、何してるの?」
ヒビキの忠告を無視した闖入少女は、ヒビキの傍らに歩み寄り、モニターへ視線を落とす。
「くっ……!」
無視してキーボード叩きを再開するヒビキ。
「ハッキング?」
「そうだけど違う! 俺はホワイトハッカーだ。今忙しいんだ邪魔しないでくれ!」
「ホワイトハッカー?」
「そうだ。無許可、非正規、通りすがりのホワイトハッカーさ!」
「ねぇ、それ、いつ終わるの? 君に話があるんだけど」
「奴らの攻撃が終わるまでだ! ちょっと静かにしててくれ!」
闖入少女は文句を垂れながら、部屋の簡素なベッドに勝手に倒れ込む。青年がその様子を横目に見て、視線をモニターに戻すと『警告:レーダー監視網停止』の表示が赤く点滅していた。
(狙いはそっちか!)
乱暴にLANケーブルを抜きながら立ち上がり、部屋を飛び出すヒビキ。
「すぴー、すぴー」
惰性で回る回転イス。闖入少女は青い部屋で静かに寝息を立てていた。
◆◇◆
ヒビキはついさっき通ってきた道を、また自転車でがむしゃらに走った。焼けたアスファルトに落ちる木陰は空に照り返された青を湛える。吹き抜けるぬるい風がヒビキの無造作な黒髪を流す。
ヒビキは『ヴァンガード格納棟C1』と書かれた巨大な建物の前に辿り着いた。自転車を乗り捨てて、肩で息をしながら格納棟のドアの電子ロックに白い学生証をかざす。
警告音と共に、ドアのランプが赤に変わる。ならばとヒビキはスマホを取り出し電子ロックにかざす。首にかけていたヘッドホンで耳を塞ぎ、目を瞑る。
ヘッドホンを通じて放たれた0と1の刃が電子ロックのファイアーウォールを焼き切る。ヒビキの額を汗が伝い、快音と共にランプが緑に変わり、ドアのロックが解除される。
ドアを開けたヒビキの目に飛び込んできたのは、白い鋼の巨人の姿であった──ヴァンガードだ。5mはある巨体は白い装甲板に覆われ、単発式のカメラアイが蛍光灯の光を受けて輝いている。主張が控え目なそのフォルムは、この機体が訓練用機であることを静かに物語っていた。
ヒビキは訓練用ヴァンガードに駆け寄りながらスマホを確認する。
「レーダー監視網の再起動には……まだ時間がかかるか!」
ヴァンガードの搭乗ハッチに続く螺旋階段を駆け上がりながら、再びヘッドホンで耳を塞ぐ。データの濁流の中を泳ぎ、目の前の巨人の機密性を侵す。
「──搭乗ハッチ解放!」
ヴァンガードの胸部のハッチが音を立てて開いていく。螺旋階段を登りきり、ハッチに続くブリッジの上を走り、ヒビキは操縦室に滑り込む。
操縦席についたヒビキが慣れた手つきで計器を操作するとハッチが閉じていき、全天モニターに周囲の映像が次々と映し出されていく。
「"パイロットID、認証。データロガー、停止。ヴァンガードTC-1、神経共鳴を開始します"」
操縦室に響く電子音声。神経共鳴という超技術によってイメージするだけで機体を動かせるのがヴァンガードの最大の特徴だが、共鳴率が低い場合には操縦が不安定になるばかりではなく、痛みや倦怠感としてノイズがパイロットの脳に逆流する。
「ぐっ……!」
顔をひきつらせながらヴァンガードの眼前、発進ゲートに手をかざすヒビキ。ヘッドホンを耳に強く押し当て、口を開く。
「ゲート開放! 発進!」
「"ヴァンガードTC-1、発進します"」




