表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

95/96

第39-2話 おかえり、そして、ただいま ☆

 建物も人も消え、ひらけたその土地を、ずらりと並び歩く集団がいる。


 ローヴェニカ支部に所属する冒険者の一行いっこうだ。


 厳密にはギルド職員と冒険者、外部関係者の混成部隊こんせいぶたいだが、彼らの目的は同じ。

 ある()()を討伐するために、荒れ果てたこの地を踏みしめる。


 混成部隊を導くように先頭を進むのは二人の少女。


 うち一人であるアモネは――やがて足を止めた。

 それにならい、混成部隊の足も止まる。ざざざと土を踏む音が背後で連続した。


 アモネは深呼吸をして、眼前がんぜんにたたずむ『魔物』を凝視ぎょうしした。


 『魔物』はうつむいて立ち尽くしている。表情はまったく見えない。まるで何かがくるのを待ちわびているように、その場から一歩だって動こうとしない。


(……ッ‼ デリータ、さん……!)


 彼女が『魔物』に向ける視線はいつになく穏やかで。

 これから討伐するというのに、アモネの顔は心配と不安の入り混じった、それでいて今にも泣きだしてしまいそうに頼りない。


 その『魔物』は、簡単に言えば使い古されたボロ雑巾ぞうきんのようなものだった。

 姿は完全に人間。土塗つちまみれになった漆黒の衣服はあちこちがビリビリに破れており、道端みちばたに堕ちていたら迷いなくゴミ箱へ直行させるほど薄汚うすよごれている。


 そんな印象を与える『魔物』をじっと眺めて。


「デリータ、さん……」


 アモネは誰もが踏み出さなかった一歩をいとも簡単に出してしまう。

 背後から彼女の奇行きこうあやぶむ声が聞こえてくるが耳にも入れない。


「……デリータ」


 わずかに遅れてアモネに続くはもう一人の小柄な少女。長い銀髪ぎんぱつがそよ風で大きく広がった。


 少女たちと『魔物』の距離は、わずか一メートル。

 身を乗り出して手を伸ばせば触れられるほど近く、ゲンゴクの忠告にしたがうならば決して触れられない永遠えいえんの距離。


 アモネは目の前で棒のように立つ『魔物』へ声をかけた。


「……う、ウソですよねデリータさん! わたしたちをおどかすために演技してるだけですよね? もうデリータさんったら、そういうのはもう終わりでいいですから! ね? 帰りましょ? 脅威は去ったんです。危機は終わりました。他でもないデリータさんのおかげで!」


 無理くりに作る笑顔というものは。声色こわいろというものは。


 どうしてこんなにもむなしいのだろうとアモネは息を吸う。


「本当にデリータさんはスゴイです。だってローヴェニカを救っちゃうんですから。あんなおっきな魔物を倒したことがある人なんて、後にも先にもデリータさんくらいしかいないんじゃないですか? ねぇ、そうでしょうデリータさん?」


 ない。返答はない。

 ただ、そよ風があざけるようにアモネの頬を切り裂くだけ。


「……デリータ、空がとてもきれいだよ。すごく澄んだ色。空気もおいしい」


 静寂に耐えかねたアモネの代わりに、今度はシャーロットが言葉をつむぎ出す。


「……改めて思った。デリータ、ほんとうにすごい。みんなが大切にしたいもの、みんなが大事にしてるもの、ぜんぶ守ってくれた。守り抜いてくれた。ボクを助けだしてくれた時みたいに」


 口下手くちべたな少女にしては奮闘したほうだろう。


 それでもなお、『魔物』の心には届かない。

 深淵しんえんよりも遥かに奥底おくそこの、真っ暗でふかい闇には。


「……ボク、いっぱい色んな人助けられた。たくさんの人に『ありがとう』って言ってもらえた。スライムのぼくに『こころ』があるかはわからないけど……すごく嬉しかった。だからデリータもボクを褒めて。ボク、デリータに褒められるためにがんばったんだもん」


 シャーロットはわずかにを置いて、


「……すごくがんばったんだよ、デリータ……」


 途端とたん、彼女の瞳からぼろぼろと流れ出す大粒の涙たち。

 純白の頬を流れる涙の軌跡が太陽光に反射している。

 どれだけ届けようとしても、決して届かない想いにむくいるように。


 感情が連鎖する。決壊けっかいしたシャーロットの感情がアモネの張り詰めた精神を一瞬にしてほどいてしまい、


「……答えて、くださいよ……、デリータさん……」


 ついにアモネもこらえきれず、涙をひたすら流す。


(こんなの……こんなのってないよ……!)


 目元を服のそででごしごしと拭きながら。

 アモネはやりきれない想いに胸が押し潰されてしまいそうになった。


 やっぱり行かせるべきじゃなかった、と彼女はちょっと前の自分を責め立てる。


 だって、デリータは初めから知っていたから。


 もしかすると魔物になってしまうかもしれないことを。それをわかったうえで暴走したディオスのもとへ飛び込んでいったのだから。


 彼は特別任務が始まった直後、アモネとシャーロットにその可能性を伝えていた。



 実はこの日のためにヒト型モンスターと取引をしていたこと。


 その取引によって、キャリーやディオスの身に起きた現象を自分にも起こせるようになったこと。


 魔物化する要因『モンスター因子いんし』は《消去》で一時的に無効化していること。


 時が来れば《消去》をき、魔物となってアモネたちの前に立つこと。


 そして、今日がその時だと彼が考えていること――。



 もちろんアモネだって止めた。シャーロットだって止めた。


 心配だったから。もし本当に運悪く、魔物になったまま人間に戻れないなんてことが起きてしまったら。

 想像しただけでも気が気でなかったから。彼女たちは懸命に止めた。


 けれど彼の答えは最初から最後まで変わらなかった。


『大丈夫だって。心配してくれてありがとな』


 頭をかきながらそうはにかんで、


『でも、もし。万が一にも、俺がモンスターになったまま戻れなくなっちまったり、自我じがを失って暴走し始めたりしたら、そん時は――』


 ズキズキと痛む胸を抑える、

 白飛しろとびしそうになる思考を必死にこらえる、

 そんな彼女たちが聞いた彼の最後の言葉は、



一思ひとおもいに俺を倒してくれ。遠慮はいらないから、ずばーっ‼ ってな!』



 なんで笑っているんですか、とアモネは聞けなかった。


 シャーロットも同じように口をつぐんでいた。


 聞けば。そんな質問をしてしまえば。



(――きっとわたしたちは納得してしまっていただろうから)


 アモネの知るデリータという人は、目の前の『魔物』である彼は、そういう人なのだ。


 守ると決めたなら最後までそうするし、戦うと覚悟したならその意思はたましいが消滅するまで消えはしない。


 デリータはそういうしんを持った人だと思うから。


(……わたしたちじゃなきゃダメなんだ)


 ひらけた区画くかくで突っ立っている少年からは、一向いっこうに返事がこない。

 意識があるのかないのかもわからない。


 でも『魔物』になってしまったことは確かなのだろう。


 そこから戻れなくなってしまったことは事実なのだろう。



 ――ならば。



「シャーロットちゃん」


 アモネは意を決する。

 その瞳にもう涙は浮いていない……などということはない。蛇口じゃぐちけっぱなしにしているように、だらだらぼろぼろと流れっぱなしだ。


 でも、覚悟の光は確かに宿っている。

 強く、たくましく揺らいでいる。


 ――ならば、最後くらいデリータさんのたのみを叶えよう。


 今までの感謝と恩返しを込めて、叶えてみせよう。


「デリータさんのお願い通り、わたしたちで倒そう」

「……! でも……!」

「だいじょうぶ。わたしに任せて。シャーロットちゃんはそこで見ててくれたらいいから」


 一歩、アモネは前に出る。


 初めて会った時から、今日にいたるまで。


 彼と共に作り上げてきた思い出を、一つ一つ噛みしめるように。


 記憶に刻みつけるように。決して忘れないように。


「うぅっ……‼」


 もう一度、味わうように。


 この涙の意味を、何度でも思い出せるように。


 デリータを救えなかった自分を踏み潰すように。


「デリーダざんっ……ありがどう、ございばじだっ――――‼」


 アモネは《反射》を宿したその手を、『魔物』へゆっくりと伸ばして、







「えっと……どう、いたしまして?」







 その手が途中で止まった。


「……ぇ?」


 アモネは伸ばしかけた腕を下げることも忘れて、目をぱちくりさせる。

 目の前の『魔物』がしゃべったからだ。


「え……え? えっと……えぇ?」


 突然目を覚ました『魔物(デリータ?)』を前に、アモネはどうしていいかわからず気が動転どうてんしそうになった。


「えっと、デリータさん、ですか? 違いますよ、ね?」

「あん? アモネ、お前何言ってんだ。俺が別の誰かに見えてんのか」


 『魔物』は呆れたような目を彼女に向けながら、準備運動をするように肩を回している。


 いや、というか別の誰かに見える。

 アモネには『魔物』がデリータのようにはとても見えない。


「み――見えてますよ‼ だってデリータさんそんな服持ってなかったじゃないですか一体いつ買ったんですかそんなくろな服‼ それに髪の毛もそうですよ‼ この短時間で脱色だっしょくから染髪せんぱつまでしたんですか奇麗キレイにに色入ってますが白すぎますよ‼ そして最後にその目‼ なんなんですかその真っ赤な目はまるでけものじゃないですかーッ‼」

「んん? あぁ、なに、俺そんな風になってんの? じゃあ多分コイツが原因だと思う」


 言葉を区切ったデリータは事もなげに消去、と呟いて、


 ばぎん‼ とガラスが粉砕ふんさいされるような破裂音はれつおんが響く。

 と、同時。


「どうだ? これで戻ったろ? ――魔物化デリータさんへん、これにて終幕しゅうまくってな!」


 ……アモネの前で冗談じょうだんを言っている男は、もう『魔物』などではなく。

 どの角度に首を倒してみても見間違みまちがえられない、彼女のよく知った少年だった。


 ぴくぴく、と。アモネは自分の片眉かたまゆ痙攣けいれんするのを感じる。

 体の奥底でふつふつとした何かが湧き上がり、いまにも爆発しそうだ。


「いやー参った参った、魔物化って結構面倒くさいんだな。もうあんなの二度と……ってあれ? アモネ、さん? も、もしもーしアモネじょう? なんで顔真っ赤にして《反射》んだ両手を俺の首目がけて伸ばしてるのかなってちょっと待って今本当に逃げられないから――‼」


 ついにうわーっ‼ とアモネはデリータに飛びかかった。



「……???」



 しかし、デリータの身が爆散ばくさんすることはない。血肉ちにくのカケラに分解されることも、天空へ容赦なく突き飛ばされることも。


 むしろ、どちらかというと。


「よかった……本当によかったです、デリータさん……!」


 もう離しませんよ、とでも言うように。

 アモネの両腕は強く優しくデリータを抱き締めていた。


「……ボクも」


 わずかに遅れてシャーロットも彼を抱き締める。


 さすがにここまでされて、何も感じないほどデリータもバカではない。


 彼は一つ、


「……ったく、心配しすぎじゃないか、ふたりとも」


 そう言って腕を彼女たちの背中へ回し、


「でもありがとうな。たくさん俺のために戦ってくれて」


 ふたりの華奢きゃしゃな体を強く抱き寄せる。


 彼の耳元では嗚咽おえつこらえる音があった。あるいは嗚咽を隠さない、それこそ見た目に見合った爆音ばくおんの大号泣も同じように。


 アモネとシャーロットは、涙交なみだまじりの声でなんとか口にする。


「おかえりなさい、デリータさん……!」

「……おかえり、デリータぁ……ぅうわぁぁぁぁぁぁぁんんっ‼」


 デリータは、ただただ噛みしめる。


 大事にしたい人たちの。守りたかった人たちの。

 温かい体温を肌で感じられる喜びを。


 彼は小さく笑ってただ一言、


「ただいま」


 そう返事する。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ