第39-1話 苦渋の決断 ☆
どさり、と遠くで音が鳴った。
数十メートル先の上空から落下していった人影。
その正体が彼女たちの慕ってやまない相手――デリータであることは考えずともわかる。
「デ、デリータさん……っ!」
「デリータ……!」
アモネとシャーロットは人影の名を口にすると同時、今にも暴発しそうな勢いで走りだそうとする、が。
「待つんだ二人とも‼ おいちょっとお前たちも手伝ってくれ!」
彼女たちの手をがっしりと掴んで離さないのはギルドマスター・ゲンゴクの剛腕。
続いて別の女性職員たちもアモネとシャーロットの体にしがみつく。
「アモネ、シャーロット。ひとまず俺の話を聞いてくれ!」
しかし少女たちは止まらない。掴まれた腕を引き千切ってでもデリータのもとへ行こうとするように暴れ回って、
「待っていられるはずがないでしょう……⁉ デリータさん、きっと大ケガをしています。早く治療をしないと……!」
「……アモネの言うとおり。まずはデリータの負傷具合を心配すべき」
ふたりは腰に腕を巻きつけてくる職員を振りほどき、今度はゲンゴクの捕縛から逃れようと躍起になって体をうねらせる。
華奢な見た目からは想像できないほどのパワー。
(な、なんて力してるんだコイツらは……)
捉えたふたりの腕から伝わってくる力に、ゲンゴクは驚きを隠せない。
単純な力比べで負けることはないとは彼も信じているが……両腕に段々と力が入りづらくなっているのまた事実。なるべく早く彼女たちを落ち着かせなければといっそう腕に集中しようと決めた直後だった。
「なにを暴れ回っているんだキミたちは。いったん冷静になれ」
ぱすっ、と。アモネとシャーロットの脳天に優しめのチョップが落下する。
彼女たちの背後には、平常通りの冷静さでクレブが立っている。
「クレブさん……でも、でも‼ デリータさんが――」
「でも、じゃない。アモネ、キミも冒険者なら状況把握に努めるべきだ。現在のワタシたちを取り巻く環境は一体どうなっている?」
「……、」
「ついでに言うなら。キミたちが今反抗している相手はギルドマスターのゲンゴクだぞ。彼がいつでも正しい訳ではないが、彼がいつでもキミたちの上司であることに変わりはない。経験や知識も豊富な男だ、耳を貸す価値もあるのではないか?」
まるで沸騰したやかんに冷水をぶっかけたように、アモネの顔からは蒸気が立ち昇りそうだ。
ゲンゴクの両腕は疲労から解放されたように彼の体側へ戻っていく。
「すみませんでした……以後気をつけます……」
「……ごめんなさい」
しょんぼりする少女ふたりを前に、ゲンゴクはどこかやりづらさを感じながら、
「状況を把握しよう。巨大モンスターは討伐されたとみて間違いないだろう。あの光の柱も気になってはいたが、段々と薄くなってきているし間もなく消えると予想が立つ。残るはデリータだが」
ゲンゴクはそこで言葉を区切り、何かを確かめるように数十メートル先を眺めて。
「……さっき、アイツはなぜ俺たちを攻撃してきたんだ?」
核心をついた質問だった。
なぜ冒険者サイドであるデリータが自分達のいる方へ、もっといえば住民会館のある方へ瓦礫や魔法を放ってきたのか。
「そ、それは……」
何かを言おうとするがやはり言えないアモネ。ゲンゴクはわずかに目を細くして彼女を遮る。
「あれは明らかな加害だった。さらに不可解なのは、なぜデリータは巨大モンスターの間合いに突っ込めたんだ? 高濃度の魔力で充満された空間――それも通常の五〇〇倍にも濃縮された空間へ。普通なら即死だろう? ……この点の判断がつかなかったから俺はお前たちを止めたんだ。何か知っているかアモネ、シャーロット?」
ゲンゴクの鋭い視線が交互に少女たちを貫く。
彼女たちは互いに目を合わせることもせず、どこかもどかしそうに目をきょろきょろさせている。
(信じたくない、信じられない……そんなところか)
そりゃまぁそうか、と黙る二人を前にゲンゴクは一人合点していた。
冒険者になって日が浅いとはいえ、彼女たちもきっと気がついているのだろう。
だって、今のデリータは。
前方数十メートルから爽やかな風に乗って流れてくる魔力の奔流は。
拭いきれない禍々しさにゲンゴクの本能が警鐘を鳴らしているのは。
「いまの彼は」
決定的な答えを告げるのはクレブだった。
「デリータは魔物だろうな」
さも当然のように言ったクレブとは対照的に、その場に居合わせた冒険者たちは愕然とその目を見開いて。
ある者は信じられないと言いたげに口を手で隠し、またある者は緩んでいた気持ちを引き締め直すように左腰の鞘を強く握る。
「……やはりクレブ氏も気づいていたか」
「気付かないワケがないだろう。ワタシを誰だと思っているんだゲンゴクよ」
不満を全開にする冷たいクレブの視線がゲンゴクを射抜くが、
「まぁまぁ先生落ち着いてください。最優先で決めなければならないことが、もっと別にあるでしょう?」
この場において最も冷静かつ聡明なエレルーナが先を促した。
ギルド職員、冒険者集団、アモネ、シャーロット、クレブとエレルーナ、それからブルームレイ。ローヴェニカを救った立役者の視線が一挙にゲンゴクへ集う。
彼の発する言葉を聞き逃さぬように。
一秒でも早くその指示を耳に入れたいと願っているかのように。
(……俺は決めた。デリータの味方でいると)
耳鳴りに苛まれそうなほどの静寂の中、男は一人思い出す。
あの日、少年にかけた言葉を。
『――良くて国外追放、最悪の場合は命をもって償う、とかだろうな』
『――だが俺個人としてはデリータ、お前の味方でいたい』
きれいごとじゃない。嫌われるを恐れて告げた訳でも、上っ面の関係を取り繕うためでもない。
ただ、彼なら。あの少年ならやってくれると信じていたからだ。
心の底から、デリータならきっと大丈夫だと任せることができたからだ。
――ローヴェニカから魔物へ対する偏見をなくすこと。
少年が果たしたいと宣言していた目的は、約束は。
いまや守られることは、きっともうないだろう。
ましてや偏見を助長する形で、彼さえも魔物へ命を投じてしまっている。
(何が一番良い判断か。ローヴェニカ支部のギルドマスターとしてどう判断すべきか)
そんなことはもうわかっている。
わかっているけど、まだ喉に痞える言葉を吐きだせないのは。
ゲンゴクの両手の拳は、固く固く結ばれている。
大男の図太い体躯は迷子のように小刻みに揺れている。
(く――悔しい……! 悔しい‼)
声なき声は男の胸の中でのみ反響する。
でも、そうするしかないのだ。
喉奥に詰まる悔しさに。
彼から預かった言葉を踏みにじらねばならない自分に。
たとえ残酷であっても、善より正を求めねばならない命に。
――ゲンゴクは奥歯を噛み潰して、頭蓋が割れそうなほど眉間にしわを寄せて。
顔を上げて、言った。
「全員、戦闘態勢に入ってくれ」




