第38-7話 クレブの心配、そして後悔 ☆
破壊の限りを尽くされるローヴェニカに轟雷が瞬いた。
断末魔さえも許さない必殺の雷。遥か上空を覆う闇を突き破って落ちてきた雷は、バチバチと青い火花を撒き散らしながら空気中へ溶けていく。
虚空へ帰っていく火花を、確かな目で見据えるのは一人の女。
普段は白衣に下着姿というファンキーでジャンキーな服装しかしないくせに、今日だけは大人びたパーティー用の黒いドレスを身にまとう彼女こそ落雷の主だ。
その名をイロートデス・クレブ。
ローヴェニカ指折りの魔物専門家である。
クレブは生暖かい風に揺らめく髪を耳にかけながら、
「これでワタシの担当分は終わりだが、そっちはどうだ」
我が助手よ? と調子づいた口調で振り返ると。
灼熱の炎がゴウゴウと燃える一帯を踏み潰すように、空から舞い降りてきた巨体は。
「ええ先生。先生の偉大で尊大で出来が良すぎる優秀な助手であるエレルーナの担当分もちょうど片付いた所です」
見紛うはずもなくドラゴン。
伝説上のモンスターと呼び声高い竜は流暢に口にすると、直後その身に白光を湛え、やがて人の形へと変わっていく。
クレブは呆れたように目を細めながらエレルーナに近寄って行き、
「『偉大で尊大で出来が良すぎる優秀な』が装飾するのは助手ではなくワタシだろうが」
「調子に乗った助手の言動をスルーしてくれたら訂正するのも吝かではありませんでしたが」
「ウソをつけ。どうせワタシがお前の言うとおりにした所で――」
場にそぐわない話をする二人の下へ、どこから現れたのか、モンスターが突進を試みる。
が。
クレブからは雷、エレルーナの指先からは火炎弾が同時に射出され。
それらはモンスターの体表で混ざり合い、直後その歪な体を爆散させた。
予期せぬ、しかし取り立てて話題にあげるでもない襲撃にクレブはため息をつく。
――あの少年を、本当に一人で戦わせて良いのだろうか、と。
「……随分と不安そうな顔をされるんですね、先生」
彼女の迷いを察したのか、あるいは彼女が顔に出やすいだけなのか。
助手であるエレルーナは普段通りの口調でそう言った。
「デリータさんのことですか」
「……まぁ、そんなとこだ」
「心配ですか」
「……、」
言葉を発しなかったのは照れ隠しでも何でもない。
ただ単純に、本当に心配しているからで。
しかしそんな彼女とは対照的に、平静を保つ部下は平淡に続けて、
「きっと大丈夫ですよ。だって彼、強いじゃないですか。《消去》もあることですし、きっと先生がご心配なさるほどの事態にはならないかと思いますよ。……まぁ、彼も人ですからもしもの可能性は十分にあるでしょうけど」
クレブは助手の発言に眉をあげた。
「……意外だな。お前はデリータのことを最大限に買っていると思っていたよ」
「ええ、もちろん信用はしています。ですが人は人。悪く言えばどこまでいっても、この環境に耐えられる体は持たないんですよ」
その言葉にクレブは再び口を噤んだ。
あの少年が強いことくらい、彼女にもわかっている。
その活躍ぶりを、スキルが持つ有用性・可能性を間近で見ていたのだ。
心配の必要がないことくらい十分に理解しているつもりである。
だがそれでも、クレブの胸の内から不安が払拭されることはなかった。
彼女はローヴェニカの中でも指折りの魔物専門家。モンスターにされた人間を元に戻すための《廻天計画》では、計画の中枢である復元薬の創薬をも担う研究者でもある。
だからこそ。
それほどまでに魔物に詳しい彼女だからこそ。
「……この魔力量、並みの人間が耐えられるレベルではないぞ。あのデカブツに近づくにつれて周囲のモンスターも格段に強くなっている。本当に大丈夫なのか、デリータは」
ついにその心境を吐露したクレブは、困ったように眉を下げて、エレルーナの目を見据える。
彼女だからこそわかること。
それは心臓を模した巨大モンスター周辺における魔力濃度が、通常と比にならないほど跳ね上がっていることである。
闇が空を覆うのは、高濃度で大気中に放出される魔力の影響を受けているからであり、デカブツに接近するにつれモンスターが強くなるのは敵の動力源たる魔力が半永久的・自動的に補給されるためで。
エレルーナはクレブから目を逸らし、巨大モンスターの輪郭をなぞるように眺める。
「モンスターにとって現在のローヴェニカはまさに楽園。魚にとっての水ですし、人にとっての酸素でしょう」
すなわち、それは言い換えれば。
「――言い換えれば、人間にとっては地獄そのもの。生物の構造上、こんな高濃度の魔力に耐えられる身体機能を有していないですからね、人間は」
ぞわり、と悪寒がクレブの背筋を舐める。
彼女は知っている。
魔力に侵され続けた人間がどうなるのかを。
身に余る、過剰な魔力を扱おうとした人間たちがこれまでどう死んでいったのかを。
苦しみもがき、もはや魔力を扱うこと処理することに何の価値も見出せなくなり、最後には魔法を使えるという事実を憎み恨み息絶えていった者たちを。
過剰な魔力の処理に追いつかなくなれば、人は処理機能を生来の臓器に強引に任せてしまう。たとえば初めは膵臓に。それがダメなら腎臓へ、それもダメなら肝臓へ、腸へ、肺へ、心臓へ……と。
臓器にとって魔力は異物だ。だから本来であればその処理を拒否するように自衛機能が働く。
だが、魔力はそれすらも許さない。まるで『欲しがったのだから余すところなく受け取れ』と主張するように魔力の吸収を強制するのだ。
その結果、異物に侵された体内は腐り始め、生命維持機能をだんだんと失い、やがては――。
クレブの唇が渇いていく。
唾液はでない。
喉は干上がる。気道で呼吸が痞えている。
もう、居ても立っても居られなかった。
「行くぞエレルーナ‼」
《雷電之王》を顕現させ、爆発するように飛んだクレブは、空中を走るように水平にデカブツへ接近していく。
(くそ……ワタシのバカ‼ 愚か者‼ なんであの時気絶なんかしていたんだ――‼)
悔やんでも悔やみきれない後悔が彼女の胸を押し潰すように浮かび上がる。
デリータの単独戦が決定した頃、彼女はエネルギーの使い過ぎにより深い眠りの最中にいたのだ。その場にいれば必ず反対し、否が応でも彼についって行ったのにとクレブは奥歯を噛む。
宙を駆けるクレブの横を悠々と走って追いついてくるエレルーナは、
「でも先生、持ち場はいいんですか。基本三人一組で行動するのが鉄則のようですが」
「そんなもの知るか‼ ワタシたちは冒険者ではないのだ、そんな括りに縛り付けられる筋合いなどどこにもない! それにワタシたちはもう不揃いだろうが。そう言えばアイツはどこへ行っておるのだ⁉」
エレルーナ、ちょっと探して来てくれ。そう言おうとしたクレブの口を封じたのは、
「すまなかったね、僕はこう見えても正義感が強いんだ」
他でもないその男だった。




