第38-4話 善意はいつも ☆
十分後、エントランスホールに残ったのは冒険者と職員、合わせて三〇名ほどだった。
「……諸君らの勇猛な意思に心からの敬意を。ありがとう」
頭を下げるゲンゴクだが、その表情に苦しさが滲んでいるのはアモネにも伝わってしまっている。きっと彼の予想ではもっと多くの冒険者が残るとふんでいたのだろう。
あたりを見渡すと、ほとんどが職員の制服に身を包んでいる。逆に言えば残った冒険者はごく少数……はっきり言えば彼女たち含めて九名しかいなかった。
「それでは特別任務の概要を説明する。主内容は逃げ遅れた住民の避難と、ローヴェニカを徘徊しているモンスターの討伐だ。優先度はどちらも最上級。救助をこなしながらモンスター討伐にあたってもらうという難行だが――」
そこまで話した時だった。
ばん‼ と乱暴に扉が開かれる音が響いた。
エントランスホール奥の避難所へ続く扉が蹴破られた音だった。
え? とアモネたちが巨音に振り向くと同時。
そこから雪崩れ込むように押し寄せるは避難住民の人波。
「おいどういうことだ‼」
「冒険者のくせに我々を守らず助けがくるのを待っているだと⁉」
「税金を納めているわしらをバカにしとんのかいな!」
そんな罵声が連続し、どこかで悲鳴があがって、あっという間にアモネ達は無数にも思える住民たちに取り囲まれてしまった。
(……? なに、なんの声……っ?)
そこかしこから聞こえてくる呻き声のようなものにアモネが首を振っていると、
ばさり。どさり。
まるでゴミを捨てるようにアモネたちの前へ積まれていったのは。特別任務への参加を選ばなかった冒険者たちだった。……一般人に比すれば戦闘術に長けているとはいえ、数の暴力には敵わなかったのだろう。ゴミ山のように積まれた彼らは一様にボロボロになって気を失っている。
アモネの服の裾がぎゅっと掴まれる。
「だいじょうぶだよ、シャーロットちゃん。わたしが守るから」
顔には出さないが小刻みに揺れる彼女の肩を優しく抱き寄せるアモネ。
同時に遠慮のない暴力をよしとした住人たちへ、穏やかでない感情が湧き上がってくる。
「……これは?」
まず口を開いたのはゲンゴクだった。
感情の死んだ声。その視線はそこに積まれた冒険者たちへ向かっている。
群衆の一人が怒りに任せて声をあげた。
「聞いたぞ! なんでも避難所に戻ってきた冒険者たちは国防の義務を拒否したそうだな! そんなのが許されると思うか⁉ お前らが守るべきは自分ではなく国全体、ひいては国をつくる我々住人ではないのか⁉」
そうだーそうだーと野次が飛ぶ。
また別の方からは。
「おれたちはそこで伸びている腰抜けのために金を払っていたのかって思うと腸が煮えくり返るよ。なんだって緊急時に逃げ出すような弱者に金払わなきゃいけないんだよ。だいたいモンスター討伐はあんたらの仕事だろ? 依頼がなくちゃ動かないってのはいかがなもんだ?」
野次が加速する。
アモネはぐっと拳を握った。
だって暴論だ。彼らの言っていることは何一つとして正しくない。
冒険者は国防の義務を負わない、強いて言えば努力義務があるだけ。報酬だって依頼人の問題を解決した対価として受け取っているにすぎない。彼らの主張はいわば、『しかるべきサービスは受けるけれども正当な対価は支払わない』ということだ。
唇を噛みしめた彼女の手は、あまりの激情に震えだしていた。
(なんで……なんでそんなことがわかんないの……!)
そんな、当たり前のことが。
いまある命が、暴力を振るわれた冒険者たちのおかげだということが。
そして今この瞬間、わたし達を生かしてくれている人がいるという事実が!
「ふざけないでよっ‼」
アモネは叫んでいた。
静まり返るエントランスホール。穏やかな余韻は、彼女の次の言葉を待ってくれているようだった。
「あなたたちは……あなたたちは恥ずかしいと思わないの⁉ やり場のない怒りを他人にぶつけて、ソレも数に任せて……! ローヴェニカで起きていることはここにいる誰のせいでもないの! ましてやそこで気絶している人達のせいでは絶対にない!」
彼女はひとり続ける。
「あなたたちを助けたのは誰ですか! 死が迫る地獄のような環境で避難先を提示し、そこまで誘導してくれたのは誰ですか! ここに到着するまでの安全を確保してくれていたのは誰ですか‼ 自分のことばかり考えてないでもっと周りをよく見なさいよっ‼」
群衆を突き刺すように視線を巡らせるアモネ。
反論がないことを確認してから、最後に。
いますぐ顔をみたい少年のことを思い出して。
「今も……今この瞬間も! あなたたちは! わたしたちでさえ! ある一人の冒険者に守られているんです! 彼はたった一人で、たった一人でローヴェニカを守ろうと戦っているんです……! 彼が守ろうしているのは国であり、わたしたちであり、あなたたちなんですよ! こんなっ……こんな意味のない暴力が、鬱憤を晴らすためのくだらない暴力が一体なんになるって言うんですか‼ そこのあなた、答えなさい‼」
アモネは先頭で怒り狂っていた中年男性を指差した。
突然の指名に男はビクゥ! と肩を震わせる。
「え、えっと、それはだな……その……」
「くだらんな」
中年男性のさえずりを断罪したのはゲンゴク。彼はどっしりと彼の前まで歩を進め、
「実にくだらない。彼女の言った通りだ。あえてこういう言い方をするが、アンタらは誰に生かされてんだ? もし自力だけで生きてるって主張したいヤツがいたら教えてくれ。特別任務にぜひ参加してほしい。そんな力は独り占めしてちゃ国の損失だからな。え? どうなんだ、えぇ?」
挑発するような口調で、ゲンゴクは中年男性の頬を片手で鷲掴みにした。
「つけあがるんじゃねぇぞテメェら。俺たちゃ善意でお前たちを助けてんだ。極論お前らの命を投げ打ってしまっても構わねぇんだ。でもそうしたくない、そんなのは間違ってるって思う連中がギルドには集まってる。その善意を軽視するような事もういっぺんでも言ってみろ、そん時はお前らを丸腰のままモンスターの前に放り出してやっからよ」
(さ、さすがに言い過ぎですよゲンゴクさん……⁉)
すっかり冷静さを取り戻したアモネはあわあわしながらそんなことを思っていたが、嫌な予感は的中してしまう。
群衆からついに耐えきれなくなったというように、
「な……なんだその言い草は‼ お前らこそ我々を下に見ているんじゃないぞ‼ バカにするなよ税金ドロボーがっ‼」
まさに一触即発。
どちらかが動き出せば、乱闘は避けられない。
その時だった。
ばん‼ と。ふたたび勢いよくドアが開かれる音が響き渡る。
今度は奥の避難所からではない。
音がしたのは、住民会館の出入り口だ。
全員の意識がいっせいにそちらへ向かう。アモネもシャーロットも例外ではない。
(……っ)
怪訝そうな視線が降り乱れる雨の中で、アモネだけはその目に涙を浮かべそうになっていた。
なぜなら。
そこには肩を上下に揺らす、一人の少年が立っていたから。
彼女が会いたくて会いたくて仕方がなかった、彼が立っていたのだから。




