第38-3話 特別任務、発令 ☆
エントランスホールの物々しさは尋常ではなかった。
冒険者と思しき人たちが噂話をするように声をひそめている。その顔に浮かぶは紛うことなく明るい感情ではないだろう。
何が起きているのかは当然アモネたちにもわからない。
だが、『何かよくないことが起こった』という事実だけは肌で感じられた。
エントランスの入り口が開く。冒険者が住民を避難させてきたようだ。
その住民は顔を真っ青にしながらうわ言のように「終わりだ……もう終わりだ……」と口にしている。彼はそのまま奥の避難所まで連れていかれた。
……こういう場面を、エントランスホールに来てからもう五回は見ている。だからこそ良くない何かが起きているのはほぼ確定事項だろうとアモネは考えている。
間もなくして、彼女たちは懐かしい顔と声を聞く。
「冒険者諸君、よくぞ集まってくれた」
ドスの利いた野太い声。ローヴェニカ支部のギルドマスター・ゲンゴクだ。
(ゲンゴクさん……!)
とアモネは内心安堵の声をこぼすが、それを発する訳にはいかない。
彼の表情は周囲と同様に曇っていたためだ。
「まずは良い報告になるが、避難状況の確認をした結果、現時点で一般住民の九割以上は避難できている。……お前たちの尽力あってこその成果だ。ギルドマスターとして感謝する。ありがとう」
礼節を重んじる人格者のように頭を下げるゲンゴク。
良い知らせから入ったためか、冒険者たちを取り巻く空気が一瞬和らいでいた。張り詰めた緊張の糸がたるむように、口角がわずかにあがる――
が、その先はなかった。
「気を緩めずに聞いてくれ。いまローヴェニカは最悪の事態に見舞われている」
ゲンゴクの鋭く端的な言葉。
スウェットの腰紐を引っ張り上げるように空気がガチガチに引き締まる。
触れたら破裂してしまいそうなシャボン玉のような空気感の中、しかしゲンゴクは恐れず口にした。
「ローヴェニカの街中に、モンスターが溢れ返っている。二三じゃない。数十、下手すれば数百ものモンスターが、な」
どっ……と広まる喧騒。
「なんでそんなことに……?」
「あの空に浮かんでたモンスターのせいか?」
「避難が完了してない住民はどうするんだ? まさか俺たちが助けにいくのか……?」
「自殺行為ね、完全に……」
口々にこぼす冒険者たち。アモネとシャーロットはじっとゲンゴクの次の言葉を待つが、二人とも内心は決して穏やかではない。
「(デリータさん、大丈夫でしょうか……あれっきり全く見かけてませんし……)」
「(……デリータ、まりょくたくさん蓄えようとしてないかな……こまる……)」
もじもじとする彼女たちは、互いが同じような反応をしていることに気づいていない。
エントランスホールに響く喧騒を割くようにゲンゴクは続けた。
「お前たちの気持ちはわかる。忌憚なく言えば、この状況下で残る住民の避難誘導およびモンスターの討伐任務へ出向くのは自殺行為といっても過言ではない。それくらい危険度も難易度も高いミッションになる。したがって――」
一拍おいて、ゲンゴクは厳然と告げる。
「これから発令するギルドからの特別任務への参加は各人の自由とする。お前たちが参加してくれると言うなら感謝するし、参加しないと言っても叱責等の不当な扱いは一切行わない」
静まった喧騒は、いっそうの騒がしさとなって再燃した。
確かに判断には迷うだろう、とアモネは思った。
「ちなみにお前たち全員が参加しなかったとしても問題はない。冒険者ギルド運営総則第八条に則り、ギルド職員の総動員は確定事項になっているから最低限の戦力は確保できている。だからこそ……しっかり考えて決断してくれ」
ゲンゴクのことだから、恐らく不当な扱いがなされないことは担保されているはずだ。
だから重要な点としては、この任務に参加する意義を己の内側に見出せるか否かになる。彼女が周りの会話に耳をそばだてると、実際に議論されているのは単なるメリットデメリットの話ではないようだった。
(わたしは……わたしはどうだろう?)
アモネが逡巡していると、彼女の袖がくいくいと引っ張られる。シャーロットが判断しかねたように見上げていた。
「……アモネ、ボクたちはどうするの」
「えっと、そう、ですね……」
すぐに答えられないのは、決して正義感が弱いからではない。
頑張れる理由がちゃんと存在しているのかを再び問われたような気がしたからだ。
彼女たちがこれまでの避難誘導を全力で行えたのは、もちろん冒険者としての役割という側面もある。が、それ以上に『デリータが今もディオスと戦っている』という状況があったから。
大事な人がローヴェニカを守るために奮闘している。
自らを省みることなく戦っている。
その姿に、背中に。言葉では言い尽くせない勇気をもらっていたからだ。
(……きっと今も、わたしたちが避難しているこの瞬間も、)
彼は戦っている。
誰かに認められるためにだとか、自分の強さを誇示するためにだとか、
そんな損得や大きな理由などなしに戦っている。
じわり、とアモネの胸の奥で何かが震えている。
熱く、暖かく、強く、激しく。
(……あなたはどこまでも不思議な人です、デリータさん)
アモネは胸のあたりをぎゅっと抑えた。
実利のためだけに戦わない姿にも、もちろん疑問は抱くが。
別にあなたが身を挺して前線に立たなくてもいいのに、とも思うが。
それ以上に不思議なのは、
(――――だってあなたは、離れていてもわたしに勇気をくれるのだから……!)
そばにいなくても、背中を押してくれるのだから。
強く優しく。立ち向かう力を与えてくれるのだから!
意を決したようにアモネは息を吸い、シャーロットの瞳へ告げた。
「わたしはいくよ、シャーロットちゃん!」
シャーロットは考え込んでいるのか、アモネの顔を覗き込むようにぼーっと見つめている。
「きっとデリータさんは今も頑張ってるはずだから。わたしにはそれだけでいい。デリータさんが頑張っている、わたしが戦う理由はそれで十分なの。シャーロットちゃんはどう?」
スライムという集団の中で迫害されていた少女は。
その苦境をデリータに救ってもらった少女は。
音もなく親指を立てて言った。
「……もちろんいく!」




