第36-6話 vs.魔物化ディオスなんだが?⑤
俺は寝転がっていた。なんなら紫色の不気味な空を眺めていた。
は? と思って顔を上げた次の一瞬。
ひゅん‼ と、眼下から現るは魔物化ディオスで。
「虚勢を張ってンのはお前のほうみてぇだなデリータッ‼」
二メートル近くもある大剣を振り被って飛び跳ねる彼を見たところで、ようやく俺は自分の差し置かれた状況に理解が追いついた。
あのわずかな間で。
ほんの一秒も経たない光のような一瞬で。
俺はディオスに身体のバランスを崩され、こうして背中を地面に叩きつけられている。
思い返してみれば視線が激突した直後。なぜかディオスが目の前まで移動してきていて、豪快に足払いをかけられたような気がする。
ああ、どうりでこの具合か、と今度こそちゃんと理解する。
寝転がる俺の上空。魔力でできた大剣をまさに振り下ろそうとしている男を見ながら。
「(……って言ってられっかよ‼)」
言葉にする時間すらも惜しい俺は勢いよく左へ体を転がした。
ゴン‼ と金属でコンクリートを殴ったような音が頭の後ろから響いてくる。俺は転がり続け音のなったほうへ目をやると、真上から空気を引き裂いた大剣がグレーのタイルに突き刺さって、
いない。
「⁉」
慌てて立ち上がろうとすると、大剣の居場所が現実に表れた。
目を見開くよりも早く。なんと、そこにあったはずの大剣は跳ね上げられて大きく軌道を変化させていた。ディオスは口元を引き結んだまま力任せに剣を操作する。動きとしては『剣を抜く→振り被る→剣を振り下ろす』というムダの多い所作であるはずなのに、そのロスを一切感じさせないほど素早い身のこなしだった。
再び直下してくる魔力の大剣。
俺は今一度横に転がってよけようと思ったが、慌てたことが仇になった。
「あ、」
雑な体勢で立ち上がっていたためか、横合いへ飛び退ろうとした足がもつれその場に転んでしまった。
まるで馬車から降ろされて道端に置いてきぼりにされたお姫様のような格好で振り返る。
「終わりだ。死ね、俺の悪夢」
眼前に、迫る大剣。
皮肉にも死を彩るには美しすぎる魔力の残滓が空気にこびりつき。
あたかもそれが救いであるように俺の頭上で煌めいている。
――しかし、案ずる事はなにもない。
勝ち誇った顔をしようともしない、声一つもあげようとしないディオスへ。
正しくは、ディオスの魔力へ。
この体に宿る熟練の《スキル》を行使する。
――ばぎん、というガラスに鉛弾が着弾したような破壊音が響きわたった。
その音は他でもなく俺が《消去》を行使した音。安定した能力が滞りなく発動したことに加え、俺を真っ二つに分けようとしていた大剣が光の粒に姿を変えたのを見て思わず、
あっぶねぇ! 今度こそ終わったかと思っちまったじゃねぇか!
と俺は心の中で絶叫する、
が、その安堵は長くは続かない。
次の瞬間、撫でおろしたはずの胸に渦巻くは再び背筋が凍りつくほどの恐怖。
敗北はすぐそこまで差し迫っていた。
「そうくるよな、テメェは」
頭上後方から聞こえてくる落ち着いた声に、今度こそ俺の喉は干からびた。
目の前にいるはずの男の姿は、
そこにない。
真っ先に音で理解し、視界が現実に追いつき。
「まず……ッ⁉」
地面をのたうち回るように大慌てで体ごと振り向いた俺は、目の当たりにするほかなかった。
見下すように佇み、凶悪に、獰猛に笑む魔物化ディオスを。
しかも、《消去》したばかりの魔力が異形となって顕現している光景を。
なんと。どういう理屈かは到底想像もつかないが、ディオスの背には一本の左腕が生えていた。ディオスの身長を優に超える筋肉質の腕は血色の悪い紫色で、しかし同時に魔力そのものが誇る水滴のような煌びやかさも兼ね備えている。
そして、その腕は。
ディオスの第三の腕は、やはり大剣を握りしめていた。
それもディオスが手にしていたようなものとは比較にならないほど鋭利で、研ぎ澄まされた魔力の大剣だった。
質も量も圧倒的に人ではない腕と剣。そのどちらもが、今まさに振り下ろされようとしている。
走馬灯が流れるように、ゆっくりと時間が進む。大剣は自由落下に身を委ねた鉄球のように空気をしっとりと貫いていく。
その無限にも感じられる時空の中で、俺の頭だけはちゃんと回転しているような気がした。
……ああ、ついさっきディオスが勝ち誇った顔をしなかったのはそういうワケだったのか。
ディオスはプライドと信念だけで生きているような男だ。言ってしまえば一度負けた相手に再び負けることをみすみす受け入れる類の人間ではない。
だから《消去》を行使した先の一撃において、奴は歯を見せなかったのだろう。
準備をしてきていたから。対策をしてきていたから。
もし俺が《消去》を使用して死線を潜り抜けようとした時、自分はどう動くべきか何をするべきかを事前に考えてきていたから。
不思議なものだ。
目の前に大剣が落ちてくる。おびただしい魔力の残滓を撒き散らしながら、その必殺の切先は着実に俺の脳天を叩き割る軌道を描こうとしている。
にもかかわらず。
敗北が、死が、破滅がすぐそこに来ているにもかかわらず、だ。
――俺はちょっと嬉しかった。
不思議なものだ、と思いながらも口角が緩やかにあがるのを感じる。
だって、ディオスはやっぱりディオスだと思ったから。
見てくれの『強さ』を欲するあまり魔物の力に手を染めたと思っていたアイツが、実は俺との戦闘における準備をしてきたのだとわかったから。
つまりそれは、準備をしていかなくてはやり合えない相手だと、力押しだけではどうにもならない相手だと理解したうえで、自分が優位に立てる方法を考えてきた証だからだ。
――お前はやっぱりお前だよ、どこまでも。
過去に縛られた強さだけを求めていると思っていたが、そんなことはなかった。
方向はどうあれ、ちゃんと前見て戦ってるんならそれでいい。
ゆるやかに過ぎていく時間は、もう間もなく終わりを迎えようとしている。
地面に両手をついて座り込んでいる俺の目の前には、狂猛な犬歯をこれでもかというほど見せつけてくるディオスが大剣を握っている。
その剣を形成するは、ヒトの力を越えた魔物の魔力。
ざっくばらんな計算をすれば威力は最低でも数十倍に及ぶだろう。
そんな最終兵器級の武器の先っぽは、もう間もなく俺の脳みそをすっぱりと斬ってしまうに違いない。
だから俺は――
「くたばれデリータァァァァァアアアアッッ‼‼‼」
喉が張り裂けそうな咆哮とともに。
逃れようのない魔力の大剣が俺の全身へ狙いを定めたようなので。
――俺は安らかに瞼を閉じた。
直後。
刃なき必殺の一太刀は、空気ごと俺を一刀両断してしまう。
すぱん、と研いだばかりの肉斬り包丁が肉を裁断するような歯切れのよい音が、ローヴェニカの商店街大通りへ反響した。




