第36-5話 vs.魔物化ディオスなんだが?④
「で、この状況。テメェはどう打開するつもりなんだよデリータァ? しっぽ巻いて逃げ出す、なんてクソつまんねぇことはやめてくれよ?」
にやにやと舌なめずりを繰り返すディオス。モンスター化したことで余裕が生まれたか。それとも圧倒的な治癒力を誇るから持久戦に持ち込めば勝ち確定と考えているのか。
俺は乱れかけた呼吸を整えるように肺の中の空気を一気に吐き出し、
告げる。
「何が変わったんだ?」
「……あん?」
嘲弄に歪んでいた彼の表情がピタリと止まる。
細まった瞳が俺を捉える。
「だから何が変わったのかって聞いてんだよ、結局。あーだこーだ言ってるけど、お前はモンスター化して何を手に入れたんだ?」
「ハッ、ンなもん決まってんだろ‼ 『強さ』だ。虫けらゴミクズとさほど変わらねぇテメェら冒険者の遥か遥か先を進む生物になったんだよ俺は。デリータ、テメェが俺にそんな口きけんのも今のう――」
「違うな」
気持ちよさそうに喋る魔物の言葉を、遮る。
「お前は何も手に入れてなんかいない。ましてや『強さ』なんて消えちまってるくらいだ」
ディオスの奥歯を噛んだ音が聞こえたような気がした。
「何が言いてぇんだコラ」
威圧的な言葉に屈せず、俺は一歩を踏み出した。
――あれだけ絶望に心を染められていた男が。あれだけ弱い自分を受け入れられなかった男が。目的を達成するための努力を怠ろうとしなかったあれだけの男が。あれだけ強さを追い求めてきた男が。
「そう簡単に手放す訳がねぇんだよ、お前の中で生きていた信念を」
そう。
そんなはずがないのだ。強さを手に入れるためにあれだけの努力と執念を宿していた男が、モンスター化などという安易な手段で手に入れた力で歓喜に溺れているはずがないのだ。
努力が報われなかった末の絶望で魔が差した――というのも確かに一理はあるだろう。
だが本質は、根本は変わらない。
借り物の力を手にしたって、そんなものは何の意味がないと彼自身が一番よく知っているはずなのだから。
越えられない壁を感じた彼だからこそ、よく知っているはずだから。
じゃあ、なぜディオスは力を手に入れた?
かねてよりの鬱憤を晴らし復讐するためだけにか?
だとしたらなぜローヴェニカは破壊の限りを尽くされていないのか。なぜ雑談のように口を動かしているだけですぐに俺を殺しにこないのか――。
ディオスは眉根にしわを寄せたまま、蛇のような目を俺に向けて静止している。
――つまるところ。
「お前の中にくすぶっている気持ちは、昔も今も変わっちゃいない。結局――」
核心を鋼鉄の弓矢で射抜くように。
「――結局、お前は認めて欲しかったんだよ。誰かに」
「……!」
ディオスは一度大きく目を剥いて、直後俯いた。
闇の魔力に浸食されつつある前髪で目元に影が落ちる。
そして、その誰か、とは。
「かつて越えられなかった期待を今度こそ越えたい。そして今度こそ自分を認めさせたい。……だから力を手に入れた。ローヴェニカの人々でもなく、お前をボロ雑巾みたく扱った連中達にでもなく、かつて自分が期待に応えられなかったと思っている他でもないこの俺に。違うか?」
「……、」
敵の肩が、大雨に降られた子猫のように小刻みに揺れている。
「お前言ってたよな。俺と出会うまでは順調な冒険者生活を送れてたって。それは言い換えれば『俺と会ったことで歯車が狂った』ってことだろ? でも俺に他人の人生の歯車を狂わせるほどの力はない。なら、なんでお前はそんな発言をしたか」
考えてみれば、わかる。
「俺がお前に過度な期待をせず、それでいてお前に越えられない壁を感じさせた相手だからだ」
こうして対峙しなければ、一生辿り着けない予想だと我ながら思う。
「だから認めて欲しい。いや認めさせたい。かつて自分が敵わないと思った、どうしても越えられないと思ったこの俺に、自分の存在を。自分の強さを」
そこまで言って。
ビキビキィッ‼ と。ディオスの両足を爆心地に、大通りの無数のタイルに亀裂が走った。
次の瞬間、もん‼ と肌に触れるだけで黒ずみそうな闇の気配が場を圧倒する。
これがディオスから発せられたものかはわからないが、本能は叫ぶ。
「う……‼」
早くこの場を立ち去れ、と。
未知の戦慄に干上がりそうな喉でつばを飲む。
「デリータ、」
静寂よりも静かで、殺意を含む呼び声が頭に入ってくる。
胃の底から何かがせり上がって来そうなのを堪え、俺はディオスに視線を戻した。
「つくづく鼻につく野郎だな、テメェは……‼」
見ると、ディオスはその全身を暗黒の気配で包んでいた。夜空すら飲み込んでしまいそうな漆黒が、彼の全身でゆらゆらと揺れている。
さらに、エモノを見つけた獣のような野蛮な瞳は真紅に、
人の身であった彼の身体は、魔の力すべてを受け入れようとする器のように不気味に輝く。
「もし仮に、だ。テメェの言ってるその生ゴミ以下の戯言が仮に真実だったとして。それがなんだ? 一〇〇歩譲って昔の俺に向けるセリフであったとしても、間違っても今の俺にかける言葉じゃねぇだろ。わかるだろ? 今の俺はテメェごときがどうこうできる器じゃない。もはや同じ種族でもねぇんだよ」
ライオンに生身一つで立ち向かう赤子などいない。ディオスは顔色一つ変えず、至って真剣にそう付け足す。
全身の神経を突き刺すような悪寒に俺は膝をつきたくなった。
よろける体。激しく高鳴る胸の中心。これが生物としての絶対的な力量差なのか、と嫌でも直感せざるを得ない――
「で、どうすんだァ? 『でりーたクンに認められたいでしゅ~』って素直に指しゃぶれば頭でもヨシヨシしてくれんのか?」
――だが。
「はっ」
「あん……?」
愉快さを滲ませた声色で、俺はわざとらしく笑ってやる。
「なに強がってんだか……! 今のお前は強い? 種として別次元? 笑わせんな!」
空気を押し潰すような闇の気配に抗い。
「お前はまるきっり人間だよ。虚勢を張ってんのも魔物の力を借りてんのも、最後には自分の中にある信念を捨てきれていないのも‼ これでもかってほどの人間じゃねぇか!」
ぐったりとした体を起こし、俺はディオスと正面で向かい合う。
視線が衝突し、火花でも散りそうな睨み合いが巻き起こり。
「いいぜディオス。テメェがそこまで言うなら教えてやんぜ……!」
敵から零れる必殺の覇気を。
事もなげに《消去》する。
澄みわたる空気。全身にのしかかっていた錘がほどけたように体が軽くなって。
ふぅ、と一息ついた俺は、
そして告げる。
「お前が手にした『強さ』程度じゃ、どうあがいても俺には敵わねぇってことを――」
拳を固く握り、闇を引き裂くように声をあげる。
「――お前の口にする強さなんてものは、ぜんぜん強さじゃねぇってことを!」
戦いの火蓋は落とされた。
かくして俺はディオスと激突する。
パーティー追放から始まった確執は今。
ローヴェニカ全土を巻き込む闘争へと姿を変える――。




