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第36-4話 vs.魔物化ディオスなんだが?③

 闇色やみいろそらが見える。


 ローヴェニカには両脇りょうわきを商店で埋め尽くした大通りがある。

 電灯でんとう等間隔とうかんかく道沿みちぞいに並び、地面は白よりのグレーをした幾万いくまんものタイルが敷き詰められているのだが、俺はいまその通りのど真ん中で大の字になって寝転がっていた。


 というより正確には。

 高度五〇メートル空中から自由落下し背中から道路に叩きつけられた結果がこれだ。とてもじゃないが『寝転がっていた』などと表現できる穏やかな過程かていでは絶対にないと小さく溜息をつく。


って……一体なんだって俺は無事なんだよ?」


 《消去》を使った覚えも使う余裕もなかった俺は、痛みにうず上体じょうたいを起こし少し前のことを思い出す。


 そういえば落下してローヴェニカの地上に近付く時、なにか柔らかいものに大きく跳ね返されたような感触かんしょくがあった気がする。

 そう、それこそちょうどトランポリンのように。


 と、そこまで考えて、ふいに。

「……もしかしてアモネが用意してくれたのか?」


 そう思うといくらか胸が軽くなった。心なしか痛烈つうれつ衝撃しょうげきさらされた背中の痛みも引いていくような気がする。仲間が自分のために動いてくれたという事実はそれほど俺にとって嬉しいことなのだ。


 しかし、アモネのやつ。アイツは脳筋のうきん嬢様じょうさまキャラに加えてツンデレ属性ぞくせいも持っていたのだろうか? 俺を空中くうちゅうに送り出した時は確か『着地は自分でどうにかしてくださいねー!』とかなんとか言っていたような気がする――


「なんて言ってる場合じゃねぇ!」


 突然背中に氷を入れられたように俺は飛び上がった。


 今はこの街のどこかに堕ちているはずのディオスを一刻も早く見つけ出さなければならない。


 俺はあちこちで悲鳴をあげる体にむちを打ち、走りながら考える。


 ディオスの左右三対の翼を消し飛ばした後、アイツはなすすべもなく落っこちたはずだ。

 それも《存在消去そんざいしょうきょ》で。しかるに、ふたたびび空へ飛び上がろうとしてもそれは叶わない。

 きっと今頃、さっきの俺のようにどこぞの地面に全身を叩きつけられてのびていることだろう。



 避難ひなんが完了し人もにぎわいも消えた大通りを俺は駆け抜ける。『雨』の残滓ざんしの影響か、いくつかの商店は巨人にスプーンですくわれたように壊滅しているところもあった。中にはせまりくる火の手をどうにもできず、黒焦くろこげになった建築物が木造の骨組みだけを剥きだしにしているところも。


 ……もっと言えば、倒壊とうかいした店舗てんぽから人の両足と思われるものがくたびれている場面も。


 思わずつばを飲む。もよおす吐き気にフタをする。無意識に手のひらを折り畳んでしまう。


 ――確かに。

 ディオスを取り巻く環境は彼に優しいものではなかったのかもしれない。

 

 勝手に期待をしておいて、相手がその期待に応えられないなら簡単に手放す。

 そんな使い捨てタオルのような扱いを受け続けていたら――ましてや、それによって守りたい人を守れなかった過去があれば、心の根は腐っても仕方がないのかもしれない。


 悔やんでも悔やみきれない過去を清算せいさんするために、人ならざる力に身をゆだねてしまうのも不思議ではないのかもしれない。


 だが、それは。


 激しくなる鼓動と浅くなる呼吸の中で、俺はすりつぶすように呟いてしまう。


「誰かに押し付けていいもんじゃねぇだろ……!」


 ギリギリと。

 腹の底から湧いてあがってくるたける感情に、奥歯を噛みしめた。


 と、大通りを駆け抜け住宅街のほうへ曲がろうとした時。

 視界のはじでヒュン! と何かが跳ね上がるのを見た。


「……?」


 俺は足を止めてそちらを見上げる。が、何もない。首を上下左右に振って、跳ね上がった何かを捉えるべく視線を


「⁉」


 音もなく頭上。


 魔力の大剣を振り上げるディオスが迫っていた。


 無音に生きる呼気。まるで心臓すらも止まっているかと錯覚さっかくするほどの静けさ。それでいながらその体はどこか人の温もりを忘れたように獰猛どうもうに動いていて。

 その静寂を叩き潰すように、ディオスは俺を真っ二つにするべく大剣を振り下ろす。


「くそっ‼」


 あと一秒。


 あと一秒横に転がるのが遅れていたら、今頃の俺の体は分身していたことだろう。


 ディオスが振り下ろした大剣は大通りを埋め尽くすグレーのタイルをことごとく粉砕ふんさいした。


 地を疾走する亀裂はしる


 そのヒビがどこまで伸びているかも見えないほどの壮絶な威力に俺は愕然がくぜんとしていたが――


「死ね」


 たった一言。敵より告げられた宣告とともに、跳ね上げられた大剣が横薙よこなぎの一撃を放つ。

 陽炎かげろうすら発生しそうな熱を帯びる闇の剣は空気を引き裂き。俺の喉仏のどぼとけ横一閃よこいっせんするべく薙ぎ払われようとする。


 俺はひざを勢いよく折り曲げてしゃがんだ。頭上をかすめていく大剣。わずかに遅れて強風きょうふうが髪の毛をたぶらかす。


 その瞬間、地をうように俺は地面を蹴りつけた。大剣に身体からだ重心じゅうしんをもっていかれているディオスのふところへと一気に踏み込み、やつの体を禍々(まがまが)しくもおおう闇色のよろいへ蹴りをぶち込んだ。


 重心がブレているディオスはバランスを崩し、大きく仰け反ったまま後方こうほうへ五メートルも後退したところで。


 ようやく、俺たちのあいだに距離と会話をする猶予ゆうよが与えられた。


「ディオス……お前……!」


 ――だが。俺としては会話どころではなかった。


 だって、ディオスの姿はもう、明らかにおかしかったから。


 俺は一度つばを飲みこみ、確かめるように口にする。


「ディオスお前、その体は一体どうなってやがんだ……?」

「んなことどうだっていいだろうが。俺はテメェとローヴェニカをぶっ壊せればそれでいいんだからよ。便利だぜ、この体は。物理的な力もそうだが、なんたって耐久力だよな。ヒトの身と比較しちゃかわいそうなくれぇだよ」


 言いながら、ディオスは。

 まるで幼児ようじに首をひねられ腕を外され足を折られた人形にんぎょうのような有様になっているディオスは、ゴキバキと音を立てながら体を修復していく。


 誰の目から見ても明らかだった。

 それが、ヒトが持つ再生能力から逸脱しすぎていることは。


 すっかり治癒ちゆした全身を満足そうに眺めるディオスへ、俺は問う。


「今のお前は……モンスター、なんだよな」

「さすがじゃねぇか。相変わらずの察しの良さ、はら立つぜ」

「……その様子」


 先は言わずとも、彼の方から説明を始めた。


「当たり前だ。他でもなく俺自身が望んだ力だぜ、魔物化コイツはな。まったく今までやってきたことがバカらしくなってくる。モンスターの潜在能力ポテンシャル、つまらないしがらみ制約せいやく、感情に流されない絶対的な実力主義……すべて踏まえたうえで俺にはこっちの方が合ってンだよ。ああそうだ、これは俺が望んで手に入れた結果だ」


 やはりそうか。

 ディオスは自ら望んでモンスターになったのだ。くさっても冒険者の一人であった、人間社会に平穏へいおんをもたらす事を至上命題しじょうめいだいとしていた冒険者だったディオスは、自分の意思で。


 自然とこぶしに力が入る。

 それを見たディオスはあざけるように、


「おいおいデリータ、まさかテメェがそこにキレたりはしねぇだろうな? 俺がぶち殺そうとした女もモンスターだったんだろ? モンスターを仲間にしてる奴がモンスターになった冒険者を責められはしねぇだろうよ。テメェだって同罪どうざいだ」


 そう言ったディオスは、さらに話を続ける。


「テメェは本当にムカつく野郎だよ。思えば初めて会った時からテメェは――」


 ぺらぺらと、まるで雑談でもしにきたかのように。


 ……?


 そんな奴を眼前がんぜんにしてみると、固く結んだ俺の拳からは力が抜けていた。


 こいつは。この男は。

 一体何がしたいのだろうか、と俺は頭の中で考えを並べてみた。


 口では俺やローヴェニカの破壊を目論もくろんでいると言っておきながら、まるでモンスターになった自分を見せびらかすかのようにぺらぺらと喋る時間。


 本当に破壊したいならいますぐそうすればいい。本来の力に加えてモンスター化もしているのだ。俺を含め、少なくともそこらの冒険者連中が剣や魔法を振り回したところで太刀打たちうちできる相手ではないだろう。


 そうこう考えるあいだもディオスはああだこうだと得意げに言葉を並べる。モンスター化のすごさ、人のくだらなさ、弱者をかかえる腐りきった人間社会の脆弱性ぜいじゃくせい、そして優美なる我が力。


 やつ高揚こうようした声を背景音楽ビージーエムに、俺は思い出す。


 ――数日前、ディオスは言っていたはずだ。

『お前には期待を越えられない人間の心はわからない』


 ――さらに、

『期待を越えられない自分を許せなくなったあの日から一ミリぽっちも変わってねェ!』


 ――それでいて、

『積み重ねても積み重ねても手に入らないモンがある奴の苦しみはわからねぇだろ!』


 ――でも決定的なのは、

『俺は強ェ! 強くならなきゃいけねェんだ! こんなとこでテメェに負ける訳にはいかねェんだよデリータァ‼』



 あ、と俺は腑に落ちた感覚を手にした。

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