第36-1話 vs.魔物化ディオスなんだが?①
ローヴェニカの天空にて。
魔に憑りつかれた男――いや、元冒険者は喚き声にも似た雄叫びを上げる。
空気を薙ぐような声紋が。
鼓膜に指を突っ込んでくるような不快感を強制してくる。
「くっ……ふたりとも大丈夫か⁉」
振り返りながら俺は問う。足は止めない。
「……い、いちおう」「な、なんとか! でもこの声は遮断したいくらいです――あ」
なにを思いついたか。アモネは走りながら真剣な顔になった――
「跳ね返しちゃいましょうか、音も《反射》くらいできるでしょう」
――そう言って、彼女はずんと前に躍り出たかと思えば突然。
むん! と掌底を繰り出すかのようにか細い両手で空気を押しあげた。
直後。いびつな流れを強制された音が――ついでに風もだが。
大気を切り裂く柱のように、ディオスへ差し向けられた。
ディオスのまとう暗黒の衣がチラチラとたなびく。
アモネの目論見通り、不愉快な音はすべて消えていた。
「これで大丈夫です! わたしたちの周りに音だけを《反射》する膜を作っておきました」
えっへん、と振り向きざまに微笑むアモネ。褒めて褒めてとイヌのしっぽが見えているのはシャーロットも同じことだろう。
……そんな期待をうらぎってしまうようで大変申し訳ないのだが。
「アモネ! 《反射》で俺を空に飛ばせるか⁉ さっきの風に乗せるでもいい!」
「せっかく反射膜作ったのにですか⁉ 五秒足らずで破っちゃうんですかっ⁉」
可愛らしい顔に浮かぶ『ハ』の字眉。事態が事態でなければ思わず頭に手を乗せそうになっていたことだろう。
「それにデリータさん、問題は他にも……」
「ごめんな、手間かけさせたのに。だけど今のままじゃ――」
首を上空へ傾け俺は訴える。
なにせヤツの所在は遥か上空。空中飛行魔法や行き過ぎた身体強化魔法の使い手でもなければ、ディオスの間合いに入ることも叶わない。
したがってまずは堕天。かの場所からアレを叩き落とさねばならないと俺は判断したのだ。
「どうやったってディオスに太刀打ちできないんだ。まずはアイツを――」
そうこうしているうちにも。
『――――、 。 ⁉ ‼』
鼓膜、もしかすると脳天すらも劈くような不愉快な絶叫があった。
……連れだって巻き起こるのは幾多の爆破。
どうやらそれは、ディオスが三対の翼を手足のように動かすのを起点にしているらしく。
直後、恐らく魔法のようななにか――どす黒く、実態の見えないなにかが飛散する。
すなわち。
「アモネ、俺を飛ばしてくれ‼」
「わ、わかりましたっ!」
『魔法の隕石』がローヴェニカを襲うのだ。
放っておけば死傷者多数は避けられない。
アモネが俺の背中に触れたと思ったその時には、もう。
俺は上昇気流で遊技する鳥のように曇天へ飛び立っていた。
「デリータさん!」
地上から呼び止められる。
……わかってる。俺ひとりでどうにかできる事態ではないのかもしれない。
だが、こうする他に方法はない。
そうこうしているうちにも、『魔法の隕石』がいよいよ速度を増して自由落下を始める。
曇天を背後に、煌びやかな殺意を込めて。
それらは大粒の雨のように降り注ぐ。
俺はわずかに見返り、
「アモネ、俺のことはいい! ふたりはふたりができることを――」
そう口にするが、それを上回るアモネの言葉に遮られた。
「着地、頑張ってくださいねーっ! わたしにできるのは飛ばすまでですからーっ!」
「え」
「できる限り頑張るので、デリータさんのほうでも頑張ってくださいーっ!」
「…………、」
……数秒前まで思いつめていた自分を思い出して。恥ずかしくなって口を閉じる。
にしても、一体なにをどう頑張ればいいと言うのか……まぁ何とかするしかないな。
いや、今は俺の着地方法が絶命覚悟のボディプレスしかないことなどどうでもいい。
問題は――
迫りくる魔法の隕石。魔法の豪雨。
数えようとすればバカらしくなるほどのそれらに対し。
俺は手をかざして。
魔法の飛礫を。天空覆いし鉛色を。闇に飲まれたディオスさえも。
すべてを消し去らんと《消去》を敢行する。
「ディオス――ッ‼」
叫び、《消去》を展開。
見えない網が打ち放たれたように、すべてを網羅するように。
俺の《消去》が発揮された。
消える。『魔法の隕石』が消えてゆく。
雨粒ひとつ逃さないほどの網羅性を保ち。奴から溢れるどんな悪意も許さない気概が。
爆発した魔法を無に帰していく。
――壊滅的な被害は食い止められただろう。
そう胸をなでおろし、あとはディオスを止めるだけだとそう思った時。
「‼」
視界の端に、きらりと映る一条の光線。
空気を焦がす憎悪の炎が残光を焼きつけ、ローヴェニカの市街へ一直線に向かっていくそれ。
息を、詰めた。
いっそう巨大な魔力の塊が落ちてゆくのだ。
「なっ……消えろ‼」
消し損ねたものがあったかと焦りながらも遠巻きに試みる《消去》――だが届かない。スキルの効果範囲から逸れてしまったのだろう。
ぐんぐんディオスへ近付いて行く俺と、ローヴェニカ地上へ向かっていく巨大隕石。
両を見やり。歯を食いしばって、その発動主を睨む。
「くくくく……」
男は、こらえきれないと言った様子で、
「くはははははははは‼ 思い知ったかクソデリータ‼ これでローヴェニカは粉々だ。テメェの守りてぇモン全部ぶち壊してやる‼」
哄笑を、上げる。
「ディオス、テメェ……ッ!」
眼前に迫るディオスをどうにかしても遅いのは明らかだった。
たとえ俺がコイツを止めたとしても、あの『巨大隕石』はどうすることも。
そうこうしているうちに、ディオスはまた翼をはためかせ、伴って起爆する幾多の魔力。
また、『雨』が降る。
《消去》する――またすべてを消すことは叶わない。
……せめて。
「お前だけは……ここで止める!」
最善策を取る。それに徹する。
俺にはもう、そうすることしかできなかった。
――俺には、だ。
瞬間、足元のほうから聞こえてくるは轟音の嵐。
思わず振り返ると。




