第32-3話 vs.ディオスなんだが? ③
剣と剣が打ちあう。
その音はたしかに悲しく、棘々しく、痛々しいと思う。
ディオスが抱えるマイナスの感情。それがもっともシンプルな形で俺に届いたのだろう。
知りたい、と思った。
奴がなぜ俺たちへ底なしの悪意を向けているのか。なぜアモネやシャーロットがあんな目に遭わなくてはならなかったのか。それがハッキリとするなら――
ギィン‼ と鈍い音が響く。手のひらに伝わる振動。俺の剣が折れたのだ。
「勝負ありだ、デリータ」
ディオスは勝ち誇ったように言う。
横から叩きつけられて折れた刀身が宙を舞っている。剣の扱いに長けているのは俺よりディオスだ。劣勢は仕方のないことだろう。
だが。
「負けるかよ」
俺は折れた刃を《消去》し、すぐに《消去》を重ねて打ち出す。
ディオスは首を傾げるようにそれを躱した。ニヤリと微笑んで。
「テメェはここで死ね。これ以上俺の前でウロチョロすんじゃねェ目障りだ」
しかし奴の振り上げた剣に刀身はない。一瞬で《消去》済みだ。
正面ががら空きになったディオスへ俺は蹴りを叩き込む。
「クソ……クソクソクソォが‼」
顔を真っ赤にするディオスの背面。
そこに浮かぶ数多の魔法陣。大きな円がぐるぐると回転している。
残りのパワーをすべて使い果たすように、ディオスは魔法を打ち放った。
砲弾のような火球、槍のように注ぐ氷塊、雨粒をも切り裂く暴風に大地を薙ぎ払うまばゆい光。
曇天の空でもここだけはきっと輝いているだろう、と俺は思った。
もしかすると大雨すらも、ディオスの魔法に蒸発してしまうかもしれない、とも。
襲いくるそれら悪意の塊を、
俺は瞬きをするように《消去》した。
「な、」
ディオスが声を漏らす。
さすがに《ダメージ吸収》でも対処できないと奴も予想していたのだろう。
虚無に変わりゆく魔力の残骸。
雨に遮られていく光を前に、俺は言った。
「……まだやるつもりか、ディオス」
「……!」
ディオスの眉間にしわが刻まれた。
「ま、俺はお前をぶっ飛ばすし許すつもりはねーけどな。……けど、その前に聞かせろよ」
ずっと疑問に思っていたことを、
打ち合う剣が教えてくれたあの感情を、
俺は知りたい。
「お前の悪意はどこから来てる? 俺たちの何が不満でアモネやシャーロットを傷つけた? キャリーやキャリーの妹を傷つけた?」
答えはない。続ける。
「単に俺が嫌いってだけじゃないだろ? 俺たちの行いをお前の正義が許さなかったからか?」
それらしい答えを潰していく。
ディオスの本心をあぶり出すように。
「一体いつから強さを履き違えるようになったんだよ、ディオス」
どの言葉がトリガーになったかはわからない。
「……テメェにゃわかんねェだろうな、デリータ」
ディオスがぼそり、と呟いた。雨音にかき消されてもおかしくないほどの小声だった。
「なにがだ」
「期待を越えられねェ人間の心だよ」
視線が衝突する。
濡れた前髪の奥で、ディオスの赤い瞳がしかと俺を捉える。
「人ってのは勝手な生きモンだ。自分の理想通りになるんなら、都合よく事が進むんなら平気で他人へその責を押しつけやがる。そのクセ当事者たちは努力も苦労も知らねェ知ろうともしねェときてんだからお気楽なこった。
だが押しつけられる側も所詮は人。頼られれば嫌な気はしねぇし、なんなら全部がうまくいくようにしてェって思っちまうもんだ。丸く収まれば押しつけられた側はちったァ複雑かもしんねーが、それでも喜んでるヤツら見てりゃそれもどうだってよくなっちまう」
自虐をするような物言い。
俺はただただ耳を傾ける。
「……だがそうじゃねェ時。問題しか起こらなかった時には誰の責任になる? 考えなしに押しつけた連中か? 違ェ、引き受けたヤツが悪ィんだよ、冒険者の世界ではな。実力もねェくせに大口叩いてるテメェが悪ィだろって評価されんだよ」
ディオスは口調を強めた。
「だから実力をつける。強さを追い求める。どれだけの期待をも超越できるように、たとえ傲慢と指差されても自信の現れだと受け入れられるように!」
鉛色の空に轟雷が光る。どこかへ落ちたようだった。
「しばらくは快適だったぜ。《支配剣》の力も相まってもう敵なしと思ってたほどだ。これで無駄に期待をさせることも期待を裏切ることもねぇ、俺が後ろめたくなる必要もねぇ――そう思ってた矢先だった」
俺の顔へゆっくりと差されるディオスの指。
「現れたんだよ。デリータ、テメェがな」
「……、」
「テメェはあらゆる点で不可解だった。戦況、メンバーの位置や状態、モンスターの行動パターン予測、盾役としての働き……何をとっても常に一歩先を見て動く、俺が今まで見てきた冒険者の中でもっとも異質だった。少なくとも過去にテメェと同じようなことができたやつは一人もいねェ」
パーティーから出ただけで随分と評価が変わったもんだ、と思うが口にはしない。
「初めはそれでよかった。強力なメンバーを獲得できた、Sランクにもすぐ届くだろうとしか思わなかった。だがある時……覚えてっか? 双角竜討伐の依頼を受けたあの日」
忘れる訳がない。
なにせ俺がパーティーを追放されたその日だからな。
「辛うじて討伐には成功したが……俺は気づいちまった。ずっと抱えていたモヤモヤがなんだったのかってのをな。テメェは俺の期待に十分応えている。だが――」
うん?
「俺はテメェの期待に応えられてんのか? ってな」
――聞きながら、俺はどこか虚しい気持ちを抱え始めていることに気がついた。
それがなぜか、何かと問われれば答えられないのだが……ディオスの言葉を聞けば聞くほど、満たされない気持ちが増していくような気さえしてくる。
ディオスは言っていた。
『お前には期待を越えられない人間の心はわからない』と。
そしてコイツは迷いを抱えていたとも言った。
『お前の期待に応えられているかがわからない』と。
言葉。姿勢。態度。行動。やり口。
これまでのディオスを思い返してみると……じわじわ、と。
簡単には抑えられない猛烈な黒いモノが心を侵食していくような気がする。
そしてこの虚しさと黒いモノの正体は、
「その疑問が生まれてからは早かったぜ。最近の不調はすべて『また期待を越えられないことにあった』ってすぐわかっちまった。依頼をこなすのもアホらしくなった。なにせ越えたと思った壁は越えてねぇ、しかも越えられねェ、そのクセ他人にばっか求めるようになっちまってんだよ。……あァ、思い出しただけでイライラしてくるぜ」
ぺっ、と痰を吐いたディオスを見て確信へと姿を変えていった。
……あぁ、そういうことか。
たったそれだけのことだったのか。
あれだけ多くの人間を傷つけ、俺が守りたかったシャーロットやアモネはそんなことのために大ケガを負うハメになったのか。
つまりコイツの、ディオスの怒りの根源とは――
「デリータ、テメェは言ったな。俺が強さを履き違えてるって。バカ言ってんじゃねェよ。俺は間違えてなんかいねェ、あの時から……期待を越えられない自分を許せなくなったあの日から一ミリぽっちも変わってねェ!」
――強くなれない自分とそれを感じさせた俺にあったんだ。
そう悟った途端、
虚しさは《消去》されたようにどこかへ消え、
心を脅かしていた黒いモノはいっそうの暗闇で俺自身を包みこんでしまう。
咆哮するディオスが視界に揺れ、間もなく定まり、奥歯を噛み潰しそうになる。
あくまでも正義は自分にあると言い張るような顔をするクソ野郎へ、
俺は静かに告げた。
「……お前」
「あんだ? テメェにはわからねェだろ? また偉そうに説教垂れみっかァ⁉」
「お前、その程度のことでアイツらを傷つけたのか?」




