第30-3話 満を持して ☆
ディオスは最近の出来事を思い起こしていた。
(黒髪の女に完敗した。ただの職員のウィズレットに手も足もでなかった)
その時々の感覚が、感情が、鮮明に彼の心を黒染めていく。
(ダンジョン攻略に失敗し、最弱モンスターに敗北し、ついには降格処分まで受けちまって)
笑いたくなるほどの散々な結果だ。気分は沈まなかったが、自分への落胆は凄まじかった。それに引きずられるように自分への嫌悪が加速度的に増幅していく。
(俺は……俺は一体何を求めていたんだ?)
答えを探すように、ディオスは記憶の海へ飛び込んだ。
誰もが認める強い冒険者になりたかった。
たとえば討伐困難なモンスターも、自分の手にかかれば一夜で片付いてしまう、
たとえば冒険者同士が争っていても、自分が現れたら自然と場が収まる、
そんな逞しく強い冒険者になりたかった。
幸い、彼には才能があった。人よりも恵まれた体格と恐怖に臆することのない積極的な性格――何より、使う者が使えば最強の称号も戴冠できるようなスキル《支配剣》があった。
戦闘における先手は必ず彼がとり、しかもその一手は必中するというスキル。
さらには発する言葉で他人の心を支配する力もあった。
……ここだけ聞けば、確かにディオスは最強そのものだろう。
だが、スキル《支配剣》には致命的とも呼べる弱点があった。
その力は、自分より絶対的に格下の相手にしか作用しないのだ。
彼がどれだけ高圧的な態度をとっても、虚勢を張っても、格上にはどうやったって影響はなかった。だからスキルを手にしたばかりの――一五歳になる年の始めの――ディオスは気に食わない大人にケンカを売っては、見るに堪えないほどボコボコにされて帰った日もしょっちゅうあった。
ディオスは考えた。格の上下を定める決定的な要因はわからない。しかし少なくとも体格で劣っていたり、力で押し負ける相手には敵わない。
『まずは強くなろう。純粋な戦闘力が高まれば格上にいられるはずだ』
実際、その読みは正しかった。
単独でモンスターを討伐できるようになるまでには相応の時間がかかった。手のひらのマメがいくら潰れても、筋肉が悲鳴をあげていても彼は剣を振るうことをやめなかった。
そうして純粋な強さを培ってきた彼は、ギルドでも一目置かれる存在へと変わっていった。
『なぁディオス、悪いんだけど今度の遠征、お前も参加してくれないか?』
『ディオスさん、今日の午後って予定空いてたりします? うちのパーティーだけでは火力が足りなくて……』
彼はどんな依頼も喜んで引き受けた。幼い頃に夢に見た逞しく強い冒険者に近付けているような気がしていたからだ。
“このまま進んでいけば、やがて理想にも手が届くだろう――”
根拠はあった、しかし小さなその傲りが、彼という人間を大きく変えることになった。
あるパーティーからダンジョン攻略の依頼を引き受けた時のこと。
『奴がダンジョンの守護モンスターだ! ディオスいけるか⁉』
『任せてくれ!』
腕も脚も四本ある巨人が相手だった。ディオスは《支配剣》を引き連れて、先陣を切ってモンスターへ攻撃をしかけた。
予想通りディオスが格上。血の滲むような努力により、先手は彼が勝ち取った。
脳髄へ叩き下ろした剣は確かに巨人に幾ばくかのダメージを与えた。
……でも、それだけだった。
巨人はその一撃だけでは致死どころか、怯みさえしないほど頑丈なモンスターだったのだ。
端的に言えば、先手を取った所で勝ち筋が見えるようなことはない。
とはいえディオスは初めから一撃で終わるなどとは思っていなかった。『戦いの火蓋を切る初手』程度にしか位置づけていなかったからだ。
『よし、先手は取ったぞ! 討伐頑張ろうぜ!』
パーティーを振り返り、勇ましく声を上げた彼は目を疑った。
彼らは全員、呆然と立ち尽くしていたからである。虚ろな目で、まるで信じられない何かを見たようにディオスを見つめていた。
『お、おい! どうしたんだよ皆! ぼーっとしてる場合じゃないぞ!』
そう言っているうちに、魔法使いの女が巨人に握りつぶされた。
『……え?』
それを見た弓使いの女が泣き崩れる。パーティーに何が起きたのかわからないディオスに、パーティーのリーダーは諦めたように口にする。
『ディオス、話が違うじゃないか……』
『何を言っているんだ……?』
『お前は初手さえ取れたら一撃でモンスターを倒せるんじゃなかったのか……? 俺はウワサでそう聞いたからお前に同行を頼んだんだ……』
めちゃくちゃな噂だ。普通に考えてありえない。
けれどディオスは言い返せなかった。なぜなら彼は依頼を引き受ける際に内容もメンバーのことも聞かずに承諾していたからだ。
“俺が加われば大抵のことはどうにかなる。なぜなら強いからだ。”
その思い込みのうえで胡坐をかき、最低限のコミュニケーションすら放棄した結果が、彼らに齟齬を生じさせてしまったのだ。
彼の心の奥底に眠っていた小さな、ほんの小さな傲りが引き起こした悲劇だった。
彼は巨人と戦い、勝利した。彼を除く四人の命を代償にして。
その時に彼は思ったのである。
誰が悪いのだろう? と。
確認を怠った自分が悪いのか? 勝手な期待をしていた奴等が悪いのか?
末に、彼は結論を導き出した。悔しさのあまり視界は滲んでいた。
『……期待を越えられなかった俺が悪いんだ』
単なるコミュニケーション不足、だったのかもしれない。そこを解消すればどうにでもなったのかもしれない。
けれど、自分が強ければ。有無を言わさない力を持っていれば、彼らは死ななくて済んだはず。
ディオスはどうしてもそう考えることしかできなかった。彼にかけられた期待がなお、その気持ちに拍車をかけ続けた。
――そうだった、とディオスは現実へ意識を戻した。
(俺は強くなりたいだけだ。ただ強いだけじゃない。どれだけ過剰な期待をされても無根拠な噂を流されても、それらを優に超越できてしまうほどの絶対的な、傲りを自信だと評価されるような圧倒的な強さ。俺が欲しいのはそれだけだ)
彼は強さを手に入れるためにやれることは全部やってきたつもりだった。
なのに、なぜ――。
「キミが求めているもの、ワタシにはわかるよ」
自問自答の渦に飲まれるディオスに、クレブが素っ気なく言った。
「……なにがわかる」
「これだけ暴れて叫んでいれば嫌でも理解できてしまうものさ。だが残念ながらキミがそれを手に入れることはない。力を振りかざすことを強さだと考えているうちはな」
「冒険者の世界では力こそが強さなんだよ。研究ばかりの根暗女にはわからねぇだろうが」
「本当にそうか?」
含んだような笑みを浮かべたクレブは続けて、
「力だけが強さではないとキミも気づいているんじゃないのか? 例えば……キミが見下しているデリータの強さ、とかな」
「!」
反射的に浮かんだ不要な思考を振り払い、そんなもの知るか、とディオスは小さく言った。
デリータの強さなど知らない。あいつは弱い。大仰なスキルの割には大した役にも立たない無能でパーティーにいても邪魔なだけ。
足を引っ張られて迷惑しか感じたことがない。やることなすこと全部ジャマしてくるのもアイツだ。
……思えばそうだ。訳のわからない研究者どもに責め立てられているのも、手駒どもに裏切られたのも、ランク降格もダンジョン失敗もうまくいかないのも――‼
(……そうじゃねぇか)
ディオスは眉間にしわをよせ、奥歯を噛み潰す勢いでクレブを睨みつけた。
(ぜんぶ……全部アイツのせいじゃねぇか……!)
ぐつぐつと煮えたぎる憤りが全身へ迸る。顔が熱くなる。頭から理性が離れていく。
デリータのせいで虐げられてきた感情を、尊厳を、どう取り戻すか――いつの間にかディオスはそればかりを考えていた、
その時だった。
ギィ、と。小汚い木製扉が開いた。静かな臨時本部内にぎこちない音が響いた。
全員がそちらへ見やる。ただ一人、ディオスだけは不敵な笑みを浮かべていた。まるでこの瞬間を待ち望んでいたかのように。
ギルドに入ってきた少年はたった一言、彼に告げる。
「覚悟、できてんだろうな……ディオス‼」
ディオスは嬉々として向き直り、短く返した。
「よぉ、待ってたぜクソ野郎……!」




