第28-6話 vs.仮面なんだが?③
もちうるすべての力で《消去》をしても、この有様か、と思った。
医務室はもうなかった。というか地上と地下の区別がつかなくなっていた。要するにギルドそのものがなくなっていた。
かつてその建物があった場所には半径三〇メートルほどの半球状の大穴が空いており、その底に俺は辛うじて立っている。動けば骨の一つや二つは折れそうだが、特に両腕はそよ風でちぎれそうなほどの痛みを感じた。
灰色に侵された空からは、無力な俺を嘲笑うかのように激しく雨が降った。
「《赫爆》を受けてなお生存しているか。見事だ」
その中で、奇天烈な仮面を被ったモンスターはそう言った。
「シャー……ロット!」
俺は答えず、触手に拘束された少女へ呼びかけた。熱波で喉が干上がっているのか、掠れた声しか出なかった。
空中、白く長い髪が無造作に揺れている。意識のないはずのシャーロットの表情が……どこか苦しそうに見えた。
一歩を踏み出す。
「!」
……足の力が抜けてしまった。立膝になって仮面を睨むが、できることならもう寝転がりたい。こうしていることすら筋肉が悲鳴をあげている気がした。
でも早く。早くシャーロットを仮面から取り戻さなければ。
だがどう動く? 《消去》も使えなくはないが、シャーロットを落下させるか? いやダメだ、変な落ち方をしたらそれこそ危険だ。仮面の邪魔が入らないとも限らないし……と思考を巡らせていると、
「やめておけ。貴様が何を考えているかは知らないが、既に貴様の体は限界を迎えている」
「……んなもんやってみなくちゃわかんねーぞ」
その時、触手の一つが俺の肩を撫でるように押してきた。
「……!」
「この程度で押し倒される貴様に何ができる?」
悔しいが言い返せなかった。撫でるように押されただけで、俺は尻もちをついてしまっている。乱暴に足を投げ出し、上半身を支える両腕すらもぴくぴくと痙攣している。
気持ちばかりが焦り始めていた。体がいうことを聞かない現状、俺にできるのは仮面を説得することだけ。だが事情はわからないにしろ、人間に対し相当な恨みを持っている奴が俺の話に耳を貸すとは到底思えない。
手のひらにじわりと汗をかく。心臓の鼓動が早まっていく。
……いや、このままシャーロットを諦めるなんて無理だ。一か八か、《消去》を使って――
「無駄な抵抗はよせ」
スキルを使おうとした瞬間、今度は鞭のようにしなる触手が打ち出された。これならいける……そう予想して《消去》を行った。数秒後、俺は陥没した地面の底に寝転がっていた。
そうか。これがいまの俺なんだ。ここまでされては受け入れる他ない。シャーロットを諦めようとは思っていない。が、同時に抵抗すること自体は諦めなきゃいけないかもしれない。
俺は悲鳴をあげる体を気力で起こし、なんとか立膝まで戻ってくる。
仮面はある種の感心をするような口調で言った。
「本来であれば今すぐにでも貴様を殺すところだ。が、正直我は仰天している。そのスキル、相当な鍛錬を積んだのだな。でなければあの魔法をこの程度の被害で食い止められるはずがない。そこに興味が湧いているのだ。問おう、貴様はスキルを極めてどうしたい? その先に何を見据えている?」
仮面は他にも、あの魔法は本当ならローヴェニカ全土を消し飛ばしていたようなエネルギーを内包していたこと、それを受けて生き延びた人間・モンスターは過去に一人として存在しなかったことなどを述べていた。
「そんなもんどうだっていい」
俺は足の震えを押し殺し、なんとか立ち上がる。まだ負けるつもりはない。
「笑っていて欲しい人が笑っていてくれる。それだけで十分じゃねぇか」
――俺が欲しいのはそんな世界だ。大事な人たちが穏やかに朝を迎え、平和に一日を過ごし、何でもないことで笑い合えるような、そんな優しい世界。
だからどれだけ不利でも、負けそうでも。その世界に必要なシャーロットを失うなんて選択肢は何があっても選ばない。選びたくない。その気持ちだけが俺を奮い立たせた。
「人と魔物の間にどんな歴史があったかなんて知らない。そしてそいつがどんだけのっぴきならない事情だったとしても……シャーロットの命が弄ばれていい理由にはならねぇだろ!」
一歩を踏み出す。――今度は崩れない。仮面も意外なものを見るようにじっと見つめてくる。
また一歩、次の一歩。シャーロットに手を伸ばすように、俺は進んでいく。
やがて彼我の距離が五メートルほどになって。
「ソイツから離れろ。触手を放せ。さもなくばお前を消してやる」
仮面を睨んだ。沈黙を貫いていた仮面は頭上に触手をうねらせながら、
「貴様にできるのか? 我をそのまま消し飛ばすことなど」
「試してみるか?」
視線が衝突し、動いた。
触手はあらゆる方向から俺に向かってきた。敵はまだ力を隠していたようで、六本しかなかった触手は数えるのもバカバカしくなるほどのそれを差し向けてきた。
負けない。負けられない。何より負けたくない。
決めたんだ。俺は守ると。大事にすると。
こんな俺を大事にしてくれるすべての人たちを。
迫りくる無数の闇よ、
「消え失せろ――‼」
底なしとも思えた極大の闇は。仮面が圧倒すると確信していた勝負は。
思わぬ形で虚空に飲み込まれた。
バギン‼ とガラスに亀裂が入り込むように触手は砕け、音もなく崩壊した。それはあったものをなかったことにする《消去》というよりも、初めから存在を許されなかった《存在消去》のようだと俺は思った。
「お――おのれ人間ッ……‼ まだその先を見ようというのかァ‼」
必殺の一手を封じられ怒り狂う仮面の声と共に触手が暴発した。それらが合わさり巨大な闇の剣が形成され、間髪いれず振り下ろされる。
だが案ずることはなかった。
一度存在を許されなかった存在は――もう二度とその命を認められない。
まるで《スキル》がそう決めたように、俺が何をするでもなく、巨人の剣は無に帰る。
「な、何が起きているというのだ……⁉ 一体何なのだそれは⁉」
「もういいか、仮面野郎」
奴との間合いを詰めようとしたその一歩目。
「動くな人間! それ以上動こうものならこの女子はここで殺す……!」
なんと。驚いたことに、シャーロットはまだ触手に体を拘束されていたのだ。ゆえの人質作戦。さきほどの触手と既存のそれとは別扱いらしかった。
シャーロットの首にするすると触手が巻きつけられる。
「選ぶといい。貴様が死ぬか、貴様も死ぬかだ……!」
虚勢を張っているのは明らかだった。俺のスキルにより仮面が新たな触手を生み出せないのは確定事項なので、つまるところコイツの武器はシャーロットを拘束している数本の触手のみ。
消し飛ばすのは……まぁ、造作もないことだ。
が、俺の目的はあくまでも仮面を滅ぼすことではない。ローヴェニカに広まった噂とモンスターに対する偏見を払拭することだ。アモネとシャーロットを救うためには避けて通れない道。
……優位に立った今だからこそ、俺は『計画』のことを話せると思った。
「おい仮面」
「! そ、それ以上我に近寄るな!」
「俺はお前を消せる、いますぐにだ。だがさっきも言った通り、俺の目的はお前を倒すことじゃない。……どうだ、取引をしないか?」




