第28-5話 vs.アモネ② ☆
ディオスはバランスを崩した。その隙を逃さないのもまた、アモネという少女だった。
倒れかかってくるディオスの重力に対し、アモネの《反射》が作用する。彼は体がふわり、と浮いたような気がした――
ほぼ同時、ディオスは全身に鈍い痛みを覚えた。背骨に亀裂が入り込むような衝撃が脳天を突き上げる。《反射》が彼を建物の壁面へ叩きつけたのだ。
「がっ……‼」
わずかに遅れて血の味を感ずるディオスの味覚。
ほんの一瞬の油断が、あるいは女に見せた余裕が、この戦況を生み出した。もう手抜かりはできないと本能が警鐘を鳴らしていた。
でなければ負ける。それだけは絶対に避けねばならないとディオスは軋む体を立て直しながら噛みしめる。
(さっさと殺っちまおう)
息が荒い。でももう動かねばならない。追撃がきたら厄介だ。裏切り者の仲間に負けるなど冗談でもあっちゃいけない――そう思っていたディオスだが、直後それが杞憂だったとわかる。
苦渋に満ちた彼の顔に、狂笑が静かに浮かんできた。
アモネが倒れた場所からまったく動かなかったのだ。小さな血だまりのうえに、使い古されたボロ雑巾のように寝転がっているだけで、追撃の素振りなどどこをどう探しても見当たらない。
ぽつり、とディオスの頬に冷たい雫が落ちてきた。彼はゆっくりと曇天を仰いだ。
雨が降ってきた。一秒も待たず、それは本降りへと加速していく。ディオスは祝福の雨だと思った。
裏路地を容赦なく濡らしていく大雨。体を叩きつける雨粒が自分からマイナスな思考を取り除いていくように彼には感じられた。
「……、」
冷静になった頭に反芻されるアモネの台詞。すると――遅まきながら激しい怒りが彼の内に湧き上がってくる。
デリータによく似た顔で。よく似たことを吐いた女。
見下すように、哀れなものに慈しみを向けるように。
思い出せば思い出すほど、ディオスの心は加速度的に熱を帯びていく。
「はぁ……はぁ……クソが、クソ女がァ!」
どうすれば女に。どうすればデリータに。
最大限の苦痛を与えられるだろうか。どれだけ時間を過ごしても消えそうも癒えそうもない傷を残せるだろうか――
「ははは、壊してやる……精神も肉体もボロボロの腐れ雑巾以下の汚物に成り下がるまでぶち犯してやる……!」
これこそがデリータに苦痛を与え、調子に乗ったアモネを痛めつける、かつ自分も快楽を感じられる最善手だと彼は即断した。ただ殺すだけでは面白くもない。生きてその苦痛を半永久的に味わってこそ痛めつけ甲斐もあるというものだ。
幸い容姿については申し分ない。むしろ性欲をそそられる良い女だった。
ディオスは下半身の装備を雑に外し、ベルトに手をかけた。辛うじて意識は残っているものの、もはや抵抗する力はないアモネの股を乱暴に引き寄せた、
――ところで、背筋におびただしい冷気を彼は感じる。
「あァん?」
ただの雨にしては冷たすぎる空気に、ディオスは首をひねる。
と、裏路地を歩いてくる女の姿を視認した。
「どうしてこう男という生き物は下半身でしか物事を考えられない人が多いのかしら?」
「ウィズレット……!」
一介のギルド職員にすぎない女がなぜここに?
その疑問は、しかし間もなく解消された。
ウィズレットは全身を存分な冷気に包んでいた。特にその両手には、粘性を持つ液体……あるいは気化することも可能な『謎の氷』が忌々しく待機している。つまり彼女は臨戦態勢だった。
(ちっ……いまさら俺を止めにきたってことか……)
デリータの差し金か、それともゲンゴクの判断か。いずれにせよディオスは苛立った。
「これは冒険者同士のケンカだ! 職員の分際で首突っ込んでんじゃねぇぞ!」
その時、雨雲の向こうで鈍く巨大な音がうなりをあげた。大砲が着弾したような轟音だった。
ウィズレットは音のしたほうに、じ……と耳を傾けた後、
「ええ、でもギルドを破壊したらそれは冒険者同士だけの争いではないわ」
「証拠はねぇだろ」
「それはあなたも同じでしょう? あなたが闇商人と手を組んでギルドに爆発物を仕掛けていないという証拠もない。違うかしら?」
ディオスは彼女に聞こえないくらいの舌打ちをした。
「……詭弁だな。まるで詐欺師だ。誇り高きギルド職員がそんな理屈をまかり通らせてもいいんかよ?」
ディオスはベルトを締めなおし、折れた剣を握る。
(ウィズレットの力は未知数だが……まぁ所詮はギルド職員。折れた剣でも十分すぎるアドバンテージをもらっているようなもんか……)
彼は不敵な笑みを浮かべた。ウィズレットを戦闘不能にした暁には彼女のことも犯してやろうと考えていたからだ。
殺すのはその後。情報を掴まれていようが死人に口はない。
そんな余裕を見せるディオスへ、ウィズレットは淡々と告げた。
「詐欺師だなんて酷いじゃない。私はただのギルド職員よ」
「そうだ。ここで俺と戦ってもお前に勝ち目はねぇ。今なら見逃してやってもいい、どうする?」
「そうねぇ……」
言葉では乗り気だが、行動は真反対。
ウィズレットは『謎の氷』を路地へどろりと垂らした。
「でもナシね。ギルドの規則云々よりも、これは私個人として見逃せない」
謎の氷が路地に到着したその時。
辺り一面がものの数秒で不透明な氷に覆われた。
ディオスは後方へ飛び退り回避するが、アモネの体は守られるように氷に包まれる。
「ちっ……邪魔しやがってクソ野郎」
ウィズレットは氷の地面を闊歩しながら、
「あら、及び腰ね。私に勝ち目はないんじゃなかったかしら?」
とん、とウィズレットが足先で地面を叩く度、氷の地面からいくつもの棘が現れた。
それらが恐るべき速度でディオスへ向かってくる。
彼は折れた剣で応戦した。幸い《支配剣》は氷に対して有効に働いているらしく、四方八方より襲撃してくる氷の棘を処理できた。
だがジリ貧であることは彼も理解している。
アモネから与えられたダメージが予想以上に大きく、剣を振るうたびに激痛が走るのだ。
(ちくしょう、長くはもたねぇか……!)
思案する彼の顔面へ、今度は飛び道具のように氷塊が打ち放たれた。膝を折って躱すが目の前には棘が迫って来ており、
「ああクソ‼」
辛うじて薙いだ剣が氷を破壊すると同時、残り半分だった刀身も粉々に消えてしまった。
「潮時ね」
審判を下すようにウィズレットは呟いた。その瞬間、彼女の手元にあった『謎の氷』が大きく空間に広がった。雨粒を巻き込みながら広がり、それはやがて彼女の背中に翼を作る。
雨粒はいつしか粉雪へと変わっていた。肌に触れる冷たさが段違いに変わっていた。
圧巻の光景に言葉を失うと同時、ディオスの本能は最適解を弾き出す。
現状。体はダメージを負い、武器を失い、まともに戦える状況ではない。
「あなたがしたこと、必ず償わせるわ。とりあえず、まぁ……肺の一つくらいはもらいましょうか」
――逃げだ。
ディオスは冷酷に呟いた女から目を離さず、辛うじて残った力で炎魔法を行使し、背後の道を可及的速やかに後退していく。
それをウィズレットは許さない。
「逃がさないわよ――《凍空》」
空気に触れるだけで血が凍りそうな悪寒がディオスを襲う。逃げ遅れたら、間違いなく彼女の思い通りになってしまう。
はためいた翼が吹き飛ばした無数の氷霧。呼吸をすれば体内からやられることを直感したディオスは、残りカスのような魔力をフルパワーで顕現させ、
「……今日は見逃してやる!」
命からがらその場を逃げ出した。
◇
ギルドの爆発があったことで、ローヴェニカの住民には避難指示が出されていた。そこかしこでギルド職員や王国常備軍としての兵たちが避難誘導のために声を張り上げている。
「避難はこちらです! ……そこの君! どうしたんだそのケガは⁉」
「……、」
無視をして、曇天より降り注ぐ雨を全身に受けながら、ディオスは考えていた。
(俺は……なぜ安心してるんだ?)
なぜ戦いから逃走したにもかかわらず、怒りよりも安堵が勝っている?
――答えは見つけずともすぐそこにあった。
ディオスは拳を握り、奥歯を噛みしめる。
気の狂いそうなほどの不愉快だった。
が、今の彼にはそれを宥める算段がいくつかあった。
一つはデリータたちを吊るし上げる下地が完成しかけていること。彼らの悪評はローヴェニカ中に知れ渡っている頃合いだし、国民が彼らの追放あるいは処罰を望むのも時間の問題になってきている。これはテュアとアリアンがいいタイミングで謝ってきたのが大きかった。
もう一つは、不完全であれ、デリータに苦痛を与えられたこと。アモネは意識不明の重体、シャーロットに関してはきっと肉片一つだって残らない。あわよくばデリータも巻き込まれてくれていたら満点だが……それよりも仲間の惨状を目の当たりにした奴を、彼は一目でいいから見てみたいと思った。
ディオスの強張った表情はいくら和らいでいた。
(すべて俺の思い通りに事は運んでいる……!)
もちろん懲罰を待たず、自ら手を下すことができれば汚名返上、ランクもCに戻してもらえるだろうが……今のディオスにとってはランクどうこうよりも、デリータを痛めつけることができれば、あの憎たらしい男に勝つことができればそれで良くなっていた。
彼は自分に言い聞かせる。何も恐れることはない、すべては順調に進んでいる、と。
そう思うだけで、いくらか気は楽になった。
雨脚が強まる。ディオスは特に急ぐこともなく、緊急時に仮設される冒険者ギルド臨時本部へ向かった。




