第28-1話 また会ったんだが?
ローヴェニカにどこか物々しい雰囲気が漂っているのは肌でわかった。
曇天の空に覆われた町に人通りはほとんどない。まるでこれから一雨くることを誰もが知っているかのような、そんな空気が支配しているように思えてくる。
ギルドが見えてくると、その物々しさに拍車がかかったような空気感を覚える。
一年を通してほとんど消灯されない室内灯が消されているのだ。
ゆえに二階や三階から漏れ出る光は皆無。日頃あるものがなくなるだけでここまで焦慮に駆られるのは俺自身も意外だった。
入り口に向かいながら首を振る。……物音や話声はしない。ひょっとするとディオスの手下はまだ到着していないのか? あるいはゲンゴクたちが不穏な空気を察知して――
と、入り口扉に手をかけたその時。
風を押しのけるような轟音が炸裂した。
足の裏から伝わる振動に驚く間もなく、立っていられないほどの爆風が吹き荒れる。
「なっ……!」
体を打ちつける塵や小さな木片。なにごとだ⁉ と顔を覆う腕から状況を確認するべく目線をあげると、破壊された木の板が俺の顔の横を通過していった。
それと同時に、俺は言葉を失っていた。ギルドが轟々と炎をあげていたからだ。
圧倒的な自然現象を目の当たりにしたように立ち尽くす俺に、しかし臭いは容赦なく漂ってくる。息の詰まるような焦げた空気が鼻腔を刺激してくる。
曇天に燃え盛る炎を見上げながら俺は段々と理解していく。
ディオスが狼煙を上げたのだ、と。
地獄を見せるというのは決して口先だけの売り言葉ではないのだ、と。
「……どこまで腐るつもりなんだよアイツは!」
行き場のない感情はひとまず置いておく。俺は廃墟になりゆくギルドへ突入した。
《消去》で道を塞ぐ木片を片づけていく。たまに支柱的な木も消してしまって備品もろとも崩落してくることもあった。ただそれすらも《消去》でひたすらなかったことにしていった。
ウィズレットと向かい合って話したカウンターはバランスを崩し、斜めにくたばっていた。手っ取り早く医務室に向かうにはコイツも消してしまった方が早いが……少しの抵抗に俺は負けた。横側へ迂回してからカウンター奥へ足を進めた。
「シャーロット! シャーロットいるか⁉」
職員専用の部屋で声をあげる。が、当然シャーロットからの返答はない。
ガラガラ! と天井が一部崩れてきた。火に飲まれた木々が黒に侵されながらその役割を失おうとしていく。なんとなくだが……その光景が、絶妙にシャーロットの置かれている状況にリンクしているように俺には見えてしまった。
俺はいっそう声を強く張り、医務室への階段を下りていく。
地下なら爆発の影響はないか……と安心しきっていたからこそ、さらに焦りは加速した。
爆発による振動で、床壁に亀裂が走っているのだ。欠落してしまっている部分もあった。
胸の奥で俺はひたすらに祈る。頼む。どうかこの爆発の餌食にはなっていないでくれ。ディオスの悪意に侵されないでいてくれ。あわよくばゲンゴクの判断でこの場を離れていてくれ。
そうしてついに、先日訪れた医務室へたどり着く。
床に倒れるドアを踏みしめ、俺は引っ張られるように室内へ飛び込んだ。
「シャーロット! ……――!」
息が詰まった。
それはベッドで横になるシャーロットの傍。
そこに立っていたのは――奇天烈な仮面をつけた人型のモンスターだった。
なぜコイツがここに?
急に思考に影が落とされた。息を整えながら考える。
キャリー襲撃、ギルド爆破、シャーロットが危険――まさか。
まさかそうなのか……?
すると不気味な闇の装甲をまとった彼は俺に気付き、ゆっくりとこちらに体を差し向ける。
「おや、また会ったな人間。死骸が見当たらないとは思っていたが、まさか生き延びていたとはな」
顔を合わせるのが二度目だからか、人型モンスターは知人に声をかけるようなゆったりとした抑揚で発声した。
だがこちとら仲良しこよしをするつもりはない。シャーロットの味方はしていても、人間をモンスターに変えようとする連中の肩を持つつもりも、当然。
だから俺は気になることだけを口にする。
「……ディオスと手を組んでるのか?」
でなければあまりにも出来すぎたタイミングだ。
ディオスが仮面と共謀し、俺を排除するために動いている。大破されたギルドの地下にコイツがいるという現状を考慮しても、そう考えるのが自然だろう。
しかし仮面は首を傾げただけだった。
「何の話だ? 我は『帰化』した者の反応があったので確認しに来たまでだ。そのディオスとかいうヤツの死体はそこに転がっているどれかか?」
その台詞にぎょっとした俺は突き動かされたように周囲を見回した。
死体。死体。死体。転がる五つの死体はどれも見知った顔。ディオスに対立を煽られた時、アイツ側についた連中だった。
……するとそうか。ディオスと仮面が手を組んでいるというのは見当違いか。
「……お前は何が目的なんだ? 人をモンスターに変えているのもぜんぶお前の仕業なのか?」
「目的? 愚問だな。貴様ら人間と何一つとして変わらんよ」
「? どういうことだ?」
仮面がかすかに苛立った様子を見せた。
「貴様らが我々を世界から消滅させようとしたように、我々もまた貴様らを世界から消滅させたいと願っているだけのこと。なぜ貴様らはいつでも被害者の面をぶら下げるのだ?」
冷静に、けれども憤慨を交えて責め立てるような口調は妙に耳に残った。
人間がモンスターを世界から消滅させたいと思っている。
これ自体はその通りだ。ギルド設立も冒険者という職業の誕生も、すべて始まりはその命題へたどり着く。
だが俺は違和感を拭えない。
なぜ仮面は消滅させようとしたと言ったのだろう?
これではまるで人間の目論見は過去のもので、既に失敗していて、もっと言うなら――
「……そんな過去など知らぬ、という顔をしているな。やはり人間は醜く汚い……まぁ良い」
思考が遮られた、その瞬間。
シュバンッ‼ と仮面の背中から闇の触手が六本現れた。まるで空気を啄むミミズのようにうねうねと動いている。
仮面の視線がシャーロットへ落ちた。俺は思わず叫んだ。
「何するつもりだ⁉ ソイツから離れろ!」
「無理な話だ。悪しき人間などこの世界には不要だ。これ以上増える必要も需要もまるでない。したがってこの者は、たかがスライムだがモンスターに戻ってもらうとしようか」
うねる触手が瞬間、シャーロットの口元へ潜り込もうとする。
「させるか!」
《消去》を実行。闇色の触手が一本虚空へ葬られる。
煩わしさにうんざりしたのか、仮面はぎょろりと俺を睨んだ。
「また我の邪魔をするのか、人間」
「あぁ、いくらでもな。その子は元々人間だったんだ。お前らの都合でモンスターにされる筋合いはねーだろ」
「……ふぅ」仮面は一度ため息をついた後、再び俺に向かい合って「東の平原で遭遇した時から思ってはいたが貴様は少々厄介だ。ここで摘んでおかねば計画に支障をきたしかねん。……その《スキル》は便利か?」
声と同時、いくらかの触手が絡み合ったドリルが打ちだされた。
俺は一言でそれらを消し飛ばす。
「見てわかるだろ、超便利だよ。こんなこともできんだぜ」
《消去》の《消去》――ゆえに顕現するのはいましがた消した触手ドリルだ。
それが打ち放たれた鏃のように仮面を襲撃する。
少なくとも風圧が生まれるほどの勢力だ。速度も威力も申し分ない。
それでもなお、仮面は圧倒的な反応速度で回避に成功していた。
やはり強いのだろう、この仮面のモンスターは。
けれど。強かったとしても。
「シャーロットは殺させない!」
「違う、貴様も死ぬのだよ」




