閑話1-4 ウィズレットの答え ☆
離れていく少年の背中を眺めながら、ウィズレットはその手を固く結んでいた。
後悔していたからだ。
本当は彼女自身もわかっていた。恋人役を立ててもきっと問題は解決しないだろうと。彼なら――デリータなら真正面から向き合えと言ってくるだろうと。
でも、そうでもしなければ彼の隣にはいられない。たとえ仮初めの関係だろうと彼の胸に抱かれるのであれば。
……そんな己の欲望を優先させた自分の決断に、ウィズレットは後悔をしている。
(もちろん状況が背中を押してくれたことは間違いないけれど)
今のデリータに、自分はどう映っているのだろう。
『本気で愛を叫ぶ男にすら向き合わない不誠実な女』とでも見えているだろうか。
彼女のささくれだった心に、次々と不安が浮かんでくる。
ウィズレットは肺の中の空気をすべて吐き出すように息を吐いた。
わかっている。
この蟠りを解消するためには、自分が動くしかないのだと。
宿から足を踏み出せば、すぐ。
ガーデンベンチに腰をかける、白のフォーマルスーツを着た男を見つける。
オールバックにした黒髪の下には優しそうな瞳。薔薇の花束は壊れ物のように丁寧に置かれていた。
男もウィズレットに気が付いたようだ。ベンチに蹴飛ばされたように立ち上がった。
「ウィズレットさん……!」
目を大きく張った男。待ち焦がれたように彼女の名を口にする。
ウィズレットは小さく息を吐き、気合を入れて――腕を組んだ。
「……あなたがここ数週間、私のことをつけてた人よね?」
素っ気ないような冷たいような彼女の言葉に、男は静か息を飲む。
「単刀直入に聞くわ。あなたは何がしたいのかしら? 話くらいは聞いてあげるからさっさと言いなさい。自分で言うのもなんだけど、私をストーキングするなんて自殺志願者か相当なドМくらいよ」
男のわかりきった意志をいなすように強い言葉を放つ。
――だが男は怯むことなく、
「……ウィズレットさん。僕はずっとあなたのことを見てきました。辛い過去を背負いながらも冒険者の方々に優しく接し、誰よりも真面目に仕事をこなし、常に人の為を思って行動されています」
――ベンチに置いてあった花束を両手に抱え、
「そんなひたむきなあなたに、健気なあなたに……心を奪われずにいられるでしょうか?」
――ウィズレットの目をまっすぐに見つめて、
「毎日嫌な思いをさせてしまったことは謝罪させてください。でも悪気はなかったんです。あなたがこれ以上傷付くのが嫌でした。深い傷からようやく立ち直れそうなのに、追い打ちをかけるようなことがあっちゃいけないと思いました。……たとえそれが偶然によるものでも」
――ついに膝をつき、
「ウィズレットさん、僕はあなたのことを愛しています。心から好いています。どうか……どうかこの花束を――受け取ってはいただけないでしょうか?」
――花束を差し出した。真っ赤な薔薇の花束を。
ウィズレットは目の前で跪く男を見下ろした。
強張る表情。微かに震える手。緊張しているのだろう。
それでも真剣な瞳はまっすぐに自分を捉えていて、
(本気なのね)
ようやくウィズレットは、デリータの言いたかったことを理解できたような気がした。
確かにそうだ。
この人をウソで黙らせたところで、誰も幸せにはならない。
――『本気には本気で』
ウィズレットは一度目を瞑り、返す言葉を頭に用意して。
噓偽りのない本気の言葉を、正直な気持ちを告げる。
「ごめんなさい。そのお花は受け取れないわ」
「ど……どうして……」
「私、好きな人がいるのよ」
「――!」
花束が男の腕の中へ引っ込んだ。
男は名残惜しそうな様子で黙っている。
(この沈黙……まだ諦めてないってことかしら)
恋心とは厄介だ。ウィズレットは身をもって知っている。
ならば自分にできることは、彼に一切の未練を残させないこと。
考えたウィズレットは話を続けた。
「あなたの話しぶりから察するに、どうやら私の過去のことも知ってるみたいだけど……『深い傷』っていつの話? 何のこと?」
「も、もちろんご両親のことです! ……五年前、冒険者だったあなたのご両親は、仲間の冒険者に裏切られて……」
「あぁ、そのことね。うーん……でももう、とっくに立ち直ってるのよね私」
「……え?」
何なら言われて思い出したくらいだ、とウィズレットは苦笑する。
「そりゃ三年くらいは引きずってたわよ。なんで私のママが、パパが死ななきゃならないんだーって。上位モンスターを前にとんずらこいた冒険者たちを憎んだりもした」
口にして蘇る、語られただけの記憶。
『ウィズちゃん、君のご両親はね……俺たちを守るために命を投げ出してくれたんだ』
齢12のウィズレットに、泣きながら訴えてきたのは二人の男女だった。
彼らは両親とパーティーを組んでいた仲間。泣き崩れる彼らを見て、ウィズレットは悲しかったが、それでも両親を誇らしく思っていた。
仲間のために命を張れる素敵な両親だったんだ、と。
『きゃはははは! あの二人、ほんっとバカだったよなぁ!』
『傑作よね! あたしたちに利用されていることにも気づかないなんてさ!』
だからこそ、彼らが笑いながら真実を話しているのを聞いた時の衝撃は……言葉にできなかった。
楽し気に酒を飲みかわす男たち。
全身が火に焼かれているように熱かった。
心臓がうるさく鼓動し、視界がぐらぐらと揺れ動き。
ウィズレットの中で冒険者への『何か』が死んだのはその時だった――。
「そうねー。今思えばあの時の傷は深かったかもしれない。『冒険者は裏切りや追放があって当たり前。職業柄これが当然なんだ』って本気で自分に言い聞かせてたわ」
まるで他人の噂話でもするように、軽快な口調のウィズレット。
男は食い下がるように花束を抱きしめる。
「そ、そうでしょう? それでもあなたは立派に生きている。本当は憎みたい冒険者を相手にギルド職員として尽力しているではないですか。……僕はそんなあなたに惹かれているのです。そしてあなたを守りたいのです。支えたいのです!」
「申し出はありがたいけど、もう支えも守りも必要ないの。彼が救ってくれたから」
『彼』がウィズレットの好きな人であることは男も察しているはず。
男の消えた表情が証左だろう。
(告白を断るというのは……思っていたよりも胸が痛むものね)
思いがけない経験値を手にしたウィズレットは罪悪感のような痛みに耐えながら、しかし幸せそうに優しい声音を発した。
「彼ね、不思議な人なのよ。冒険者のくせにずっーっと昇格したくないって言ってて。そのくせ依頼は必ず完璧にこなして戻ってくるし、困っている人がいたら誰彼構わず手を差し伸べてしまうし……それに仲間に裏切られても平気な顔してるの。もはや恐ろしいでしょう?」
いや、本当は平気などではないだろうとウィズレットは彼を思う。
「そんな彼は私にたくさんの言葉をくれたの。不遇や不運が当然だと受け入れて、両親が死んでしまったことも仕方がないと信じ込もうとしていた私に『そんな訳あるかよ』って。『アンタが黙ってんなら俺が行ってくる』ってね」
ウィズレットは口にしながら瞼の裏に優しい記憶を見る。
冒険者をやめてギルド職員に転向したあの日からの出来事を。
少年と交わしたやり取りを。傷だらけになって戻ってきた彼の姿を。
そして……少年に対して募らせてきた、抱えきれないほどの大きな愛を。
その感謝を、与えられた勇気や希望を想えば、
(……断るくらい、なんてことないわね)
未来永劫、あの少年に勝る男性などいないだろうとウィズレットは微笑む。
だから告げる。
本気には本気で。
「ま、そういうことよ。私には好きな人がいる。だからあなたの薔薇は受け取れない。悪いけど私のことは諦めて」
それじゃ、とウィズレットは身を翻した。
男が情けない声を漏らす。だが彼女は足を止めない。
どころか付け加えてありのままの意を伝えた。それがオーバーキルになるとは微塵も考えないで。
「あーそれから。私ネチネチした男は嫌いなのよ。後つけ回す時間と体力あるなら花束じゃなくてイチジクでも持ってきなさい」
「ウィズレットさぁぁぁん! ウィズレットさぁぁぁぁーんっ!」
夜の帳が落ちたローヴェニカに男の泣き声が響いていた。
お願いだから私の名前を呼ばないでくれないかしら――思いながら宿に入ったウィズレットだったがその時。
カツ、とつま先に何かがあたる。
カップホルダーだった。三角形に並んだカップはまだ温かく、コーヒーの香ばしい匂いが湯気にのって彼女の鼻腔をくすぐる。
(なんでここにコーヒーが……?)
刹那の思考の末、ウィズレットの明晰な頭脳はある一つの結論と――……絶対に看過できない可能性に辿り着き。
「………………………………………………まさか!」




