第21-4話 闇はまだまだ深いらしいんだが?
夕暮れも終わりだろうか。
オレンジ色の空には紫がかった雲がたなびき始めている。
その幻想的な天へ語りかけるように、クレブは淡々と喋っていた。
相槌も入れない。「これはワタシの独り言だ」と言われたからだ。
風が雲をどこかへ運んでいく。隣でぱたぱたとクレブの白衣がはためく。
紫色のおさげの少女は、遠い未来を覗きみるような瞳でひとしきりの言葉を並べ終えた。
「――とまぁ、ワタシの研究所が存在する目的はそんな所だ。……おやデリータ、まさかキミはワタシの独り言を聞いていたのか? まったく不運な奴だ」
不運、か。
「どうなんだろうな。知りたいことを知れたって意味ならそうでもないし、逆に知らないほうが良かったって思うならそうかもしれないな」
「知らないほうが良かったか?」
「その判断もできないくらいわからないことだらけだよ」
結論から言って、俺の予想は間違いではなかった。
この世界に存在する数多のモンスター。
その多くは人間に仇をなす生物として危険視されているが、彼らはある日突然、どこからどもなく降ってきた――なんて都合の良い生物ではなかったのだ。
正体は人間。
クレブの廻天計画研究所は『モンスターのヒト化実験』の名を借りた人類復活を目指している……というのが彼女の話の大筋だった。
「でもなんでそんなことをする必要があったんだろうな」
だが予想はあくまで間違いでなかっただけ。逆に言えば、正しくもなかった。
「頭のネジが外れてしまっている輩の考えは簡単には理解できない。きっと彼らなりの美学や理想があったのだろうが……残念ながらその犠牲になったのが人間だった訳だ」
そう。ほとんどがブラックボックスに隠されたままなのだ。
具体的に言えば、なぜ人がモンスターになったのか、誰が何のために着手したのか。
その他一切の詳細は、クレブにもわかっていない。
ただ現実として、元人間のモンスターが多数確認されている、という話。
ふざけた話だよな、と思う。
強烈な印象と莫大な規模感だけは理解できるのに、それ以外の細部は何もわからない。
“こういう残虐なことが世界のどこかで行われてるよ”という事実だけが丸投げされて、それに対抗・対処する術も知識も情報もない。
数分前の俺はこれを知って、一体どうするつもりだったのだろう?
原因を突き止めて、更なる被害を防ごうとでも考えていたのだろうか?
……いや、そんな大それたことは思っちゃいない。
俺はただの冒険者だ。一介の冒険者に過ぎない。
だからこそ、なのかもしれない。力の及ぶ範囲が限られているからこそ、心のどこかで考えていたんだと思う。
きっと俺は、大切な人たちに魔の手が及ぶのを防ぎたかったんだ。
アモネやキャリー、シャーロットにクレブ、エレルーナ、ウィズレットさん、ゲンゴク、ブルームレイ――……いや最後の三人は自衛できるか、俺がいなくても。
いずれにしても、俺は俺を大切にしてくれる人たちを守りたい……んだと思う。
だが状況はいつ悪化してもおかしくない。
実際キャリーは、奇天烈な仮面の人型モンスターの襲撃に遭っている。
明日にはアモネやシャーロットがその害を被るかもしれない。あるいは俺がそうなる可能性だってある。
それでも情報は雨のようには降ってこない。対抗する手段は閃かない。闇を打開する算段は見当たらない。
真相や原因を覆い隠すこの靄を、どうにか払拭できれば楽なのに――
「あ」
そこで、ふと思いつく。隣でたそがれるクレブに聞いてみる。
「なぁクレブ。あんたの独り言聞いててふと思ったんだけど」
俺はかつて《消去》で見た『あの日』のことを口にした。
俺がディオスのパーティーでメンバーの強化を図り、功績を残しつつもGランク冒険者としての存在にこだわる――そのすべての理由たる『あの日』のことを。
「……もしかしたら人間をモンスター化させた連中たちの意図を探れる、かもしれない」
「どういうことだ?」
「少し前の話になるんだが……ちょうど《ダメージ吸収》が《消去》に進化したくらいの頃だったかな。ほんの些細なことがきっかけで、ある時俺はスキルを使ったんだ」
「ほう? 何を《消した》んだ?」
「『秘密』だよ」
クレブに話す。俺が『この世界の秘密』を消して見た光景を。
かつてローヴェニカだった地に積み上がった瓦礫と、そこに飛び散った血を。
クレブは黙って話を聞く。時折相槌を打ちながら頷いては、かすかに驚嘆の声をもらしていた。
「……なるほどな。キミの《消去》はそんなことまでできてしまうのか」
目を細めながら言うクレブ。
まぁ概念を消した、とか、真実を覆うベールを取り払った、なんて言われてもピンとはこないだろう。
もしかしたら信じてもらえてないかもなーと彼女の横顔を見ていると、ふいに目があった。
「今、やってみないか」
束の間の沈黙を破る第一声だった。
オレンジの光に照らされたクレブの表情は読めない。
だが声は真剣だった、と思う。
「これはワタシの我儘でもあるが……もしそれで世界の真理をほんの少しでも目にすることができるのならキミに体を差し出しても良い」
ぐいっ、と体を寄せてくるクレブ。
下着姿でなければ俺もちょっとは揺らいでいたかもしれない。慣れは恐ろしい。
「い、いや、それは遠慮しておく。……でも、そうだな。俺も気になる。だからやってみるよ」
目を瞑り、想像する。
悪辣な方法をもってして、世界に影を落とそうとする連中を。
その悪意を隠してしまう重厚なベールよ、
「――《消去》」
瞬間、視界が暗転し、急速に前進し始めた。
数多の景色や記憶を乗り越え、欲すべき目的へとぐんぐん進んでいく。
この感覚、『秘密』を消去した時とまったく同じだ。
いくつもの国が破壊され、何千何万もの人が命を落としていき、やがて終点に――
プツン。
「……は?」
見えたのは暗がりの夕焼け。シルエットになる木々。隣のクレブ。
まるで引っ張られた糸が切れたような感覚と共に、俺の意識は現実に戻ってきたようだ。
「なにが見えた……?」
興奮気味に身を乗り出すクレブ。
わずかな間を置いて、俺は息を吐いた。
「いや、何もだ。かすかに景色は映ったんだが……途中で閉鎖されちまった。多分だが……真相を知られちゃ困る『誰か』に意図的に情報を制限されてるんだ」
推測にすぎないけど、と付け加える。
クレブも静かではあるが深くため息をついた。
やがて沈んでいく陽を物憂げに眺めて囁く。
「……まだまだ闇が深いな、この世界は」




