第19-3話 また粘液まみれにされたんだが?
「ニンゲン、ニンゲンーっ!」
「おわっ」
アカオニを倒した俺のもとに、スライムたちが流れ込むように飛んできた。
隠れて見ていたのか、いつも抱きついてくるアモネよりも早い。
あのおっぱ……じゃなくて包容力を感じられないのは残念だが、スライムたちにもみくちゃにされるのも、まぁ悪くない。むしろひんやりとした感じで意外とキモチ良いかも!
「……ってこれ粘液かよ!」
またもや全身が青いドロドロ粘液まみれになる俺。勝ったのに負けた気分だ。
「ありがとう、ありがとう。これで安らかに暮らすことができるゾー!」
「だーわかった! わかったから一旦離れてくれ!」
体に乗っかるクッションをどかすようにスライムたちを降ろしていく。
見上げるとちょっとだけ悔しそうにしているアモネが。かわいいかよ。
「……アモネ、悪いが手を貸してくれないか」
「……! は、はい! ごめんなさい気付かなくて!」
彼女にしっぽがあったら多分ぶんぶんなっていると思う。言葉と表情がこれほど一致しないことはない。
粘液を《消去》で拭い取っていると、スライムたちがこんなことを口にしていた。
「ぼくたち、ニンゲンがいなくなっちゃったら大丈夫かな?」
「アカオニを倒したのはいいけど……他の仲間たちが怒って襲ってくるかもしれないよね……」
ざわざわ……とスライムたちの間で、ざわめきが一気に広がっている。
横ではアモネが耳を塞ぎながら、
「で、デリータさん? なんだかスライムさんたち、妙に声が大きくないですか?」
「俺も思った。数はさっきとそんなに変わってないはず……あ」
倒れたアカオニを見る。
そうか、あいつを倒したことで『呪縛権能』を解呪していなかったスライムまで喋れるようになっているのか。どうりでうるさい訳だ……。
だが、収拾のつかなくなりそうな喧騒は、次のワンシーンでぴたりと静まった。
「デリータ、シャーロットが帰ったよ」
白衣をまとった白髪と青目の少女、シャーロットの帰還である。
「おう、お帰り。クレブはなんて言ってた?」
「『全員うちに来ればいい。シャーロットの成功例のおかげで、同種族であるスライムには効果を期待できそうな薬が用意できている』……って」
「じゃあとりあえずクレブの研究所へ行くか。そうすりゃアカオニやアカオニの仲間に怯えなくて済むし、もしかしたら人間の姿にもなれるかもしれない」
と言い終えたところで俺は気が付く。
「シャーロット、顔のその傷どうしたんだ?」
彼女は白い顔を隠すように手を添える。だがその手にも、腕にも足にも傷がある。
隠しきれないと悟ったのか、シャーロットはおとなしく口を開いた。
「……人間と戦った」
「な……人間に襲われたのか⁉」
「でも追いかえした。ボク攻撃されてないしほとんど攻撃もしてない」
追い返した? 最弱モンスターとして名高いスライムが人間を?
いや、今はいい。
「攻撃されてないなら……じゃあその傷はなんだ?」
口が滑った、という顔をする少女。
「……これは」
シャーロットが口を噤んでしまう。俯いて目を合わせようとせず、つま先で地面をつつく。
するとアモネが彼女の手を優しく握り、諭すように、
「シャーロットちゃん。デリータさんはあなたのことを心配してるんだよ。もちろんわたしもね。嫌だったら無理にとは言わないけど……できれば聞かせてほしいな」
「……、」
しかしなお、白い少女の口は開かれなかった。
その時。
「先に避難したスライムたちにやられたんだろ」
足元から、そんな言葉が聞こえてきた。
向くと、俺に攻撃を加え、俺を治療したスライムがまっすぐとシャーロットを見つめていた。
「どういうことだ? なんでスライムたちがシャーロットを攻撃する?」
「シロは……おれたちと違うからだ」
ハッとした。
同じスライムでも、シャーロットが他と圧倒的に異なる点。
色だ。
俺の察しに気が付いたか、スライムはぼそぼそと続ける。
「……おれたちはモンスターの中で最弱だ。単独で行動すれば、ほとんどの場合そいつは戻らない。人間や他のモンスターに狩られるから。それを防ぐためにも、おれたちは集団で行動することが多い。それを踏まえた上で考えてほしい、デリータ」
スライムは嘆くような瞳を向けてくる。
「おれたちはシロを除け者にしてきた。一緒に行動すると目立つからだ。敵に見つかりやすくなるからだ。シロと一緒にいるだけで命を落とす可能性が跳ね上がる。だからシロはいないものとして扱ってきた。仲間と認めずに群れを作ってきた。デリータ……おれたちは悪か?」
頭の中ですべてが繋がった音がした。
スライム居住区に戻ってきたのに仲間が寄り付かなかったのは。
俺たちと一緒に攻撃対象に入れられたのは。
場に現れただけで異様なほどの静寂が訪れていたのは。
全部、シャーロットがスライムの群れから排除されていたからだったのだ。
「先に避難したスライムたちの多くは特にシロを毛嫌いしている集団だ。シロがここへ戻ってきたことも、ニンゲンを連れてきたことにも相当腹を立てていたと思う。それが……シロの傷の原因、だとおれは思う……ゾ」
――最低だ。悪だ。お前たちがやってきたことは絶対に許されない。
喉まで出かかった言葉を、俺は刹那の内なる激闘を経て飲み下した。
それを言えばスライムたちが傷付くと思ったからだ。いや、本音を言えば傷付けばいいとさえ思ってしまっている。シャーロットを酷い目に遭わせたのだ。少なくとも彼女よりは傷付いたってバチはあたるまい。
でも、それはシャーロットの望みではないと思った。これまでの彼女を見て、眉をハの字にして見つめてくる今の彼女を見て、俺は確信していた。
なぜなら、彼女が何よりも守りたかったのはこのスライムたちなのだから。
死ぬ覚悟で群れを飛び出し、ヒト化した後も真っ先に群れのもとへ向かうような彼女が、彼らを断罪する選択を願うとは思えなかったから。
「……シャーロット、やり返したいか?」
「……!」
ふるふる、と。彼女は首を横に振った。
まるで冗談じゃない、とでも言うような表情で。
俺はスライムたちへ向き直り、
「……お前らが悪かどうかは俺が判断することでもないし、判断する意味もない。ただ……これだけは言っておく。シャーロットがいなければ俺たちがここに来ることは絶対になかった。犠牲になるはずだったお前らの命は、他でもなくお前らが排除してきた彼女によって守られたんだ」
「……、」
「お前らが除け者にしてきた彼女は命がけで俺たちの前に現れたよ。コイツと会ったのは本当にただの偶然かもしれないけど……ヒト化した後もシャーロットはお前らのことを考えて泣いてた。お前らを助けるために動いていた。仲間が危ないって。仲間が食べられちゃうって。……確かに命は大事かもしれないけどさ、それと同じくらい大事にすべきなんじゃないのか、こういう仲間ってのは」
シャーロットへ向き直る。会った時と同じように、ボロボロと大粒の涙を流していた。
俺は黙って彼女を胸の中に抱いた。元がスライムとは思えないほど温かく、想像していた以上に遥かに人間だった。
無表情で涙を流す彼女の耳元で、静かに告げる。
「もう大丈夫だ、シャーロット。泣かなくていい。お前は自由だ。お前は一人じゃない。これからは俺たちと一緒にいよう。いっぱい美味いモン食って、いっぱい笑おうぜ」
彼女の過去を知れたこともあってか、不思議とそんな言葉たちが口を衝く。
自分でも驚くほどすんなりと素直に声になったと思う。
「……シャーロットちゃん、よく頑張ったね」
アモネも彼女の背後から抱きついた。慈しむような微笑みだった。
「……ひっく」
小さな小さな嗚咽だった。
シャーロットが初めて音にした感情だった。




