第19-1話 アモネの《反射》が強すぎるんだが?
逃げ惑うスライムたちの流れに逆らって進むと。
俺とアモネは前方二〇メートル付近に、捕食者アカオニを発見する。
「アイツがスライムを捕食するモンスターか」
身長は二メートル程か。全身の皮膚が血のように赤い、筋骨たくましいモンスターだ。分厚い胸板の上にはツノの生えた狐の頭が乗っかっており、腰付近からは羽毛のようなしなやかな尻尾が生えている。
その色は紅。赤い尾と赤い鬼族という意味で“アカオニ”なのだろう。たぶん。
アモネが驚いたように口にした。
「あれがアカオニ、だったんですね……」
「存在自体は知ってたような言い方だな」
「言い伝えていどの話ですが……わたしがまだ小さい頃、父によく聞かされていたんです。『赤い尻尾を生やした狐の大男を見たら、まず逃げなさい』って」
ほう、つまりアカオニは特徴ドンピシャって訳か。
しかし……なぜ『逃げなさい』なんだろうな――と思うがその時。
アカオニが蔑むような高笑いを空へ向けた。
「ジハハハハ! 久しぶりに来てみたがやはり豊作! 小腹が空いた時にはスライムが一番じゃあ! あーん」
しかもその手には、体をひったくられたスライムが握られていて。
まさに今、あんぐりと開いたアカオニの口へ放り込まれようとしていた。
考えるよりも先に動く俺の足。
果たしてアモネにこんなことを無理強いしても良いのか……そう考えたのは、脇道に伸びる樹木を彼女に向けて押し倒した時だった。
根元を《消去》された成木が、ガサガサと葉を揺らして倒れていく。
「アモネ、《反射》でこれを!」
さすがに無茶振りだよな、ごめん。
遠慮なくこっちに《反射》してくれ――と心の中で樹木に激突する自分の姿を想像する俺だったが、予想はあっけなく裏切られる。
なんとアモネは自信満々に平手を引き、
「任せてくださいっ!」
まるでビンタをするように、その手を倒木へ叩きつけた。
《反射》が発動する。
木と彼女の手が触れあう場所が歪んで見えた。――これは驚いた。
と思ったら次の一瞬で、木はまるで放たれた矢のようにアカオニへ弾き飛ばされた。
スライムを食そうとするアカオニの右上腕に木が衝突し、肉を抉り、毟りとり、そして吹き飛ぶ。
右腕がなぜか消えたアカオニは首を一度傾げ、凶悪な目で悠々と俺たちを捉える。
「――うぅん? なんでこんな場所に人間が?」
どすどすとアカオニが歩み寄ってくる。
その表情には余裕という言葉をそのまま張り付けたような笑みが浮かんでいる。
俺たちも臆することなく歩み始めた。
「お前も喋れるクチみたいだな。スライムは美味いのか?」
「あぁ美味いとも。お前も食べるがいい。一匹や二匹くらい分けてやる」
! うえぇ……アカオニの右腕が再生したぞ。
モリモリモリッって生えてきた。気持ち悪ぃ……。
「残念ながらモンスターを食う趣味はなくてな。そういう料理専門店を開く変わり種もいるにはいるが、売上は低調みたいだぞ」
「愚かな人間どもにはこの崇高な美味などわかるまい。ではこういうのはどうだ?」
接近した彼我の距離が5メートルにも差し掛かる頃。
突如アカオニが赤い尻尾を地面に突き刺し、あろうことかそれだけで体を浮かせた。
なんだかヨガのポーズをしているみたいだが、吞気なことも言っていられない。
アカオニはその手から赤光を放ちながら提案してきた。
「――『アカオニ特製 人間の灼熱地獄焼きステーキ』……どうだ、美味そうだろ?」
ニヤリと口元が歪むと同時。
ゴッ‼ とアカオニの手元から二筋の赤い光線が放たれた。
灼熱地獄焼き、というのはなんの冗談でもなかったらしい。
一秒にも満たないわずかな間で、光線の熱波で地面は焼け焦げ、脇道の森林は消し炭と化す。
これに触れたら火傷じゃ済まないだろうなー……。
「《消去》」
「《反射》」
俺たちは各々に対処した。
一筋は初めからそんなものなど無かったというように存在を消し。
もう一筋は、速度をほぼ倍にして同じ軌道を逆に進んだ。
当然アカオニの左手はもう残っていない。体液すら流させないあまりの高温が焼き尽くしてしまったのだ。
……ていうかアモネの《反射》、強。
左手と同じように、アカオニからうすら笑いも消えた。
「……なるほどな。すべて理解したぞ人間。俺さまが下等生物共にかけた呪いがどんどん解除されていくのはお前の力のせいだな?」
呪縛権能。
スライムたちにとっての上位モンスターはコイツって訳か。
「俺さまの食糧を奪おうだなんて良い度胸だ。よし決めた。俺さまはお前らをミンチにして食うことにしよう――ッ!」
モリモリと再生した左手。
それと右手を合わせたアカオニは、とっておきでも使うつもりか、何か呪文のようなものを唱え始めた。
やがてアカオニは確信を持って呟く。
「『悪鬼灼獄無限牢』」
合図となった謎の呟きは、しかしアカオニの意志を完璧に表していたのだろう。
帳が下りたのだ。
紫がかった黒の帳。ベールと言ってもいい。
一面。また一面と現れる黒の壁。それが全部で六つ。
つまり、俺とアモネ、そしてアカオニは、六角形の箱の中に完璧に閉じ込められてしまったのだ。
「ジハハハハ! どうだ怖いだろう焦るだろう⁉ 慄け、俺さまの圧倒的な支配力に戦慄しろ人間!」
今更ながらアモネの父さんが言い聞かせた意味がわかる。
『赤い尻尾を生やした狐の大男を見たら、まず逃げなさい』
つまり。
この空間に囚われてしまったその瞬間、普通の人間なら死が確定する訳だ。
あるいはアカオニを倒すことでも逃避は可能だが……さっきの攻撃を見ればほぼ理想論。
「六角形の帳に囚われる前に、逃げなさいってことか」
「……普通に暮らしていたら、あんなモンスター相手にできませんもんね」
アモネの言う通りだ。
普通の人ならほぼ高確率でアカオニに対抗はできない。
アカオニが嬉々として跳躍した。
「ジハハ! これでお前らはもう逃げられまい! 大人しく俺さまの食糧になるんだァ!」
……スライムたちは。もしかすると人々は。
こうしてアカオニに食われてきたのだろう。
先の景色はかすかに見えるのに、謎の壁に阻まれて進めない。仕方がないから六角形の中を逃げ回る。
だが所詮は袋のネズミ。
アカオニとの持久戦に持ち込まれた時点で、その生には終止符が打たれているのだ。
死にたくないと願い。生きたいと願い。
願ったまま死んでいく。踏みにじられて死んでいく。
あの白いスライムが、シャーロットが守ろうとしたのは、そんな儚い命たちだ。
予想に過ぎないが、もしかするとシャーロットはわかっていたのかもしれない。
アカオニに対抗できるのはもう人間しかいないと。最弱モンスターであるスライムに、他に頼れるモンスターなど存在しないと。
だからあの時、俺がヒト化の薬を打ち込もうとしたあの時、あいつは抵抗しなかった。
死を覚悟していたからだ。
スライム居住区を抜ければ、いつ殺されてもおかしくないとわかっていたからだ。
その危険を冒してまで。それも助けてもらえる可能性なんてゼロに等しいと理解していて。
それでもシャーロットは外に出てきた……のかもしれない。
『……でも魔物にだって優しい種族や個体だっているんだぜ?』
ああ、そうだな。
俺もそう思うよ。心から。
「くたばれ人間んんんんんん!」
狂猛に振り上げられた拳が目の前に迫っていた。
勝ちを確信したアカオニの顔。
だから俺も確信を持って口にする。敵の確信を討ち滅ぼすように。
「《ダメージ吸収》」
頬を何かが掠る。
アカオニが凍り付いている。ダメージ吸収のほうは成功したみたいだな。なら、
「《発散》!」
吸収した全ダメージを乗せた拳を。
俺はアカオニの顔面めがけて突き刺した。
めり込み、めり込み、それでもなおめり込んでいく拳をさらに突き出して――。
直後、アカオニを吹っ飛ばした。
敵は突き当りの黒い壁へ激突する。




