第15話 スライムが泣いているんだが?
「み、見事だ……」
研究所へ白スライムの彼女(?)を連れて帰ると、クレブは目を丸くして言った。
「今までの成功例にないほどの再生ぶりであることに間違いない。正直成功率が成功率だからあまり期待をしていなかったが……よくやってくれた、デリータ、アモネ」
あ、笑った……。
初めて見るクレブの笑顔だった。けっこう可愛いらしい。
「とりあえず謝礼を用意してくるから少し待っててくれ」
たたた、とクレブが階上へ消えていく。
隣でアモネが喜びを声に滲ませて言う――
「これで当面の宿泊代と食事代は賄えますね! 頑張って良かったです――デリータさん?」
「……、」
――が、俺にはアモネの話など一ミリも耳に入ってこなかった。
なぜならそれは、
「お前、なんで泣いてるんだ?」
白衣を着せられた元スライムの彼女が、顔を歪めることもなくボロボロと涙をこぼしていたからだ。
アモネも言われて気づき、少女にハンカチを手渡す。
「え? ――あ、本当ですね、涙が……。これ使ってください」
だが相手は元スライム。ハンカチの使い方などわからないためか、大粒の涙はひねったままの蛇口のごとく流れたままだ。
その時、スライムの少女が俺を見てぱくぱくと口を動かした。
何か言っている……?
「悪いがもう一回言ってくれ」
「――――……」
彼女の口元に耳を寄せてみるも、やはり聞き取ることはかなわない。
というかそもそも、言葉にもなっていないような――と眉をひそめた時。
クレブが金貨の入った袋を粗放にテーブルへ置き、確信めいた様子でスライムの彼女の検診を始めた。
して、事務的に言葉を紡いでいく。
「言葉が出ないのは恐らく『呪縛権能』の影響だろうな。モンスター研究の界隈ではかなり前から提唱されていた仮説だが……こんな形で実証されるとはな」
「何なんだ、その『呪縛権能』ってのは」
「上位モンスターが下位モンスターへ行使する呪いの一つだ。呪いにかけられた下位モンスターは、上位モンスターが許可した行動しかできない――というのが定説になっている。ま、平たく言えばスライムである彼女は、彼女よりも上の存在によって発声を許されていないってことになるが――……そもそも下位モンスターでも言葉は話すのだろうか?」
クレブがすっかり研究者モードに入ってしまった。俺には聞こえもしない声量でブツブツ口にしては部屋を縦横無尽に歩き回っている。
しかし驚きだ。まさかモンスター間の支配関係に呪いなんてものが使われているとは。
生物としての本能的な上下関係は当然としてあるだろう。
だがこの『呪縛権能』という点に関しては……あまりにも人間的というか、どことなく底知れない悪意のようなものを感じてしまうな。
上位モンスターと下位モンスター、か。
白スライムの少女を見やる。苦悶の表情を浮かべ涙をこぼしている。
冒険者の中でのスライムの位置づけは……お察しの通り高くはない。むしろ低い。
果たして、モンスター世界の中でその格付が逆転するかといえば……残念ながら考えにくい話だろう。
ともすれば、彼女はきっと……多くのことを許されなかったんだろうな。
主張することも、声をあげることも、何もできなかったのだろうな。
痛むな――と疼く胸を感じるとほぼ同時、俺はスライムの少女へ手を伸ばしていた。
こんなに苦しそうにしている子をそのままにしておくのは酷だ。
傍らで、クレブが思いついたように声をあげる。
「ああ、そうだな。そうした方がいい。よし、二人ともちょっと待っててくれ。彼女の身に起きている現象をメモにまとめるから――」
そんなクレブの話など聞こうとも思わなかった。
ほぼ無意識の行動、といっても過言じゃない。いち早くこの子を解放しなければ。
俺はスライムの少女から『呪縛権能』を取り消すべく《消去》を使用した。
鎖が引き千切れるように解呪が完了する。
「ぁう……あ、あ……」
やがて産声のように言葉を発するスライム。
とめどなく溢れていた涙も驚きで止まったのか、彼女は自分の喉元を不思議そうに触っていた。
「よし、これで苦しくないだろ」
誰だって苦しいのは嫌だからな。良かった良かった――と思っていたが。
隣。メモを取りに行ったクレブが脱兎のごとく舞い戻って来た。
目を丸く剥いて、俺に掴みかかる勢いで口を開く。
「は? は? え? は? ちょっと、おい。おい待て。デリータ、キミ今何をした?」
「何って、呪いを消したんだよ。泣いてる理由だって気になるし、あのまま放っておくわけにもいかないだろ」
「随分と普通に言ってくれてるが人間のなせる所業じゃないぞ? 殺生以外でモンスターの生態システムへ干渉するなんて異常だぞ? この際メモなんかよりもお前を調べて論文にまとめようかと思うんだがそれでいいか?」
一呼吸置かずにその言葉がつらつら出てくるクレブを論文にまとめてやりたい。
「褒め方が研究者って感じですね……」
アモネが驚いたような表情で口にする。まったく同感だ。
「……で、お前は大丈夫か? 何があったか話せるか?」
俺はスライムの彼女へ聞いてみた。
しかし彼女は口を閉じたまま、ブルーの瞳をきょろきょろさせている。
何考えてるんだろうな? と思った矢先。
彼女はすたっと立ち上がり、裸足のままで研究所を飛び出そうとする。
「おい、どこへ行くんだ」
少女はくるりと振り返り。
曇りなき透き通る瞳でこう言った。
「ボクの仲間、あぶない。このままだと食べられちゃう……」
言い終えると、彼女はどたん! と乱暴にドアを開け放ち、外へ出て行ってしまった。
残された俺たちはというと、彼女の言葉に悪い予想をしてしまうのは必然。
なにせ下位モンスターのスライムだ。それを食べるのは……少なくとも彼女たちよちも上の存在だろう。
そして何より――彼女の涙は仲間を思っての涙だったのかと思うと。
「デリータさん!」
へとへとにもかかわらず、アモネは動き出す準備をしていた。
まったくお人好しなお嬢様だと思いつつ、俺も応じる。
「あぁ、俺たちも行こう」