第14-2話 成功しちまったんだが?
モンスターをヒト化させる薬。
その意味を噛み締めるように脳内再生をして、俺は第一声が出た。
「…………は?」
「モンスターをヒト化させる薬だよ」
クレブはつまらなさそうに答える。
俺はその時、数時間前に遭遇したモンスターのことを思い出していた。
キャリーをさらい、モンスター因子を彼女へ注入したあのモンスター。
クレブがやっているのは真逆のことだが……何かしらの関係があるのだろうか。
それともただの偶然……?
「ヒト化って……なんでそんなことを?」
「悪いが詳細は話してはいけない規則なんだ。他言すればワタシの研究所と研究、ついでに命まで廃棄されることになる」
さらっと恐ろしいことを言うんじゃない。
一体この少女は誰に、あるいは何に命を掌握されているんだ? と内心思う。
が、当事者のクレブはそんなことどうでもいいとでも言いたそうに近場の書類へ手を伸ばして、
「助手を募集した理由は言うまでもなく手が足りないから。正規の助手もいるにはいるがそこらじゅうを飛び回っているため頭数には入れられない。サンプル採集も実験の試行回数もまともにこなせなくて窮しているんだ。このままでは二八〇〇〇通りの処方薬がすべて試せない」
そう口にしたクレブの声音は確かに狂気じみたものを含んでいたと思う。
けれどそれと一緒に、彼女の瞳に浮かぶ宿命のようなものも俺は感じ取っていた。
理由はわからないけど、この少女は多分――本気でこの実験を大成させようとしている。
「……蓋を開けたら悪事に加担してる、なんてことにはならないよな?」
「わたしも、モンスターが目の前で爆散するとかはちょっと……」
体の前で両腕を組み合わせたアモネが控えめに言う。確かに嫌だがよくそんな想像へ思い至ったな、アモネよ。
するとクレブは書類から目を離して、傲慢に見えてもおかしくない面構えを俺たちへ向けて、
「絶対にない。約束する。投薬によってモンスターが致死することも理論上は考えられない。だが……もしもキミたちの気が進まないのなら引き返してもらって構わない。本音を言えば手伝ってほしいが強制はしないよ」
俺とアモネは一度互いの意思を確認し合い、返事する。
「わかったよ。手伝う。こいつをモンスターに注射すればいいんだろ? 成功したらどうすればいい?」
「……協力、感謝する。万が一にも実験が成功した場合、すぐにここへ連れて来てくれ。……まぁ高確率で失敗するからそう気負わなくていい」
おい。さっきの顔から発せられた言葉とは思えないんだが。
まぁ実験はトライ&エラーが基本だとどこかで聞いた気がするし、失敗を前提としているなら俺たちだってそう気張ってやらなくて済む。
「ちなみに高確率ってどれくらいなんだ?」
「現状のデータで言えば99.8%」
……前提すぎるというのも問題だと思うのは俺だけか?
◇
廻天計画研究所を離れ、近辺の森を歩いて行く。
「でもデリータさん。モンスターに注射って言ったって……けっこう難しくないでしょうか」
「そうだなー……やっぱ世の中にうまい話なんてないんだな」
お手軽&高給なんてやっぱ信じちゃダメだ。明日にでもギルド掲示板に注意書きポスターでも張りつけておこう。
「あ、あそこにモンスターいますね。マッシブファングみたいです」
アモネが茂みの奥を指さした。
四足歩行のケモノで、尖った耳と平らな鼻、そして一メートル弱の体格にそぐわないほど巨大な牙を顎に生やしたモンスターだ。分厚い黄色の毛皮に覆われた体がのっそのっそと動いている。
俺たちは茂みに息をひそめ、小さく話す。
「協力してやっていくぞ。俺がヤツの神経系を一時的に麻痺させるから、その間にアモネが注射してくれ」
「わ、わかりました……!」
頷き合うと、俺はそろりと茂みの奥へ足を踏み込んだ。
だが、さすがのモンスター。音を立てないように出した一歩でも、反応するには十分すぎる刺激だったらしい。こちらを向いていたマッシブファングの尻がくるりと水平に回転し、狂猛な両牙とつぶらな瞳が俺を捉える。
「ほーらほら、いい子だぞー大人しくこっちおいでー……」
なだめるように両手を前へ突きだす俺。だが間もなくして、
「ぶるぅあッ‼」
地面を激しく蹴り上げたマッシブファングは一気に俺に突っ込んできた。
怒涛の突進攻撃。大きな牙を持つ動物の常套手段である。
ドドドド! と突っ込んでくるマッシブファング。
すれ違いざま、俺は躱しながら敵の頭部を軽やかに撫であげた。
――消去。
直後、背後でどさーっ! と土草を強引にかき分ける音が聞こえる。
「……注射完了しました、デリータさん!」
振り返ると、空の注射器を掲げたアモネがいた。
マッシブファングは今、神経系の働きが停止している状態だ。
つまり投薬の効果を見るには今一度ヤツを動かさねばならない。
「よし、じゃあ解除するぞ……!」
後ろへ戻って来たアモネへ確認を取った後、俺は《消去》を解除した。
期待はしてない。なんせ成功率は0.02%だ。
マッシブファングが奇妙な光を散らし始める。筋肉を痙攣させぶるぶると体を上下させている。
わかってる。どうせ『もしや成功したのでは……?』と思わせておいて、
「ぶるるるぅぅぅうああああああああああッ‼」
「きょっ……巨大化しちゃいましたーっ‼」
ほら、やっぱり。
足が竦むほどの咆哮を披露してくれたマッシブファングは今、全長三メートルくらいだ。
ざっと三倍。そんな巨大モンスターが俺たちの前で怒り狂っていて、
「ぬもぉぉぉぉぉおおおおおお!」
どたどたどた! と突進してくる訳でありまして。
「ででででででででデリータさんんんんんんんっっ‼」
「アモネ耳元で叫ぶな鼓膜が破れる!」
とガクガク震える彼女の前に立った俺は、地面に手を添え一言。
突として出現した巨大な落とし穴は、気持ち良いほど華麗にマッシブファングを嵌めてくれた。
敵の姿を失ったアモネはほっと胸をなでおろしながら、
「ど、どうして大きなモンスターってこんなに精神的に疲れるんでしょうね……」
「圧迫感すごいもんな。下手したらあと十九回は続くが……いけそうか?」
問うと、アモネはかわいらしく鼻息を荒らげて、
「もちろんです! デリータさんと同じ部――宿にお泊まりするためですから!」
いま部屋って言いかけなかったか? どっちにしてもまだまだ元気そうで良かった。
◇
一本目から一時間ほど経過して――。
「……次、行くか……」
「デ、デリータさん……次の薬で最後ですよ……」
アモネがげっそりとした様子で最後の注射器を渡してきた。もう自分に打っちまおうかな……。
「おう……今度こそ成功させてクレブを驚かせてやろうぜ……」
受け取りながら、容器の中で揺れる緑の液体へ視線を落とす。
あれだけ不気味に見えた薬も美味しそうに見えてきた。
ここまで十九戦〇勝十九敗。さすが失敗率99%の薬は伊達じゃない。
さて、最後の一本はどんなモンスターに――、
「……うん?」
思わず足を止めてしまった。背中にアモネが衝突してくる。
「痛っ……もーデリータさん、急に止まらないで下さいよー」
「あー悪い。けどちょっと見てくれよ、あのスライム」
「スライム?」
俺が前方を指さすと、アモネも目線で追いかける。
「俺初めて見たよ――白いスライムなんて」
疲れを忘れそうになるくらいには新鮮だった。
スライムといえば一般的にはクリアな青色のボディをしている。
にもかかわらず、俺たちの前にいるのは真っ白なスライムなのだ。
アモネも興奮で疲れを忘れたように、
「わ、わたしもです! 変異個体なんでしょうか? それとも小麦粉被ってる……?」
それはないだろ。
思いつつ、俺は心の中で決断を下す。
「あいつで最後にしよう」
疲れているし、きっとこれも失敗に終わる。
さっさと終わらせてしまおう――そう思いながら俺は白スライムを抱きかかえた。
「……あれ? コイツ全然抵抗してこないな……」
「おーすごいですデリータさん! 多分モンスターを抱っこした世界最初の人ですよっ」
なんてアモネは悠長に言っているが変な話だ。
スライムは弱小とはいえモンスターだ。人間が接近してきたら反撃に応じるはずだと思っていたが――……
「まぁいいや。とりあえず投薬して――」
俺は注射器を構え、緑の液体を白スライムへ注入していく。
段々と容器が軽くなっていき、それが完全に空になったその時だった。
ボムッ‼
「⁉」
突如、俺の腕の中で白スライムが爆発した。
いや爆発かどうかはわからないが、白煙が視界を覆いつくしている。
やがて煙が散る頃――俺とアモネは絶句してしまう。
「………………?」
布切れ一つまとわない少女が立っていた。
白よりも白そうな長い髪の毛と、ブルーの瞳。十四、五歳ていどの風貌だが、しかし表情はこの世に生まれ落ちたばかりようなの純粋無垢な無表情。
アモネが静寂を打ち破る。
「デ、デリータさん……もしかしてこれって……」
俺はああ、と一度首肯し、口にした。
「成功、しちまった?」