正しい休暇の過ごし方
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ちょっとだけ、乱暴なシーンがあります。
苦手な方は飛ばしてお読みください。
体罰は躾ではありませんが、教育的指導は
女性から男性に対してはあり、かと思います。
あくまでも、女性を擁護するための措置として。
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「さて」
腰まである髪をきっちりと編み終え、気合を入れがてら姿見にうなずいてそれに背を向ける。
服装、よぉーし、頭髪もよぉぉーし!
あたしの仕度は万端ととのっている。
そのまんま部屋を出ようとして、忘れ物に気づいた。タオルだ。あまり大きなサイズではかえって邪魔になるのだが、さりとて手を濡らすたびに乾くのを待っていたら時間がかかってしょうがない。
寝室まで戻ってローチェストから手頃なのを選んだ。所要時間、約二十秒……急ぎ足で、今度こそ自室を後にする。
自慢じゃないが、我が家はけっこー広い。
築八十五年と新しめだが、ジョージ何世だかヴィクトリア女王だったか、そういった名前で呼ばれる建築様式を再現したお屋敷なのだ。
部屋数は……実のところあたしも正確なところは知らない。ガキの頃、興味半分に数えてまわったことがあるが、いつだって途中でわからなくなったような……。
幸いにして、これから自分が行こうとしている場所をあたしは正確に把握していた。
道順はややこしくない。
ドアを出て廊下を左に、そこから階段を下りてその裏の通路を進みつきあたりで右に折れれば良いのである。
めったに足を踏み入れたことのないそこを今日、利用するのはあたしに課せられた義務であり、そしてまあ、ある種の喜びかもしれない。
誰かのために何かをしてあげられる自分というものは、誰だって望んでいる存在じゃない? ましてや、その誰かというのが、自分にとって特別なひとならば!
歴史ものの映画なんかでよく見るような中世の城っぽい地味な造りのドアを開いたら目的地に到達だ。
陰鬱な牢獄を連想させるドア前のたたずまいは、ここで大どんでん返しとなる。
きれいに磨かれた窓々から差し込む陽光が明るく照らす快適空間は、ラバウル家の厨房である。
すでに中央の調理台上からしこみ用のボールや調味料などは移動されている。代わりに、未使用のボールやら粉ふるい、秤などがさりげなく並べてあって……それぞれ、さあ、使ってみやがれっとばかりに出番を待ちかまえているようだ。
「なるほど」
一見、挑戦のように考えられるこの有様は、実は厨房における最高責任者=料理長の最大限の譲歩である。
あたしは素直に料理長の厚意を受けることとし、おもむろに調理台に向かい立った。
たまごは六個。これは、計る必要はないのでボールに入れて使うまで放置されることになっている。
小麦粉は百二十グラム必要でベーキングパウダーとあわせて二、三回ふるいにかける。次いで秤には砂糖が乗せられ、メインたる紅茶は最後にまわされた。
なんのこたぁない、実際に計量にかかるまで、迷っていたためだ。
あたしの好みで選ぶならば、やはり紅茶はアールグレイだ。香りがいい。だけど、茶棚を開いたら発見してしまったのだな、賞味期限ぎりぎりというやつを。
「うーん、こいつぁ」
思わずうなった。
めったに淹れないジャスミン茶だ。
口に含んだときの芳香がなんともいえずいいんだが、気分で選ぶから活躍の機会はたまにしかなかったようだ。罪滅ぼし(?)と賞味期限の問題があるので、アールグレイは割愛してこいつを使うことにする。
だばぁっと秤上の紙に葉をあける。10、15、17……28、もうちょい。目標は三十グラムだっ。
「ち!」
正確には29.85くらいで缶はからっぽになってしまった。ちょっと、あせる。早急に買い出しに行かんと、飲む分のお茶がない。
「──お嬢さま」
作業を中断して店へ走るべきか、続行すべきか考えていると、遠慮がちなノックのあとに執事の声が告げた。
「お客さまでございます」
「……入れてちょうだい」
しばし考察して、はなはだ気乗りしないトーンの声で応えた。
グスタフスキーはあたしが生まれる前からこの家の執事をしている。父祖代々、執事をその天職としてきた家系に育ち、あたしの母への結婚祝いに贈られたこの家の附属品みたいな縁でうちへ就職したという、古兵執事である。
当然、訪ねてくる客を真に客たる人間かどうかを見分ける眼力にかけてはプロだ。
あたしにとって、本当に“お客さま”が来たんだったら、彼はまずそのひとを応接室に通してから「誰某さまがおみえでございます」と伝えるだろう。
応接室にも入れず、しかも執事の裁量で追い返すわけにいかない客なんて、考えられる範囲は狭い。
「しっつれーいしまぁーす!」
「失礼しまーすっ」
およそ二十センチの身長差を並べて入室したふたりの男は、シャツによれたスラックスというラフな格好でおどけたように敬礼してみせた。
あたしは腕組みしてそいつらを睥睨する。
「理由を聞こう。マイケル・ドナマ少尉、ならびにヤン・オブシジアン少尉! 君らは何用あってわざわざ休暇中に上官の自宅を訪問するのか?」
推定年齢二十代前半、第一印象での好感度五十五パーセントを誇る(?)この凸凹コンビは、あたしの部下である。そろいもそろって、地球連合附属治安維持軍宇宙部少尉で、宇宙巡洋艦〈レクエルド〉に籍を置く宇宙戦闘機乗りだったりする。
あきらかに非好意的なあたしの視線をたっぷりと浴びながら、小柄なほうが一歩前に進み出て応えた。
「それはもちろん、ラバウル艦長どのと小官らの親睦を深めるためでありまーす」
モンブランという名称を連想させる色の髪をパイロットらしく短く刈り上げた男は、ややくりくりっとしたやんちゃさを含んだまなざしを上向きにしてあたしを見つめる。中肉中背だが相棒が大男なため、元気はつらつな小学生を感じさせる男──それがこいつ、マイケル・ドナマに対するあたしの印象だ。
「しんぼく?」
オウム返しに問うあたしに両名はせいぜい邪気のない笑顔を向けようと努力する。
「そうです! 艦長どのは昨夜おっしゃったではありませんか。軍人としてではなく、真に人間性のある親交を深めたいならばプライベートな時間を使え、と」
一メートルを九十センチばかりオーバーする高みから、ヤン・オブシジアンはその名と同じ黒曜石の瞳を輝かせてあたしを見下ろしていた。ここでピーンときたね。
「で?」
どうやって親睦なり親交を深めるつもりなのかと、訊く。
こいつらの目的は意趣返しだ。
昨夜、月基地から地球へと降りる連絡便を待つあいだ、まだ勤務時間中にもかかわらずこいつらはナンパに精を出していた。職務上、あたしはそれを看過するわけにはいかない。実力行使を伴う説教をぶちかましてやった。ナンパは自由時間にやれ、という推奨までしたような気がする。
まあ、つまり、休暇を目前に心浮かれてたところにあたしが水を差した。なんだかんだと口実つけて、要はあたしの休暇、あたしの自由時間をパアにする魂胆、みえみえなのである。
主にその長身からの印象で、いかつい外装にもかかわらず、にかーっと間の抜けたオブシジアンの笑顔には一種の愛嬌がにじんでいた。くせのある鳶色の髪を刈り上げたうなじの青々としたのさえ、どこか剽軽に見えるから、人的イメージというものは侮りがたい。
「へっへっへっへ、しょおさどのォ見てくださいよ、これ」
あたかも、悪徳役人に袖の下を握らせる桔梗屋といったノリでそれまで後ろ手に隠し持っていた物をずいっと差し出された。
「……っ!」
得意げにドナマが手にする物に、仕方なくあたしは視線を向け、そして……絶句する。
「いい酒はねぇ、美人と一緒に飲まなきゃあ、うまくないんですっ!」
「少佐どのぉ、ぜひぜひ、ご一緒してくらさいよぉ。そう思ってわざわざ、訪ねてきたんですからぁ」
なんとなく呂律が怪しいのは、酔拳を気どったこいつらの韜晦ではないかとあたしはにらんでいる。
芸術的絵画をあしらったラベルをその身に帯びた後光がささんばかりのボトルを見つめながら、内心、ため息をつく。値段はたいしたことないが、それゆえにめったに手に入らない幻の名酒だ!
「……なんだってこの昼間っから……」
ややあってから、ようやくあたしはつぶやく。
したり顔でドナマ、応える。
「しょおさどのがご多忙なのはわかっていますからねぇ。外出される前につかまえなきゃ、無駄足になっちゃうじゃないれすかぁ」
「確かにね、あたしは忙しいんだよ。少なくともいまは、一分一秒だって惜しいところだ」
「って? そういえば少佐どの、こんなところでいったい、何をなさってるんですか?」
思い出したようにオブシジアンが訊けば、好機を逃さずドナマもつっこんでくる。
「そうそう。住所録を頼りに来てみれば(おい? 閲覧権限ないだろ、あんたら)、しょおさどのの家のはずのところに城は建ってるし、執事さんはいるし、部屋に案内されると思ったら牢獄みたいで実は台所だし。ひょっとしたら、少佐どのってばアレなんじゃないれすかぁ」
「「灰かぶり姫!」」
ぴったりと息を合わせて二人組は言った。
こいつら……ぐぐぅっと握りこぶしを固める。
「るさい! あたしが台所にいちゃあ悪いのかよっ」
「や、べつに悪くはありませんが」
「なんとゆーか、しょおさどののイメージじゃないンすよねぇ」
あほったれめ。イメージに合わなきゃ台所仕事しちゃなんねぇってのかよ、ぁあ?
「…………」
不機嫌を思いっきり視線に含めて、凸凹コンビを睨めつける。
「だいたい、どぉしたってゆーんですかっ。〈レクエルド〉艦長ともあろうおかたが?」
「そうですよっっ。宇宙部きっての女丈夫と噂の鬼少佐どのが料理にはりきってる姿なんて、はっきり言って、不気味ですよぉぉ!」
「ほーぉ、不気味ねぇ」
「絶対! これでもし少佐どのがフリフリ付きのエプロンなんかしてたら!」
「俺たち、泣いちゃいますぅぅ」
泣けよ、勝手に。
自分でもそーゆーのは似合わんだろうと思うから、Tシャツにジーンズなんだぞ。
「……それほど言うんだったら、してやってもいいんだけど?」
「何、をでありますか」
ウソ泣きするふりをつ、と解いてドナマが顔を上げる。
「確かそこらのロッカーにメイド用の裾にレースのビラビラしたのが、入ってたはずだ」
「「やめてくださいっっ。」」
二名は、また同時に叫んだ。
ポーズまで、ふたりそろってムンクの絵のようだった。
「天下のエテルナ・ラバウル少佐がレ、レエスの……」
「見たくない! ぜったい、ずぇーったい、見たくないそんなもん! しないでくださいよ、少佐どの」
めずらしいことに、真剣な口調でドナマが嘆願する。そして、嘆願はそのまま脅迫へともつれこむ。
「もし……そんなオソロシイ事なさるんでしたら、少佐がご乱心したって軍医どのにタレこんで隔離病棟へ入れてもらいますよっ?」
「なに考えてんだよ、てめぇら」
まったく、かわいげのない奴らだよ。
あたしはふたりに背を向け、作業へと戻ることにした。
「ともかく、酒を持参で来たとこは褒めてやるよ。それに免じて飲むのをつきあってやってもいい」
「やっほぉ♪」
「さっすが少佐どの。ハナシがわかるっ」
「た・だ・し」
ぐるんと顔だけ振り返らせてあたしは強調した。
「手が空くまで待て。さっきも言ったけど、いま、忙しいんだ」
「はぁ。そーいやそう言っておいででしたねぇ」
「でも、いったい何がそんなに忙しーんですかい? 見たとこ、呑気に料理してるだけのようですが。まさか、愛しいダンナさまに妻の手料理を、ってタマじゃあないでしょ? しょおさど」
「ばかやろー、あたしは独身だっっ」
ぐきゃああっ!
相棒よりは少しだけ状況判断能力に秀でたオブシジアン少尉がドナマ少尉の口を押さえるよりも、あたしのアッパーのが速かった!
「誰がそんな所帯じみたモンを作るか、あほたれっ。ケーキだ! 優雅な午後のお茶のためのケ・エ・キ!」
そんな高等技術を要するものを作れるのかとは、賢明にも両名は訊かなかった。
まだ顎に受けたダメージから回復しきらないドナマの心中をも含めてオブシジアンは尋ねやがった。
「ケ……ケーキって、菓子屋で売ってるアレですか?」
「そうとも! デパートやスーパーやコンビニ、ネットでだって売ってるそのケーキだよっ」
険を含んだとげとげしい声で応えると、オブシジアンも、顎をさすっているドナマも、一向に要領を得ない様子で不思議そうにあたしを見つめている。
手間暇なんぞかけなくってもすぐ手に入るものをなんでわざわざ……言いたいことはわかっている。
「……今日が何の日か、知ってるか?」
口調を抑え、穏やかに訊くと頭にひらめくものがあったらしい。
「あっ」
「少佐どのの誕生日……はまだ先、ですよね?」
「ばっか」
的外れに苦笑しつつ、答えを教えてやる。
「今日は、土曜日だ」
「はへぇっ?」
「だやうびわだんわしたんれしか?」
殴られたはずみにドナマは舌をかんだらしい。いよいよ呂律が不調回転だが、意味を察して続ける。
「知らないのか? 土曜日ってのは学生にとって休日の始まりだ」
「そ、それなら週休二日のOLさんだってサラリーマンだって、いっしょでしょうっっ」
「あたしには妹がひとりいてね。ルツェルンの全寮制の女子校へ行ってるんだ」
「読めた!」
「あいやぁ、みなまで申されますなぁしょおさどのぉ」
やっと顎が回復したらしく、リハビリがてらドナマが舌をふるう。
「つまり、おルツェルンの女子校に行ってる妹さんが帰ってくるから、しょおさどのはケーキを作る、と?」
「まんざら、そのドタマん中には自前の論理演算装置が入ってないわけではないようね」
一瞬、ドナマの野郎は鼻白む。
ほーっほっほ、頭の働きが鈍くないって証明ができて、よかったではないの。
「ついでに小官の論理演算装置によりますと、少佐どのの妹さんは、とてつもなく胃の丈夫な娘さんということになりますが?」
ふーん、なるほど。どうやらマイケル・ドナマという男はマジになると呂律が回るようになるらしい。
元はというとあたしから仕掛けた舌戦だが、大男のオブシジアンがおちつかなさげに見てるので、ひとまずここでおくことにしよう。
「胃が丈夫、かどうかは知らないけどあんたなんか、ぜえぇったい、ばかヅラさげて見とれるくらい、超っっ! かぁいいわよ!」
「うっわー、姉ばか」
「なんとでもお言い」
小さく拍手のまねごとなんぞしたオブシジアンに冷たく言い放ち、再び調理台に向かう。
「ともかく、あたしは妹が帰る前にこれをやってしまいたいのよ。夜にでもまた出直してくれない?」
「なんでですか?」
妙に真摯な口調でドナマが言った。
「なんでって、あんたらの相手しながらケーキ焼くほどあたしは器用じゃないからだよ。姉と妹のコミュニケーションを、邪魔する気?」
瞬間、ふたりが目線を交わし合ったのをあたしは見逃さない。
「ひっ」
火?
「ひどいじゃあ、ありませんかっしょおさどの!」
「そりゃあ目覚ましい武勲こそたててはいませんが、小官らはあなたのかわいい部下ではないですか。なぜっ、なぜ一言、手伝えと言ってくださらないのですかぁぁっ」
ケーキを台無しにしたくないからにきまってるだろう!
しかし、こいつらと同じ軍艦に乗るようになってからの短期間ながらも充分な……充分すぎる経験からあたしは知っている。この気まぐれであまのじゃくな凸凹コンビがやめろと言ってきくわけがないことを。
あたしの沈黙を否定的判断の現れととったらしく、すかさず取り入るオブシジアン!
「俺らの腕のほどならばご心配なく! 自炊にゃあ慣れてますんで」
少なくとも少佐どのよりはまともに料理できますよ、という言外の含みがぐっさりきたね。こンのくそガキゃ、わかっててあたしを挑発してやがるねっっ。
「ほーぉ」
低くつぶやきながら、調理台の上のあるものを力いっぱい握りしめた。みなぎる気迫にはっと背後で息をのむ気配が感じ取れる。
「ヤン・オブシジアン少尉!」
正式の回れ右をきりながら呼ばわる。
「はっ!」
「マイケル・ドナマ少尉!」
「はァっ!」
条件反射でふたりは踵を鳴らせて直立不動の姿勢をとる。
「命ずる! これと同じものを買ってこいっっ」
TVドラマの決め技の印籠さながらに(リバイバルものを観たのだ)先刻からっぽにした紅茶の缶をつきつけると同時に返事がくる。
「「かしこまりましたァ!」」
念を押す。
「いいな、フォールナム&マイソンのジャスミンだぞ? でないと、意味がない」
「「っかりましたぁ」」
戦闘機の発進前の儀式のように、あわただしく親指を立ててから敬礼してふたりの少尉が走りだす。それを見送ってから思わずあたしはにんまり笑った。
うまくいった。
どのみち、お茶は買いにいかなきゃならなかったんだし、当座の厄介払いもできた。一石二鳥だ。
かなり上機嫌なうちにたまごを白身と黄身に分ける作業をやりとげた。ここでのポイントは使う黄身は五個分なので、残りの一個は何かに使う分として皿かどっかによけておくってことになる。
それから、箸を使ってたまごのしっぽ(カラザというらしい)をとる作業に入る。黄身の表面からアプローチすると、すんなり箸が寄せられる。が、逃げられる。
寄せる。逃げられる。寄せる。逃げられる……集中力を要するこの作業中に、凸凹組が戻ってきやがった。
「おまちどおさまです」
「ただいま帰りました!」
指定した紅茶はうちの近辺では二キロほど離れた専門店でしか手に入らないはずなのに。しかも、わざと店の名前を教えなかったのに、しっかり探し当てやがるんだもんなぁ。少なくとも一時間、かかると思ったのに!
検索が得意なのか、こいつらの野生の勘がどっか普通じゃないのか。パイロットという職業柄、日々鍛えられた体は汗ひとつ噴いちゃいない。
「おうっ、ごくろーさん」
舌打ちしたいのをこらえ、あたしは次なる命を下す。
すなわち、差し出された紙袋と引き換えるタイミングでたったいままで格闘していたたまごのボールをふたりに渡したのだ。
「いいか、この白いしっぽだけとって捨てて、それが済んだら砂糖を入れて混ぜろ。全体的に白っぽくなってこの泡立て器を持ち上げたときにベラララーっとリボンみたいに落ちるようになるまで、混ぜるんだ」
やや早口の説明を神妙な顔で聞き入り、うなずいてドナマは作業にかかった。オブシジアンのほうへの指令はもっと簡単だ。
「砂糖を徐々に加えながら、泡立てろ。ピンと角が立つまで、だ」
手が増えると作業がはかどる分、手順がくるう。時間がおす!
ふたりがまちがいなく指示に従っているのを確認しながら、あたしはオーブンを予熱モードにセットし、それから買ってこさせたばかりのジャスミン茶の缶を開け、秤の上へと残るコンマ少々を加える。
「あのー、しょおさどの?」
ざりざりと卵黄に砂糖を混ぜ込みながら、ドナマにしてはめずらしく遠慮がちに訊いてくる。
「さっきから不思議に思っていたのですが、その大量な紅茶の葉は何なんす? ヤカンいっぱいにでも、茶を沸かすんですかぁ」
「これは飲まないよ。ケーキに入れる」
「「ケエキにっ?」」
とたんにオブシジアンまでが目を剥いた。
そろってまるであたしがゴルゴンであるかのように硬直してやがる。
「こら! たまご泡立ててるときは手を止めないっ!」
「ひょえぇーっ」
「はいはいはいー」
ムチよ、言葉のムチ。
てきぱき、きりきり、しゃきしゃき働けぇい!
しかし依然として両名は紅茶の使用形式が気にかかるらしく、手は動かしながらもあたしのほうをちらちらとうかがうので、説明する。
「べつに、細かく切り刻んで入れるわけじゃあない。そうするレシピもあるし、ハーブを使う場合は刻むけどね」
「ほへ?」
とぼけた間の手を入れるのはたいていオブシジアンだ。
ちょうど壁にかかっているミルクパンを手にとっていたときに目が合った。それで殴られると思ったのか一瞬、奴がひるむ。ハナで笑ってあたしはミルクパンを調理台に置き、代わって耐熱ガラス製の計量カップを手にする。
「あ。ビーカーだ」
「ドナマぁ」
そりゃ、一見してそう見えんこともないが。
「ま、似たようなもんか。だけど頼むからうちのコックの前でそれは言わんでくれよね。でないと次は絶対、ビーカーを置かれてしまう」
手早くビーカー、いやもとい、計量カップで二百ccの水を汲み、ミルクパンに移して火にかける。
「え……?」
やっぱり休みなくたまごを泡立てながら、ふたりはあたしの作業を見守っていたらしい。レンジの前からくるりと身を翻して紅茶を山のように載せた紙を秤からそっと持ち上げるのを見るなり、真剣そのものといった声であたしをとどめようとする。
「少佐どの、ちょっと待ってください! たったそれだけの湯にそれは、多すぎますっっ」
「ンな濃いの飲んだら、カラダに悪いですよっっ」
「飲むわけじゃないからいいんだよ」
ぷくぷくとほどよく沸騰したところへザバッと茶葉をたたっこむ! 即座にレンジのスイッチを切る。
ミルクパンをレンジからおろし手首をひとひねりしてお茶にまんべんなく湯をまぶす。
う〜ん、ジャスミンのいい香りだ!
「うっわー、それ、飲めませんよォ。すっげーニオイ!」
計量カップに茶こしを使って注いだジャスミン紅茶は、まさに“原液”と呼ぶにふさわしい色と香りだ。きっちり百ccだけとって、あとは捨てる。
「だから、これは飲むためじゃないって!」
粗熱をとるためにカップを手で持って回しながらあたしは言った。
「それよりそっちはどうなった? 大の男がたまご泡立てるのにたらたら時間かけてんじゃねぇぞ?」
「こんなもんすか?」
ドナマが手を止めて泡立て器を持ち上げるとクリームイエローのリボンがてろてろとボールの中に流れ落ちた。
「そんなもんだろうね。じゃ、ちょっとそれここに置いて」
ボールを調理台に降ろさせて、そこへ、冷ました紅茶を一気にあける。
「で?」
「ぐずぐずせずに混ぜる!」
ちゃんと手で温度を把握してたんだから、たまごはつぶつぶにならないはずだ。
オブシジアンへ視線を移すと奴も泡立て器を持ち上げた。すっくりと純白のなめらかなクリーム状のものが、とんがり山を形作って先端をしならせる。
「よし!」
うなずいて、それも調理台に置かせた。それから、いまほどの計量カップに八十ccのサラダオイルを用意する。
「混ぜてなよ?」
クリームイエローに茶色が入った液体を混ぜ続けるドナマに声をかけ、奴のボールにサラダオイルをまず半分、入れる。全体になじんだところでさらに残りの半分。
「どうだ?」
キッチンペーパーで計量カップに残った油を拭いながらドナマのボールを覗いてみると、しゃぱしゃぱした溶液はほぼ完成しつつあった。
「あの、これでホントにいいんすか? こんなじょべっとしたもん、プランクトンの餌にしかならないんじゃ」
そこまで言ってしまってから、ドナマははっとしたように口をつぐむ。再びアッパーブロウをくらうと思ったらしく、賢明にも歯を食いしばったのだ。しかし、あたしは怒るよりも先にあぜんとしてしまった。
なんか、いま、変なことを聞いたぞ。
プランクトンの餌ァ?
「あんたら……自炊してるって豪語したくせに、お菓子作ったこと、ないの?」
「あるわけないじゃありませんかっ!」
「食うためだけですよ、艦長! 俺らだって好きで包丁握ってるんじゃありませんぜ」
「ああ、つまりなんだ、ごはん作ってくれる彼女、いないんだな」
しぃぃ〜ん。
その一言で、厨房内に沈黙が訪れた。図星だったのだ。
あたしはべつに、甲斐性なしとも気の毒とも言わなかったのだが……。
「その、だな」
柄にもなく、あたしは凸凹コンビに同情してしまった。シフォンケーキ型の内側にキッチンペーパーにつけたサラダオイルを塗りながら、何気ない調子で切り出す。
「良ければうちで晩メシ食ってくか? あたしだって、わざわざ休暇中に遊びに来た部下にメシくらい、出してやらんほど鬼じゃないし?」
「ああ……それは、いいですねぇ」
「鬼どころか、しょおさどのが女神さまに見えてきましたよ!」
ちっ、ゲンキンな奴らだ。しかし、まあよかろう。たまには、ね。
「そうか、それは良かったな。したら、ドナマ、オブシジアンと交替だ」
卵黄+砂糖+紅茶液+サラダオイルの入ったボールが百九十六センチの大男の手に渡る。そこへ粉ふるいをかざす。
「ドナマ、そこの粉を少しここへくれ」
すでに三度ふるってあるが、駄目押しにふるいを通して入れるのだ。慎重な手つきでマイケル・ドナマは大さじで五杯、ベーキングパウダー入りの小麦粉をあたしの持つ粉ふるいに入れた。
ぽんぽんぽん。粉ふるいを軽くはたくと白い粉が雪のように舞い降りた。
「オブシジアン」
おとなしく命を待つ部下にあたしは言った。
「そーっと混ぜろ。粉が飛ぶから、気をつけるんだぞ」
ボールの中身と粉末がなじむのを見届けながら、粉をふるいにかける。言葉はいらなかった。オブシジアンが手を止めるとドナマが粉を運びあたしがふるう、そしてオブシジアンがかきまぜる。
「少佐どの!」
いまにも敬礼しそうな勢いで、すべての粉を混ぜ終えたボールをオブシジアンが捧げ持つ。
「よし」
うなずいてあたしは調理台からゴムべらを取り上げた。ボールの中を視認し、再び調理台に置かせる。すっと手のひらを上にして左手を上げると、意を悟ってドナマが卵白のボールをのっけた。
「泡立て器は、いらない」
きびきびとボールから銀色の脚が引き上げられる。ほぼなだらかな純白の海原を三等分する線をゴムべらを使って引く。そして、区切ったばかりの三分の一の卵白をオブシジアンのボールにぶっこむ。
「しっかり、混ぜてくれ」
この三分の一の卵白は、泡立て器を使ってきっちり生地と混ぜ合わせる。
「できました」
いよいよヤマ場にさしかかったのがわかったのだろう。オブシジアン、ドナマともに何やら緊張した面持ちになっている。あたしは無言でオブシジアンの手から泡立て器を受け取った。ぐるりと一度だけ生地を回し、すぐに引き上げてゴムべらと持ち替える。
「──!」
一気に、残りの卵白を加える。すかさず、卵白のボールは捨ておき、生地のボールを左手で回す。右手はゴムべらを使って絶え間なくボールの底からすくい上げるようにして撹拌する。けっして練り合わせてはいけない! 切りつけるようにざっくりと混ぜるのた。
「型っ!」
さっきあたしが油を塗ってたのを見覚えていたらしく、尋ねることなくシフォン型をドナマが相棒に手渡し、オブシジアンがあたしの前にことんと置く。邪魔になりそうなものを手際良くどけるあたり、なかなかのアシスタントに育ったなと、ちらっと思った。
気合一番! 二十二センチのシフォンケーキ型に生地を流し込む。メレンゲの破損を防ぐために、生地の自重にまかせて型に注ぎ、ゴムべらは最後にだけ使う。
「よっ」
そして、型の真ん中のでっぱりを指で押さえながら調理台にどしんとたたきつけた。
あわてたのはアシスタントたちである。
「なっ、どうしたんですか? 何か気にくわないことでも? 少佐どの」
おろおろとオブシジアンが訊く。
あたしが放棄したボールを指でなぞってちょこっとなめたドナマがにやっと笑って言った。
「ははーん、思いどおりの出来じゃないんでしょお。これ、甘いこたぁ甘いけど、美味くない」
「ド、ドナマ……」
さすがに相棒も顔色を無くす。
「そんなもん、なめんじゃねえっ!」
思わず叫んだね。まずいのは当然だ。
「べつに気にくわないとか、怒ってるわけじゃないわよ。こうやって中の空気を抜くんだ」
さらに何度かたたきつけながら説明する。あとはこいつをオーブンで焼くだけだ。
オーブンはしっかり暖まっている。型を中段に入れ温度は百七十度に、タイマーは五十分にセットする。
あたしの一連の動作を見届けると、ドナマとオブシジアンはほっと息をついた。
「あとは焼き上がりを待つだけ、ですよね」
「一服しましょお」
「そーしましょお」
すでに自分たちの役割は終わったと判断したらしく、ふたりはタバコをくわえる。しゅっとライダーを灯し顔に近づけたところであたしはそれを奪い取った。
当然、ライダーの炎はそれぞれの鼻を焼きそうになる。
「ぅわちちっ」
「ぁぶないじゃないですか、しょおさどのぉ」
とたんに抗議の声が上がる。だが、あたしにだって言いたいことがあった。
「ばかもの! きさまらあれが見えんのか?」
調理用の暖炉に恭しく掲げられている額をあたしは指し示した。そこには、一目瞭然──
これが何を意味するか、わからん奴はいないわなぁ。
「うちの料理長のハナは厳しいよ。ここで部下に喫煙を許したと知れたらどうなると思う?」
「さあ?」
と、オブシジアン。鼻の下を指でこすりながらドナマが口先をとがらせる。
「文句を言われるだけでしょ? まさか大人の、二十二歳の歴とした軍人に、体罰くらわせるコックなんていないでしょおが」
「くらわせようにも少佐どのが相手じゃ、返り討ちに遭うっておうちの人ならわかってるんじゃないですか?」
「あーのーなー」
「ましてや少佐どのはここのご令嬢じゃないですか。自分とこのお嬢さまに逆らうコックなんて、聞いたことありませんぜ」
「まあ、仮に逆らわれたとして、しょおさどのの敵になるほどの大物なんて、めったにいないじゃないすか」
「たしかに」
一応、あたしはうなずいた。
「そういう意味じゃ周はあたしの敵じゃあない。だけど、治外法権という言葉を、知っているか?」
「ちがいほーけん」
「それって、郷に入っては郷に従えって意味ですか、少佐どの?」
「そうとも言うかもしれんな」
おおよそとぼけた野郎どもだが、まんざら頭の回転が鈍いというわけではない。反応が悪くてはとても宇宙で戦闘機乗りなんてやってられないって。
ふたりは料理長がラバウル家厨房における絶対権力者であることを理解したらしい。
「つまり、俺らのとばっちりでしょおさどのが?」
「出入り禁止になるだろーねぇ」
わざと他人事のように言ってのけた。
もっと過激なペナルティを期待していたらしいオブシジアンがのほほんとつぶやく。
「それなら、べつに生活に困るわけじゃないからいいでしょ。少佐どのがごはん作るんじゃないでしょ?」
「ぼけたれっ」
腹の底から絞り出すようにあたしは低くうなった。声を張り上げるよりもこのほうがドスが効く。
「出禁になったら、ケーキが焼けないじゃない! あたしに妹との約束を破れって?」
あたしはいままでに、いくつか、約束をした。
いずれおとらぬ大切なものばかりだ。
「ほんとに姉ばか」
ぽそりとオブシジアンが言ったのが聞こえた。
「そうよ!」
きっぱり認めた。
「悪い?」
顎を上げて訊く。
「「……いいえ」」
ややあってふたりが応えた。
「少佐どのは、そういうひとだから、俺たちも部下やってられます」
「ンだよ、その“そういうひと”ってのは?」
「やーですよぉ、しょおさどの♪」
「言わぬが花ってね」
「ふーん」
それ以上を、あたしは追及してやらなかった。
「実質、肺機能の低下につながる。タバコはやめとけ」
パイロットなんだから──これもまた、言わぬが花だ。
足早に戸口へと向かいドアを開けて高らかに呼ばわる。
「グスタフスキー!」
半分たらずで、執事はその痩身を現した。さすがというか、息を切らしてもいない。
「なんでございましょう、お嬢さま」
静かに尋ねたところへ、こちらも静かに申しつける。
「このふたりに庭でも案内してやってちょうだい。いまのところ、手を借りることはないから。多少なりとも暇つぶしにはなるだろ?」
「かしこまりました」
内心、この名執事が安堵していることをあたしは見て取った。
彼の主家の総領娘は“客”とは見なさない訪問者など平気で蹴り帰す人間だ。怪しげではあるが部下だと名告った二人組を通した彼の判断は、正しかったのだ。
「まだお茶にするまで時間あるから、散歩でもしてこい。なんなら、庭の草むしりとか、木の剪定とか、体力自慢にうってつけの仕事をしてもらってもいいが」
腕組みしながら切り出すと、散歩でいいと応えがきた。執事もひかえめに、
「それは、お客さまにお願いすることではございません」
と、断りを入れる。
「んじゃあグスタフスキー、頼むわ。ふたりとも我が家の庭を堪能してくるがいい」
「ではお言葉に甘えて」
「行ってきまーす」
三人の後ろ姿を見送ってあたしは厨房に戻った。
ボールや泡立て器を洗い場に浸けていると、開け放してあった窓外に庭をそぞろ歩く人影が見えた。いつのまにか行列の順序は入れ替わり、案内人のはずの執事が凸凹コンビを追っている。
「ぷ……!」
自分自身のした連想に、つい、吹き出した。
犬のお散歩である。
紀州犬と柴犬というか、セントバーナードとポメラニアンというか……ともすれば力が抜けていきそうになるくらい平和な情景ではあるが、いまはしばしこの平安を憩おう。
甘く、香ばしいにおいが厨房に広がりはじめる。
今日は休暇の第一日目。お茶会のある午後なんて、久しぶりではないか。
手早く洗い物を片づけながら、知らずあたしは微笑んでいた。
『正しい休暇の過ごし方』
ただしいきゅうかのすごしかた
── 了 ──
この物語が公開されるのは3月14日、いわゆるホワイトデーです。
なので、女の子のためにお菓子を用意するお話、として準備しました。
[作中の★について]
実はドナマ&オブシジアンは24歳、エテルナは22歳だったりします。年下の上官です(*^^*)
[フォールナム&マイソン]
実名を出したらまずいかと思ってこれ。書き間違えてるわけではありませんのです。
[ととっぱし]
富山弁です。拗ねたり怒ったりして唇をとがらせていると親に「ととっぱしとんがらせられんな!」とたしなめられました。「唇をとがらせるんじゃない」という意味です。
[塩]
入れ忘れてますが、入れないレシピもあるので大丈夫です。
お読みいただき、ありがとうございました。