第五章 対峙
すべてを話し終えた私は、今後の方針を決める軍議には参加することはできず、ユエン隊長の陣幕に移動することになった。
しばらくは保護という形になるけど、どうなるかは分からない。
そう言われたら頷くことしかできなかった。私に対する信頼度は頑張っても底辺だからね、仕方ないね。
でも、私の監視兼お世話係にはユエン隊長がつけられることになった。やったね、拝み放題だよ!
「…………」
そのユエン隊長は椅子に座りながら延々と干し肉を食べている。跡がつくんじゃないかってぐらい眉間に深いシワを寄せて。
「リーイー姐さんがいらっしゃったら女性の獣人に私のこと任せられたと思うんですけど、今は仕方ないですよね」
ギロリとした目が向けられる。それはリーイー姐さんの名前を出したからか、それとも知らないはずの軍事情を出したからか。
「人間国にいた私には戦場がどの程度広がっているかは分かりません。でも、獣人国滅亡までの未来は見通しているんです」
そう言うと、ユエン隊長は目線を逸してまた一つ干し肉を食いちぎる。
獣人国にはいくつか軍がある。そのうちの一つがフー将軍が率いるこの軍で、ユエン隊長が所属している。
リーイー姐さんはメインストーリー第三章で死んでしまったチャオ将軍の旗下だった。将軍が死んだことでリーイー姐さんが半壊状態の軍を纏めている。
正直獣人国は今の時点で不利な状況にある。それなのにこの後に起こるイベントで大打撃を受けて、そして……
「どういう作戦になったか知りませんが、私の見通しは完璧です! きっとユエン隊長も私のこと信じられますって!」
「…………」
「それにしてもユエン隊長のところで預かってもらえるなんて嬉しいです! 感激です!」
「…………」
「さすがにフー将軍旗下と言えど、人間の私を無事に預けられるところは限られてますもんね。ユエン隊長は【隊長】なんですから、私のことしっかり守ってくれますよね!」
「…………」
「ユエン隊長とひとつ屋根の下……心が踊りまムグッ!?」
最後まで言い終わる前に、ユエン隊長の腕が伸び、私の口に大量の干し肉が突っ込まれた。
……しょっぱいぃ……うぇ、ううっ、吐き出そうにもユエン隊長の手が口を塞ぐように当てられてて……
「いいか、よく聞け」
そこで初めてユエン隊長が言葉を口にした。この陣幕にやってきてから初ボイス!
「俺はてめぇのこと欠片も信じちゃいねぇ。フーの旗下じゃなけりゃ、なます切りにしてるところだ」
頬骨が軋むぐらい、顔を鷲掴む指に力が込められる。武器じゃない爪とは言え、ユエン隊長の爪は鋭く固く肌に食い込んでくる。
「こっちは人間にやられっぱなしなんだ。もし何もなけりゃ、いたぶって殺してやる……」
私は理解しているつもりだ。ユエン隊長のこと、獣人国のこと……
だからその憎悪も今は受け止める。受け止めざるを得ない。だって私は人間だから。
「はぁ……くそが」
私の顔を掴む手がゆっくりと離れていく。
項垂れながら深いため息をつくユエン隊長は、椅子に座り直して再び干し肉を食べ始めた。
こんな塩分たっぷりの干し肉を食べ続けられるなんて、相当ストレスが溜まってるのかな……
「ユエン隊長、あんまり食べると体壊しますよ? 高血圧とか腎臓病とか」
「…………」
「せめて一つの干し肉をもっと長く噛みましょうよ! そんなにバクバク食べたら……」
「……誰のせいで!」
「ひんっ!?」
びりっと、きたぁ……
突然振り下ろされた麻痺爪をまともに食らった私は、びりびりと痺れる体を横倒しにしたのだった。
その後ユエン隊長との好感度を上げるために会話を試みるも無言を貫き通され、あまりに喋りすぎると麻痺爪を食らわされる毎日を過ごしていき……
そして、四日後の朝。
「ゆかりの言った通りだったよ」
その日、ユエン隊長の陣幕にフー将軍がやってきた。
あまりいい報告ではないようで、肩を落としている。
「陽光大橋には火薬が仕掛けられていた。段取り通り回収して、伏されていた敵兵は排除。変装が得意な兵を代わりに配置しておいたから、伏兵が死んだことは人間側に気づかれないと思うよ」
メインストーリー最終章第二幕……それは、獣人国と人間国が停戦協議のために陽光大橋で落ち合うところから始まる。
両軍の半分程度の兵が橋に乗ったところで、激しい爆音と共に橋が崩れ落ちた。
フー将軍はその巻き添えで死んでしまい、残るユエン隊長はリーイー姐さんと合流せずに総攻撃をかけたせいで獣人国は大敗北、滅亡の道を辿ることになる。
……これで滅亡の要因の一つはなくなったはずだ。
「けっ、見通しは正しかったってか? まだ事が終わったわけじゃねぇだろ」
「そうだね。まだゆかりを完全に信用するには早い」
ここで私を信用して、もし別の罠が仕掛けられていたら……と思うのは正しい。
この陽光大橋を生き抜くまでが大事なことなんだから。
これは未来を変える行為。その結果が何をもたらすかは分からないけど、でも未来を知っている私がここにいるなら、あんな悲しいことを起こさせるわけにはいかない。
「分かってます。この停戦協議が乗り切れた暁には! 私を信じてくださいね」
*
舞台となる陽光大橋は獣人国の領土の中でもわりと中間の位置にある、渓谷にかけられた橋だ。
自然豊かな獣人国は山あり谷ありな地形が多く、この橋も河川によって分断された道を繋いでいる。
長さは五十メートル、人が十人通れるぐらいの横幅があり、百人乗っても崩れる心配がないほど頑丈にできている。
こんなに詳しく知っているのも、ストーリーで解説されたからだ。
じゃあ高さはどれぐらいか。見た感じ……十階建ての弊社ビルぐらいはある。
「こんなところで合流するとか正気の沙汰じゃない……」
私は目元まですっぽりと隠せるフード付きの黒いローブで全身を隠し、ユエン隊長の隣にいた。
陽光大橋の入口には、フー将軍率いる軍の半数がいる。その向こう側には……人間たちの姿がある。
今日この日、この場所でフー将軍と人間国の……狂皇子と称される、ナカノクニ ヨシツグが停戦協議をすることになっている。
場所を選んだのは人間側だ。なにせ停戦要求を出したのが獣人側だったから、指定されたところに行くしかない。
ただこの停戦に関しては裏があって、人間国と通じている悪い獣人がフー将軍たちを罠に掛けるために用意したんだよね。
ストーリー上では、すぐにバレて処断されるけど、ここの展開が変わったらどうなるんだろう?
「でも今は全部が全部上手くいくことが大事。お願いします神様仏様……」
「…………」
相変わらず隣にいるユエン隊長は無言を貫き通している。ここまで喋ってくれないのはちょっと寂しい。
今日を迎えるまでの約一週間、一つの陣幕にいたっていうのに、何も起きなかった。何も起きないはずがないのにぃ……
「靴を借りたのはいいけど、これ怖いなぁ」
フー将軍が橋に入る。それが合図のように、私たちも少しずつ橋へと侵入していった。借りた鉄の靴が橋を軋ませる。
ここに転移したとき、靴を履いていなかった私は移動用の靴を貸してもらえたんだけど、これがもう全然肌に合わない。鉄って! 普段パンプスしか履いてない私には重たすぎるよ。
パンプスの靴ずれ用に貼っておいた絆創膏、貼りっぱなしは不衛生かと思って取っちゃったんだけど、これなら足裏保護用として残していても良かったぐらいだ。
「なんでこんな罠だって分かる場所でグムゥッ!?」
黙れ、と言いたいのか、ユエン隊長の手が私の口を覆う。
そして取り払われたときには……口にはたっぷりの干し肉が詰め込まれていた……しょっぱい……
吐き出すわけにもいかず、ひたすら肉を噛み続けていると、視界の先にいる人間国の中から一人突出して歩く男性が見えた。
赤と黒基調の和風な甲冑。遠目のせいか口元の面具のせいか、表情は伺えない。
彼が……ヨシツグ。
ヨシツグは橋の中央付近に来たところで片手を挙げ、兵を静止させた。
それはこちらも同じで、フー将軍が手を挙げるとみんな一斉に足を止める。
そこからは……フー将軍とヨシツグだけが前に進んでいく。
ここからじゃ会話は聞き取れない。私が知っているストーリーと変わったか、それだけでも知りたいんだけど。
「……遠吠え」
二人が握手をしようと手を伸ばした、その瞬間だった。……遠くから、獣の咆哮が聞こえてくる。
フー将軍は差し出した手を引っ込めて背後を振り返った。
遠くから徐々に徐々に、私の耳にもはっきりとワオーンワオーンという声が届く。
これは……偽伝令だ。より臨場感を出すために、わざわざ離れたところから伝令を出している。
獣人は人間に理解できない言語……咆哮を情報伝達に使っている。私にはワオーンとしか聞こえないこの声の中に、様々な内容が含まれているんだから不思議だ。
「終わったみてぇだな」
ユエン隊長がぼそりと呟く。ふと前を見ると、ヨシツグが翻って歩き出したところだった。人間国の兵も反転している。
フー将軍もこちらを向き、そしてにっこりと微笑む。
「さあ、一旦戻ろう。『至急月白の村まで戻れ』との伝令だ」
あのワオーンでそういう意味になるんだ……本当に不思議すぎる……
ぞろぞろと橋から離れようとする中でも、獣人たちは一切緊張感を解いていない。
いつ相手から攻撃を受けても対処できるように……まだ何か起きてもおかしくない状況だから。
「フー将軍」
橋をおりきったところで、背後から呼び掛けられる。
策を見破られたというのに、まったく動揺していない声色。
離れているのに、その冷徹な眼差しはしっかりと確認できた。
「次はない」
それは宣戦布告とも取れる言葉。だけどフー将軍は朗らかな声を返した。
「それはこちらも同じだよ。次はきっと戦場だ……僕らは未だ劣勢だが、負けはしない」
「ならば戦って、そして死ぬがよい」
凍えるような冷たい声。あれが、ヨシツグ……ゲームを通して見るのとはぜんぜん違う、悲しいくらいに怖い男。
人間たちが去っていく背中を見送り……やっと張り詰めていた空気に穏やかさが戻ってきた。
「最後まで気の抜けない男だったね」
人間たちが去ったあと、フー将軍はホッと一息をつくように声を出した。
メインストーリーでは人間国の伏兵が放った火矢で火薬が爆発。橋が崩落している。
獣人と人間、双方に被害をもたらし、ヨシツグだって谷底へ……まあ色々あってヨシツグは死ななかったんだけど。
でもそれらは回避された! フー将軍も生き残った!
「ゆかり、君のおかげでどうやら我々の死は回避されたようだね」
「私のこと、信用してもらえましたか!?」
「僕はね」
と言ってフー将軍はユエン隊長へ尋ねるような視線を送る。
ユエン隊長は……そっぽを向いて首を横に振った。
「まだ分かんねぇだろ」
ユエン隊長の態度は軟化しなかったけど、気にしてはいけない。
だってここを切り抜けたってことは、私が読んだストーリー通りにならないはずだから。
私は信じてる。この先に待つ未来が、あんな滅亡エンドじゃないことを……!
*
「ふふっ……これでみんな大丈夫……ふっ、ふふっ」
幸せすぎて気持ち悪い独り言だって漏れちゃう。
この先に待っている未来を知ることはできないけど、悪い方向には行かないはずだ。
これで、きっと……
「……ふふっ……ふっ? んんっ??」
私の腕の中にある、心地良い感触に気づいて目を開いた。
これは……この尻尾は!
「ユエン隊長……の、抱き、枕?」
私が自作したそれが目の前にあった。