第三章 転移
冷静になろう私!
まず……そう、とりあえず私の確認!
視界に入る生足を見る限り、着ていた長めのトレーナーはそのままみたい。短パンを履いている感触はある。ということは異世界転生じゃなくて、転移っていうやつね。
ユエン隊長は私のこと『人間』って言ってたから、プレイヤーの立ち位置である一般兵……仲間じゃないことは確定している。残念すぎる……好感度はマイナスからスタートぉ……
「上手く切り抜けようってか? ハッ! んなこと許すかよ」
「痛っ!」
伏せていた顔を無理やり上げさせるように、ユエン隊長が私の髪を掴んで強引に持ち上げた。
つられて上体が起きたけど、あまりにも乱暴なやり方は引っ張られる頭皮どころか首や背中も痛めつける。
推しに虐められる……悪くないけど私にマゾっ気はない。痛いものは痛い。
「はな、して……」
「ユエン、やめないか」
「……けっ」
予告もなく手を離され、重力に沿って頭が項垂れるように落ちた。
顔が伏せられたことで急ピッチに状況の整理をしていく。
夢以外の答えは出ないけど、痛覚ってあるものなの? さっきの麻痺爪だって完璧に入っちゃってたし、夢にしてはリアルすぎるし。
それに夢だと思いたくない私がいるのも確かで。だってメインストーリー最終章で、ユエン隊長は生死不明、他のみんなは死んでしまい……
推しがいるここが現実でいいじゃない! 夢みたいな現実! うん、全然悪くないね!
「すまないね。乱暴なことをして」
ゆっくりと顔を上げて声の主を見る。
眉と髭をしょんぼり垂れさせるフー将軍に、私は首を横に振った。
ユエン隊長が私……いや、人間に対して悪感情を抱いているのは理解しているつもりだ。
メインストーリー開始時から獣人国と人間国は戦争しているんだから、私は獣人にとって敵でしかない。
「フーは甘いんだよ! 誰にも気づかれずに入ってきたんだぞ!?」
「分かっているよ。でもそんな大声を出してはいけない、彼女が怖がってしまうよ」
うーん、優しい! とっても優しい!
これもフー将軍が人間と共同生活を送っていた【共存街】の出身だからかな。普通ユエン隊長の扱いが正しいもんね。
【共存街】はこの戦争が始まる前にできた特殊な町。横暴な妖精から逃げてきた人間と交流したことでできた、人間を信じる獣人たちの町。
獣人の大半が人間のこと信じちゃいないし見つけたら殺すな勢いだけど、この町の出身者やこの町と交流がある獣人は人間のことを信じてくれている。
今のこの状況だと、フー将軍がいなかったら私はどうなっていたことやら……
「まずは名乗ってもいいかな。僕は獣人国の将軍……」
「フー将軍ですよね。知っていますよ」
「……僕のこと、どこまで知っているのかな?」
フー将軍は私の前に歩み寄り、ふわふわの手で頬を撫でてくれる。優しげな微笑みと獣毛の心地良さに顔が緩みそうだったけど、なんとか引き締めた。
だって今の問いかけは、私がスパイだという前提の発言だから。戦争中、敵である人間が紛れ込んでいたらそう思われても不思議じゃないけど。
私がみんなのことを知っていても、みんなは私と初対面、か……もっと都合のいい転移にならなかったのかなぁ……悲しくなってきたなぁ……
「俺のことも知ってたんだ。人間国の斥候だろ」
「っ」
首の骨に、固いものがツンツンと突き立てられる。
ユエン隊長の爪だっていうことはすぐに理解できた。その気になれば私の首なんて落とせますよアピールだろう。爪先が食い込んでこないだけマシだ。
ユエン隊長は人間とは分かりあえないと思っているけど、それにしたってここまで荒れているなんて何かあったのかな?
戦いには……負けてるよね。知ってる知ってる。メインストーリーで人間国と戦ってるシーン、全部敗走してるもんね。そりゃ荒れるか……
「私は……」
どうしてここにいるのか、その理由は分からない。
だけど……未来を知っている以上、私は行動を起こすべきだ。みんなが死に、獣人国が滅ぶのを見過ごすことなんてできない。
取るべき選択は、一つ!
「私は峯井ゆかり。獣人国を救うためにやってきた人間です!」
きょとんとした視線が注がれる。でも私は言葉を続ける!
「【見通す力】で見たんです、この国の滅亡を!」
高らかに『滅亡』なんて言葉を使ったせいか、みんなの視線の凄みが増したけど気にしてはいけない。
「……確かにここ最近になって妖精が使う【見通す力】を持つ人間が現れていることは知っているよ。でも、その力は弱いはずだ」
「フー将軍が言う通り、私の【見通す力】は妖精ほど万能じゃないです。力はそこそこあると思うんですけど、制御出来ないんです」
妖精、獣人、人間にはそれぞれ特殊な能力がある。【見通す力】は妖精が使う……早い話が魔法みたいなものだ。ゲーム中では敵の分析なんかにも使われている能力。
「自分で見通そうと思っているわけじゃなく、自然と流れてくる……だから見たくもない獣人国の未来も見通してしまったんです」
この場を切り抜けるために並べていく、それっぽい嘘。SOSをやり込んでいるからこそ思いつきでも整合性のとれる言葉はいくらでも吐ける。
だって『異世界から転移してきました』とか、『この世界はゲームの世界です』なんて言って誰が信じてくれる?
それならまだ信じられるような嘘をついたほうが相手も納得してくれるはずだ。
「私は人間国にいましたが、人間と獣人は共存できるって信じてます。妖精ともこう、頑張れば……きっと……」
そもそもSOSは【異なる三つの勢力が戦いの果てにゼロになる物語】がキャッチコピーのゲームだった。
だからきっと、戦うことが無意味だと気づいてゼロからスタートするって思っていたのに……まさかの勢力全滅!
メインストーリーは確かに暗かったけど、イベントストーリーはあんなに明るかったのに無慈悲すぎる結末! 夏イベントでは浜辺でたまたま会った人間と獣人が場所取りを掛けて遠泳した面白ストーリーだったのにあれは幻だったの!? 幻ですよね知ってます!! つらい……
「きっと他にも獣人と共存できると信じる人間はいると思うんです。でも獣人国に……共存街に行くのは大変だし、戦争なんて始まった今じゃ身動きが取れないし」
「なるほど。だけどよく迷森暗路を抜けてきたね。共存街が壊滅した今、君みたいな人間が一人で行動するにはあまりにも危険すぎるというのに」
「共存街が、壊滅……」
私は確認するようにその事実を口にしていた。
共存街が壊滅……それに迷森暗路ってことは、この場所って……
「確認なんですけど、停戦要求ってもうやっちゃいました?」
「てめぇらが攻める機会でも探ろうってのか」
痛い痛い! ユエン隊長! ちょっとその鉤爪なんとかして! 爪先食い込んだ! ぐいって皮膚っぽいもの引っ掛けてるよね!?
激しすぎない、でも明らかに痛みを与える冷たくて固い感触に表情が歪んでしまう。
姿が見えないユエン隊長からの威圧が凄まじい……しゃ、喋らせて! お話させてっ! まだ私のターンは終わってないから!
「ユエン、そんな怖い声を出すものじゃないよ。……ゆかり、と言ったね。君は停戦要求のことをなぜ知っているのかな?」
脳内がフル回転してメインストーリーの軸を並べていく。
共存街が壊滅しているのならメインストーリー第三章は越えている。一回目の【大規模戦】で惨敗した結果、第三章では共存街と共に獣人国のチャオ将軍が死んでしまったからね。
初めてのプレイアブルキャラの離脱……だから記憶に刻み込まれている。
それから攻めてくる人間国を寄せ付けないために首都に繋がる橋の一つを落とした。そして迷森暗路と清朗明森の間にある町で人間国と大規模戦闘をしている。これが二回目の【大規模戦】のこと。
結果は第五章……獣人国と人間国から一人ずつ負傷者を出し、獣人国は迷森暗路まで撤退……人間国のさらなる侵入を許した。
『迷森暗路を抜けてきた』って言うのなら、もうそこまでストーリーは進行しているに違いない。
そしてフー将軍が存命しているなら、これは……最終章開始直前っ!
今の状況とストーリーの時間軸が脳内で合致し、私は一人ぐっと拳を握りしめた。
「【見通す力】で見たんです。その停戦要求をきっかけに、獣人国は滅びます!」
陣幕に動揺の声が上がる。
この停戦要求は獣人国から人間国に出したもの。まさかそれが原因で滅亡に導かれるなんて思わないよね。
「停戦要求はしたよ。落ち合う場所も決まっている。君はここで何かが起こると、そう言いたいのかな?」
「端的に言うと、罠を仕掛けられています」
「罠、ねぇ。てめぇの言ってること自体が罠なんだろ」
「っ……」
痛い、とは口に出しては言わない。何かぷつりと切れる音が体を通して聞こえたかもしれないけど気にしてはいけない。
私のターンは……終わってない!
「私の言葉、信じられませんか?」
「……僕も君と同じように、人間とは共存できると信じているよ。でも、見ず知らずの君の言葉を信用するには、僕らと人間たちの関係は冷え切ってしまった」
共存街の壊滅が両国の関係を修復できないものにしているのは分かる。ストーリーで読んだだけでもその凄惨さは伝わってきたぐらいだから。
獣人も人間も容赦なく、非戦闘員も女性も子供も容赦なく……それが人間国のやり方。
「分かりました。なら信じてもらえるようにします!」