第二章 邂逅
「……っ、……っっ!」
「ぅ、うーん……?」
聞き慣れた荒っぽい声が頭の中でぐわんぐわん反響する。
「おいっ!」
「うぎゃっ!?」
抱きしめていたものを突然取り上げられたせいで、横になっていた私の体勢は変な風に崩れた。
こんな乱暴な起こし方するなんてどういうつもりだろう。今は悲しみの海に沈んでいたい気持ちなのに。
…………起こす? 一人暮らしの私が誰に起こされたの?
「起きろ!」
「っ!」
空を切るような音とともにダンッと耳の近くに何かが落ちる。
大きな音と衝撃に私は思わず目を見開いていた。
「だ、誰!?」
「それはこっちのセリフだ!」
光が遮られるぐらい、私に覆いかぶさるそれは大きかった。
そして何よりその姿は……見開いた目をこれでもかってぐらい開かせるほど意外で……
「どう、して……」
しっかりとした骨格と整った筋肉が強調されるボディスーツは青と黒と白の三色で纏められていて、スタイリッシュさがひしひしと伝わる。
胸当ての赤は差し色としては派手すぎるし、そもそもこんな軽装じゃ防御力不足を懸念してしまうけど、これが彼のスタイルにあった最強装備だって私は知っていた。
複数の房が背中辺りまで伸びる髪は白と黒にはっきりと分かれていて、彼の【嘘をつけない性格】を表している……って説明書きで読んだよね。
顔こそ人間だけど、頭には犬耳という人間らしからぬパーツ。歯はぎらりと鋭く尖ってアイスブルーの瞳が私のことを睨みつけている……
「ユエン、隊長」
それが私の推しの名前。そして何故か目の前にいる。
「てめぇどっから入り込んできた!? 返答次第じゃこの首掻っ切る!」
「っ!?」
何か、冷たくて固いものが乱暴に首筋に当てられた。
皮膚を引っ張り上げるような小さな痛みが走り、私は直感的に鉤爪を想像した。
そう……ユエン隊長の武器だ。でも、どうして、なんで、こんなことに……
理解が追いつかない。ここは夢? 現実?
「夢、だよね。だってこんな……あれは、ゲームで……」
「何わけ分かんねぇこと言ってやがる! 人間ごときがよくも入り込んだな!」
「人間、ごとき……?」
ゲームの夢じゃないの? プレイヤーは所属する勢力の種族になるはずだから、獣人だよね? それなのに、私は、人間?
「俺は気が立ってんだ。黙ってんなら……」
逆立つようにうねる髪、ピンと張った尻尾と耳、怒りに満ちた目、人ひとり簡単に噛み殺せそうな尖い歯……
「死ねよ!」
ユエン隊長が、爪に、力を、込めるっ!?
「っ!?」
痛みを覚悟した私だったけど……
「どうかされましたか!?」
「……ちっ」
「ヒンッ!?」
でも、違った。
「びりっときたぁ……」
脳に直接電流を流されたようなビリビリとした刺激が駆け回り、意識が混濁としてくる。
爪で引っ掻かれたような痛みは一切ない。ただ、この、痺れ……
相手にダメージを与えないけど何割かの確率で麻痺させる効果がある特殊技【麻痺爪】……ゲームで見た説明書きが霞む視界の向こうに見え、若干半笑いになりながら、私の意識は数秒しないうちに途絶えた。
*
でもその復帰も早かった! これ、麻痺だもんね、睡眠効果があるわけじゃない。
多分初めての体験だったせいで、私は麻痺を通り越して意識を失ったんだろう。今は意識こそ戻っているけど、まだはっきりとした覚醒には至っていない。
「っ……」
思考も体も微弱な電流が流れ続けているみたいで目を開ける力が出ない。でもたくさんの気配は感じられるし、声のようなものも聞こえる。
「人間が侵入? 見張りが立っていたのに……」
「隠密技でも使ったんじゃねぇのか。けっ! 殺しそこねたぜ」
「ユエン、この軍では非道な扱いを禁じている。分かっているよね?」
「俺だってこんな弱っちい人間、いつもなら相手にしねぇがな、こっちだって気が立ってんだよ!」
「……分かるけどね」
知っている……この声……私の日常を支えてくれた、仲間たちの声……
嫌なこと全部忘れさせてくれる夢のような世界。一緒に戦って、絆を深めて、楽しい交流をして……
メインストーリーでもイベントストーリーでも雰囲気がわちゃわちゃしてて、その感じが好きで……ずっとこれが続くと思っていたのに、あんな悲しいお知らせが……サ終とか、思わないじゃん……滅亡とか、思わないじゃん……うっ、うぇっ、うおーん、うおーん……
「とりあえず麻痺を解こう。彼女の話を聞くべきだ」
「話次第じゃ、俺はこいつを殺すからな」
殺気のこもった殺害予告に不思議と背筋は凍らなかった。
だってずっと一緒にいたんだよ? そんな彼が聞いたこともない声色を出してくれるだけでご褒美でしょ?
「おらよっ!」
「はひっ!?」
両肩を掴まれたかと思うと、そのまま背骨を折るような衝撃が走る!
「いたっ! ……くない?」
弓なりに反るってレベルじゃないほど背中がぐにゃっとなったはずなのに痛みはなく、さっきまであったビリビリとした感覚も消え去ってる。
意識はあったのに身動きどころか目を開けることも声を出すこともできなかった。でも今はまるっとできる。声も視界も体も良好だ。
「大丈夫かな?」
声をかけられて前を見ると……そこには見知った兎。くりりとした真っ黒な瞳と、ふさふさな茶色の毛並み。大きな耳は重力に沿って垂れている。
太くて短い楕円形の眉と、口元から伸びる髭が愛くるしい……見た目が兎そのものっていうのもあるけど、向けられる微笑みが私を和ませる。
漢服がデザインのベースになっているのだろう、その服装は少しゆったりとしており、体のラインがまったく見えないほど全身を覆っている。首までしっかりボタンをとめているのだから隙がない。
顔と手以外は布で覆われているけど、その下に隠された毛並みがしっとりサラサラな艶のあるものだっていうのは、見えている部分から判断できる。触りたい、この体。
私は彼の名を知っている。獣人国の将軍、フー。プレイアブルキャラの一人だ。
「フーに感謝しろ」
そしてゆっくりと後ろを向くと……仁王立ちして私を見下ろす最愛の推しが。
こんな表情、ゲームでは一度も見たことがない。殺意がこめられた憎悪を向けられるというのは、こんなにもゾクゾクとするのか。
……悪くない。推しからの憎悪、全然悪くない。でも可能であれば友好的でお願いしたい!
周囲にはたくさんの獣人がいて、私に視線が集中していた。色々な感情が読み取れるのは、それぞれ人間に対する考えが違うからだろう。
獣人……人間とは違う、別の種族……人間寄りの顔だったり、まさに獣みたいな顔だったりするけど、人間じゃないと明らかに分かるパーツがついているから見た目の判別はつく。
「ちょ、ちょっとだけお待ちください!」
そう言って視界に誰も映らないように、まるで土下座するかのごとく正座のまま額を床に押し付けた。
いつの間にか後ろ手に縛られていたから体勢は苦しかったけど、目の前のありえない状況を物理的に見ないようにするにはこれしかない。
これは夢? それとも……リアルすぎる、やっぱり夢?
困惑する脳内で浮かび上がる、たった一つの確かなこと……
「……サーガオブサイファ」
自然と口にしていたのはサ終を迎えてしまうそのタイトル。
もしかして……私はゲームの世界に来てしまったの!?