珍しくもない話
いわゆる、ネタバラシ要員なのかもしれなかった。
部屋の中、或いは街中で、二人の人間が言葉を交わすありふれた一場面。けれどそのうちの一人の正体というのは幽霊で、死してなお大切な人のそばを離れることができず、生前の思い出をなぞるように語りかける。そんな漫画を、最近はよく目にするようになった。
そんな漫画の結末というのは、二人のうちの生者の方が写真立てに飾られた故人に語りかけるか、もしくは突然現れたネタバラシ要員である第三者のわざとらしい一言で、そこにいる人間が「一人」であることを強調されるというものが主流だ。
今、俺の目の前にいるのは、高校で出来た俺の友達。入学直後の席でたまたま俺の前の席に座っていた男子と、それからそいつの幼馴染みだという女子の二人が、コンビニの近くにある公園で俺を待っている。
そこで完結すればよかった。
公園のブランコで何かを楽しげに話す二人の間に、不自然なほど会話に混ざれていない、お決まりの白いワンピースを着た少女が立っているのだ。どういうことかを理解するより実感する方が早かった、つまり漫画でよく見るあの状況に出会してしまったのだと。
しかし、これまでの人生の中で霊的存在に遭遇したことがないためによく分からないものの、漫画を見る限り、この手の幽霊というものは周囲に害を及ぼす類のものではないことが多い。
この状況をどこから誰が見ているのかは知らないが、少なくともここで彼女の存在を指摘するのが賢い選択とは思えなかった。言いなりになるようで少し癪ではあるものの、彼女のことはスルーしようと心に決め、ざわついた心を落ち着かせるためにアイスを取り出した。トイレを借りたついでにコンビニで買ったものだ。
質の悪いフライパンのようなアスファルトを踏みながら、ブランコに腰かける二人へと歩みを進めていく。するとどうやら予想通り、俺のよく知る声に混じって、俺の知らない声も混じっているようだった。
「そういえば昨日動画で……」
『それでね、ガムで当たりが出てね……』
「見た見た、お前いちいち送ってくるしな」
『ねぇそれ、スマホ? スマホだよね?』
「いちいちって何〜! 共有してあげようと思っただけです〜」
「はいはい余計なお世話〜」
ブランコの間で楽しげに跳ねながらしきりに話かける少女だが、二人が彼女の言葉を拾い上げることはない。しかし虚しくなるような一方通行にもめげることなく、少女が次の話題を振ろうと試みた、そのときだ。
「十五日どうすんの? 九回忌」
『きゅーかいき! かいき、かいき〜、かいきげんしょう!』
「空けとく。年に一回くらい顔出さないとさすがにバチ当たるだろ」
「当てないと思うけどね〜。寂しいからって拗ねそうだけど」
「それが一番面倒なんだよな。さすがに部長も幼馴染みの墓参り蹴ってまで部活来いとは言わねぇよ」
九回忌、幼馴染み、墓参り。
それだけ聞けば、それが今二人の間で飛び跳ねているあの少女のものだと気付くのはさほど難しいことではなかった。
俺たちは今、十六歳。九回忌ということは、七歳のときに亡くなったことになる。そう言われてみれば確かに、少女はそのくらいの見た目をしているような気がした。
彼女がこれまで俺たちの前に姿を現したことはなかったが、彼女はもしかすると、俺が二人と出会うより以前から、こうして聞こえない声を届けようとしていたのかもしれない。
何となく、三人の間に入ってはいけないような気がして、気付かれないよう物陰に身を隠す。声が届かないとしても、それでもせめて自分のことを話す二人の姿くらいは、見せてやろうと思ったのだ。
目を背けるような形で電柱に寄りかかりながら、アイスを齧る。冷たいばかりで味がしなかった。
「九年か〜、早いねぇ」
「あいつが俺たちと同じ制服着てたら、絶対袖余ってただろうな」
『そんなことないよ〜! ちゃんとにんじんも食べたから、大きくなるもん!』
「おじさんとおばさんも背低いもんね。でもちょっと見てみたかったな〜」
さすがにコンビニから出てきたばかりのはずだというのにアイスが半分になっていたら不自然だろうかと思い、食べるのを中断して耳を澄ませてみたが、そうしているうちに溶けてしまいそうだ。溶けて落ちたのだといえば、不自然さもなくなるだろうか。
「だいぶ前だけどさ、あの子と一緒にお祭り行ったとき、あの子だけはぐれちゃって、屋台やってるおっかない顔のおじさんに保護されてたよね。飴までもらって」
『あのおじさん優しかったよ〜! 二人もあのおじさんから飴もらったこと、あったよね! ね!』
「ああ、あったなそんなこと!」
いつまでも終わる気配のない思い出話を聞きながら、もうそろそろ出て行こうかと考えかけたそのとき、噛み合うはずのない会話が、一瞬だけ噛み合った。
思わず隠れることも忘れて後ろを振り返れば、そこには歓喜に打ち震える少女の姿がある。
ほんの偶然、触れる程度に会話が噛み合っただけ。それでも彼女にとってはよほど嬉しい出来事だったのか、その喜びを誰かに共有せんとあちこちに目を巡らせて──俺と、目が合った。
同情、配慮、粋なつもりの計らい。そんなものは最初から不要だったのだと思い知らされるような、そんな目だった。
彼女の心を震わせた歓喜がそのまま光の粒にでもなって溢れてきそうなほど、あまりにも眩しい姿のままそこにあって、俺はそんな彼女から目を逸らし、アスファルトだけを見つめて歩いた。
「皆で必死こいて探し回ったよな」
「あの子が捕まっちゃったってあんた本気で泣いてたっけ」
「あっ、おい捏造すんな!」
「事実で〜す。それでそのあと皆で飴もらってさ……」
「お待たせ」
何事もなかったかのように合流すれば、二人は俺の手のアイスか不自然に減っていることよりも、俺の手にアイスがあること自体に興味を惹かれてくれたようだった。
「おそ〜い! あ、てか何それ、アイス? アイスだ! 一個寄越せ!」
「俺の分しか買ってませ〜ん、食いたきゃ自分で買ってこい」
二人が自分の話を中断し、突然知らない人間が割り込んできても、彼女は相変わらず嬉しそうだった。──喜びを共有できると思った唯一の相手に無視されたことは、少なからずショックだったようであったが。
「…………」
「じゃあお前の金で買ってくるわ。ほら百円!」
「やらねぇ」
「ケチ! じゃあ一口!」
「やらねぇっての。ほら行くぞ」
さっさと二人を立ち上がらせて公園を後にしても、少女が追いかけてくる様子はなく、ただ先程の一瞬を大切そうに抱きしめるように、胸に手を当てたままそこに立っていた。
「聞いて〜、今日学年主任に補習寝てたのバレてさ〜、課題増やされた」
「よくこんなクソ暑い中寝られんな」
「扇風機の微風が心地良くて……」
別に意地悪をしてやろうとか、そんなつもりで目を逸らしたわけではなかったのだ。ただ少し、勝手に同情して勝手に気を遣った自分が馬鹿馬鹿しくなったというだけ。
それでも、陽炎に化かされたままアイスの味が分からないままというのは何となく癪だったから。
「でもほらこれ〜、顧問からチョコもらって……あ、溶けてる」
会話が噛み合う瞬間に狙いを定めて、少しだけ後ろを振り返りながら、不自然なくらい大きい声で言ってみた。
「よかったじゃん」
所詮これも最初と同じ自己満足なのは分かっているが、まだ自覚があるだけマシだと開き直って、顔だけで後ろを振り返る。
そこには、心底嬉しそうな少女の笑顔があって、それを見た瞬間、夏の暑さも忘れるくらいに安堵してしまった。
「何が『よかった』だぁ〜! 溶けたチョコ攻撃を食らえ! そしてアイスを寄越せ!」
「そこの駄菓子屋で買ってこいよ」
「いいなそれ。俺アイスぼた餅食いて〜」
友達と駄弁りながら歩くのは、この街のどこかで、二人にとっての幼馴染みが死んでから九回目の夏の道。
不意に視界に割り込んできたどこかの家の縁側で、胡瓜の馬がこちらを見つめていた。