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八話


 教室に入ると、勇樹くんの机の上に花瓶が置かれていた。私はにこっと笑って机を思いっきり蹴った。花瓶が床に落ちてぱりんと割れた。教室を見渡して「誰がやった?」と言った。教室の空気が凍り付いた。おそるおそるって感じでぎこちない表情で広中くんと西野さんが荷物置きの棚の近くで手をあげた。

「ごめん。あの、その、ふざけてて花瓶倒しちゃって、拭くために……」

「勇樹くん休んでて退けるのに都合よかったから……」

 実際に広中くんと西野さんは雑巾を持っていて棚の上のこぼれた水を拭いていたところらしかった。びば勘違い。「あ、そう」張り切っちゃった自分がなんかアホらしかった。後ろで勇樹くんが「ぷ、くく」と笑いをこらえきれなかった。うおぅ。勇樹にまで笑われた。ロッカーから箒とちりとりを持ってきて割れた花瓶を処理する。広中くんが手伝ってくれる。花の方は水筒のコップで代用する。

勇樹くんのいる教室は最初若干微妙な空気を放っていたけれど、阪田が「おはよ」と言い勇樹くんが「あ、うん。おはよう」とおっかなびっくりに返してからは他の男子も同じように挨拶をして教室の雰囲気は勇樹くんが噛まれる前と近い形に戻っていく。もともと勇樹くんがいる方が当たり前だったのだからそりゃそうだ。チャイムが鳴り、吉武先生が入ってきて勇樹くんを見て、でもなにも言わなかった。(花瓶がないことにも気づかなかった。セーフ) 扇ちゃんの「起立、礼、着席」のあと点呼を取り、どくしょのじかんが始まる。授業が始まってふつうに過ごしてふつうに学校が終わる。私はなんだかうれしくなる。

 このまますべての問題が過ぎ去って何もかもがおだやかに終わってしまうように思えた。

 勇樹くんが最後に職員室に呼び出されていって、出てきた。職員室の前で待っていた私が「なんの用事?」って訊いたら「やっぱり特別支援学級に移らないといけないんだって」と心臓のあたりで右手をぎゅっと握りながら答える。

「体育の時間で日光に長時間耐えられないこととかにふつうの学級だと対応できないからって」

 大人はずるい。ほんとはそんなの、例えば皮膚炎とかの子供に適応される除外規定の対応範囲をちょっと広げたら対応できるのにそれをせずに勇樹くんを追い出す口実に使う。それでなんやかんや文句を言うと「こういう規則だから」の一点張り。ふぁっく。

「それでいいと思うんだ」

 勇樹くんは言う。よくないと私は思う。でも勇樹くんがいいって言うならよくないって意地を張るのは私のエゴでしかない。ホントニソレデイイノカヨと私は言いたいんだけどほんとにそれでいいんだろう。勇樹くんのその優しさとか気の弱さだとかは私を若干やきもきさせる。不安なんだろ? 暴れろよ。叫べよ。机を蹴っ飛ばせよ。嫌なことは嫌だって言えよ。

「美咲ちゃん?」

 勇樹くんが手を伸ばして私の目じりに触れた。涙に触れた。

 逆の手が、か細い勇樹くんの手が私の髪に触れる。

 くそ。最近泣いてばっかりな気がする。これじゃ私が情緒不安定で涙腺の緩い、とりあえず泣いておけばいいと思ってる馬鹿女みたいじゃないか。

 山本先生が歩いてきて「ああ、勇樹くん」と声をかけてきた。「え、あ、はい?」小首を傾げながら勇樹くんが振り返る。「特別支援学級の教室を見ていかないかい?」、「は、はい。じゃあ」ちらりと私を見る。一緒に来てほしそう。行こうかな。「美咲ちゃん」職員室から吉武先生が私を呼んだ。「ちょっときて」ちっ。仕方なく勇樹くんは特別支援学級へ。私は職員室に入る。

 何人かの先生がせわしなく仕事してるのを横目に私は吉武先生の机へ向かう。

「なんですか」

「机蹴っ飛ばして花瓶割ったんですって?」

「ぎゃあ」

 バレたか。密告者は誰だ? いや、ちりとりからゴミ箱にゴミを移したら花瓶の欠片がごろごろ出てきたらそりゃ気づくか。

「割っちゃったものは仕方ないけどきちんと報告してね。問題があるのがわからないというのが一番困るのよ。破片で怪我しちゃったら困るでしょう?」

「すみません」

「わかってくれるならいいんだけれど」

 吉武先生は一つ大きなため息を吐く。

「勇樹くんのこと、教室移るの、決まってたんですね」

「ええ」

 短い答え。有無を言わさない響き。

「その方が勇樹くんにとってもいいと思うの」

「そーですか」

 納得はいかなかったが、先生を責めてもなんも変わらないんだろうから文句を言うのもバカらしかった。あんまり保護者と私の板挟みにしてやるのもかわいそうかもしれない。……というほど私の影響力は大きくないんだろうけど。

 代わりに一つ訊いてみる。

「先生、月曜日ってなにしてましたか?」

「月曜日? ええと、今週は……」

「そうじゃなくて、勇樹くんが噛まれた日」

「っていうと、勇樹くんが学校に来たのが先週で休みだしたのがその前だから、先々週かしら? その日は、ごめんなさい。詳しく覚えてはないわね」

 そりゃそうだ。

 特になんの変哲もない二週間前の月曜日の放課後のことを事細かに覚えてる人は多くないだろう。先生はちょっと首を捻って「なんでそんなこと聞きたいの?」と言う。「犯人捜し」私は答える。「あぶないからやめなさい。そんなことしなくとも警察の人がちゃんとしてくれますから」先生は眉間に皺を寄せて私を窘めた。「はぁい」私は答えながら内心で舌を出す。べー、だ。私は世界中探しても私しか私にとって頼りにならないことをちゃんと知っている。

先生はまたちょっと首を捻って「そういえば気になってるっちゃ気になってることはあるのよね」と言った。

「なんですか」

「あのね、わたし、学年主任の湊先生と教頭先生にしか勇樹くんのこと相談してなかったのよ」

 不思議そうな顔をする。


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