六話
うちに帰って、やっぱり険悪な雰囲気のお父さんと私と、その間でおろおろしてて私が折れた方が軋轢が少ないから私を折ろうとするお母さんのぎくしゃくした空気を、まるきり無視してご飯を食べたあと部屋に引っ込む。宿題やったあとで勇樹くんを誘って通話しながらゲームをはじめる。昔は「通信ケーブル」とやらがないと一緒に遊べなかったんだって?(1990年代のこと。私にはそれは少なくとも100年は前の出来事に思える) お父さんやお母さんは随分不便な時代に生まれたもんだ。空間を超えるWi-Fi先生のパワーで私は勇樹くんと繋がれる。
「そういえば勇樹くんよ、あんた昼間ってなにしてるの」
「カウンセリング行ったり、おじさんと話したり、警察の人と話したり、いろいろ」
ふうん。「おじさんってのはあのヴァンパイア協会の?」、「そう」、「一緒にこないかって?」、「うん。言われてる」ほお。「行くの?」、「迷ってる。その、ゴミ投げ入れられたりとか、お母さん大変そうで」まあご近所さんにもろな悪意向けられて大丈夫なような面の皮の厚い人じゃなさそう。おばさんはどっちかいうとのほほんとしててメンタル弱いイメージがある。いまは大丈夫そうでもそのうちストレスに耐え切れなくて崩壊しそうなイメージがある。
「どうすればいいと思う?」
訊かれて、ちょっと返答に困る。
1、何事もなかったように平然と学校にいく。
2、特別支援学級に移る。
3、おじさんについていく。
私としての希望は1だ。ふつうに学校でも勇樹くんと遊びたい。ぎりぎりで2。これならば少なくとも私の手元にいる。まあOK。最悪なのは3。電車乗って勇樹くんのところに何回も遊びに行く財力は私にはない。物理的な距離が開くのは厳しい。私はおっさんに勇樹くんを渡したくない。ううむ。
「私は、前みたいに一緒に学校行きたいな」
「うん」
僕もそうだけど、でも恐い。というのをその低い声の“うん”のトーンだけで表現される。
私としてはずーっとそしらぬ顔して学校かよってやったらあいつらだって慣れるというか飽きるんじゃないかなと思うんだけど。というか私が勇樹くんの立場ならばそういった強硬策に出るのだがどーだろーか。それをやるには勇樹くんのメンタルは弱すぎるのか。
でもちょっとメンタル弱かったからってそれは勇樹くんのせいじゃなくて勇樹くんにストレスを与えるやつらのせいなのだと思うのです。ふぁっく。
なんでこの国って「加害者」じゃなくて「被害者」に責任おっかぶせて臭いものに蓋するみたいに追い出す傾向にあるんだろうね? いや、外国でどうなのかとかまったく知らんがな!
よし。とりあえず一回はっきりさせておこうと思う。
「ねえ、勇樹」
「ん?」
私は勇樹の味方だ。無条件の。全面的な。
利己的な欲求に基づいての味方だ。
それはつまり。
「好きだよ」
てことだ。
通話越しの勇樹が照れたのがわかった。
翌日の学校で放課後に「あのさ、飯島」アホの阪田が話しかけてきた。あん? 私は自分の席から顔をあげて阪田を見る。阪田がちょっと視線を逸らしながら頬を掻く。
「俺ら、ひどいことしたかもしれないけど別に勇樹を追い出したかったわけじゃないんだよ。あいつ、ほら、なんていうかさ、いじめやすいじゃん」
わからんでもない。
私もよくゲーム内で爆殺したり、落とし穴にハメている。
なんていうか、リアクションがいいのだ。
打てば響くのだ。涙目がかわいいのだ。
妙に嗜虐心を煽る部分が勇樹くんにはある。
「やりすぎたとは思ってるんだ。その、勇樹がこのまま出てったらヤだなと思ってる」
そうか。
「えっと、それだけ。じゃあ」
阪田が自分の席に戻っていく。帰る支度をしている。
私は扇ちゃんに顔を向ける。
「なんだろ、いまの」
「なんだろねー?」
扇ちゃんが上品な委員長スマイルでくすくす笑う。私はなんだか置いてけぼりにされた気分になる。「男の子ってクラスメイトくらいの女の子の下の名前ってなかなか覚えてないもんだと思うよー」と扇ちゃんが言う。んん? 前に“美咲さんまじ美人。超かわいい”って言わせた件のことか。そういえば私、阪田の下の名前なんか別に覚えてないな。
「さて、問題です。私のフルネームは?」
「扇頌子」
頌の字には“ほめる”、“たたえる”、また「褒め称える歌」という意味があるらしい。
ステキな名前だなと思った。
「せいかーい」
扇ちゃんが私に飛びつく。ふっふっふ。眼鏡っこ委員長に抱き着かれる立ち位置はこのクラスでは私のもんだぜ。うやらましいか。野郎ども。
さて。
帰り際になにげなく中庭に視線をやると車いすが日向ぼっこしていた。安藤くんだ。目を閉じて車いすの横の部分に肘を立てて頬杖をついて目を閉じている。まどろんでいる。しばらく眺めてたら目をぱっちり開いて私を見つけて小さく手を振ってきた。なんとなく見てた手前、手を振り返して近くにいってみる。
近くで見ると、安藤くんの顔の精巧さにびっくりする。人形みたいなキレイな顔をした、片足の男の子。私が好きなのはあくまで勇樹くんだが安藤くんの顔のキレイさはそれとは別の部分を刺激するものがある。テレビでタレントの顔見てるのと同じ感じがする。
「やあ、飯島さん」
「おっす」
私が安藤くんの隣の地面にぺたっと座ると、安藤くんが微笑んで「それいいね」と言って、車いすから立ち上がってちょっと歩いて(右足をつくときに不自然に体が沈んだ)、私の隣に尻を下ろした。立ってると私が高くて座ってると低くなるからきちんと視線があわない安藤くんの目が、同じ高さで私を見つめる。
「歩けるんだね」
「少しならね。人間、頑張れば大抵のことはできるようになる。もちろん例外はあるけれど」
そんなもんなのか。足を取り外されてしまった安藤くんの苦労は私よりずっと多くて、それは安藤くんを形成するなんとなく浮世離れした子供らしくない雰囲気に一役買ったんだろう。別に興味はなかったのでそのことはぽいっと放り投げる。
不意に安藤くんが「ちょっと動かないで」と言った。
「へ?」
安藤くんの手が私の背中に伸びる。なんだ? と思ったら、背中に触れて(ひゃっ)ぺりっとなにかを剥がした。私に見せる。それはノートの1ページだった。大きく「くそビッチ」と書かれていた。セロハンテープの切れ端がひっついている。どうやら私の背中にはっつけられていたらしい。
「わお」
攻撃が目に見える形をとってきた。
ようやっと。というべきかもしれない。
「きみたちも案外大変なんだね」
安藤くんがくすくす笑う。
その整った顔で笑われるとなんか落ち着かない気分になる。
「阪田かな」
あの野郎、殊勝なこと抜かしながら。と怒りを燃やしてたら「そいつ、女の子?」安藤くんが訊いてくる。「いや」、「じゃあ違うんじゃないかな」、「なんで?」、「男の子は女の子に“くそビッチ”って言葉はなかなか使わないと思うよ。積極的に関わってくる女の子の方が好ましいから」そうかもしれない。“くそビッチ”。私に振られた男が使うなら理解できなくもないが、別に男の子にそういうことを言われた経験はいまのところない。だったら女が女を罵るときに使う言葉な気はする。
「言い方が気になるね、くそビッチ、男の子の関連で君に恨みがあるのかな」
「男の子関連」
というと、勇樹くんか? 意外。
クラス内で不和を招いていることへの制裁とかそんな感じじゃないのか。
「ふうん」
なんか気が抜けてしまった。私が勇樹くんを手中に収めている以上、その点において私は圧倒的勝者であっちは圧倒的敗北者なのだ。ざまぁ。としか言いようがない。せいぜい憐れみをくれてやるくらいのものだ。
「飯島さん、クラスで浮いてるの?」
「ちょっとだけ。三センチくらい」
私はダミ声で「ぼくサキえもん」と言った。ポケットの中に入っていたハンカチを取り出す。掲げる。安藤くんが冷めた目で私を見た。滑った。せつなかった。こほんと小さく咳払いして「ヴァンパイアになっちゃった男の子——勇樹くんって言うんだけど――を庇ったら微妙な空気になってる」言い直す。
「へえ」
安藤くんは“人間ってのはバカなことやるもんだなぁ”みたいな目をして薄ら笑いを浮かべる。
「勇樹くんって言うんだね」
「結局うちのクラスからいなくなっちゃうのかなぁ」
「というか、こっちでも受け入れられないかもしれない。もしかしたら」
「え」
「僕は別にいいけど。僕らの方の親って結構神経質なことが多いんだよ」
「ぎゃあ」
じゃあやっぱり転校になるのか。
おっさんの斡旋する専門の学校にいくみたいなことになっちゃうんだろうか。
ヤだなぁ。
「そういえば勇樹のことって噂程度にはなってるんだよね?」
「うん。でも名前はいまはじめて知ったよ」
じゃあ少年が窓辺から飛び立ち事件が目撃多数でそれが有名になったのか。名前が広まってないところを見るとうちのクラスの子達は、積極的に噂を広めることには加担していないらしい。へえ、いいとこあるじゃん。……私、ナチュラルにやらかしてない?
「んと、じゃあ勝手に話しといて悪いんだけど」
「ああ、僕も別に誰にも言わないよ。そもそもそんなに友達いないし」
そうなのか。まあ時々冷笑主義者的な側面が垣間見えるし、安藤くんは私が思うよりも付き合いにくいやつなのかもしれない。
それからしばらくだらだらとクラスのこととか先生のこととかを話した。「吉武先生ってどんな人?」、「悪いやつじゃないと思うけど、よくわかんない。そっちの山本って先生は?」、「あかるい人だよ。生徒のことをよく見てる。けどあんまり社交的じゃないね。職員室じゃ浮いてるんじゃないかな」、「え、どうしてそんなことわかるの」、「先生が僕を見てる程度には僕も先生のことを見てるんだよ」私の顔を覗き込んだ安藤くんの目はなんかいろんなことを見透かされそうでちょっと怖い。こっちが覗き込んでも奥が深くてとても見透かせそうにない。深淵が私を覗いている。「えいっ」私は安藤くんを目潰しした。こう、中指と人差し指をにょきっと突き出した。「うおっ」安藤くんが驚いて仰け反って指を避ける。
「照れるからあまり見るでない。女子の顔をまじまじと見つめるとかぶしつけであるぞ?」
「ごめんごめん」
私は立ち上がってぱんぱんっとお尻を払った。
安藤くんが校舎に手をついて立ち上がろうとするのに手を貸すために左手を差し向けたけど「大丈夫」と言って、安藤くんは一人で右足をぐにってやりながら車いすに戻る。
「一人で出来ることはなるたけ一人でやるようにしてるんだ」
「なるほど」
私たちは子供だ。
だからって助けられることが当たり前になってはいけない。かといって自分の力はまだ小さくてまったく助けられないでいくこともできないので、適度に他人の力を借りて行こう。ぃよし。
「んじゃ、私は帰るぜ。またな、安藤」
「うん。またね、飯島さん」