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四話


 夜が更けてきてずっと勇樹の傍にいるわけにもいかなくて私はとぼとぼと自分のうちに帰る。そしたらお父さんとお母さんが揃って私を待っててお父さんが「こっちにきなさい」と言う。なんだよ? 私がリビングで自分の定位置の椅子に座ってお父さんと視線をあわせる。髪が短くて眼鏡で眉毛が太くて仕事着から着替えてもどっかの会社の上司って感じの威圧感がある私のお父さんがその威圧感をそのまま私に向けて「どこに行ってたんだ」訊いてくる。私はばかばかしくなる。「勇樹くんち」、「もうあそこに行くのはやめなさい」はぁ? 「なんで?」、「だってあそこのお子さん、ヴァンパイアになったんだろう」、「だからなにさ」、「もしもうつったら大変なことになる」そうだね。もしもうつったら大変なことになるね。私は台所に行って包丁を持ってきた。テーブルの上に置く。

「もしもこれでお父さんを刺したら大変なことになるよね?」

「関係ない話はやめろ」

「関係なくない!」

 私は叫ぶ。激昂する。

「私がお父さん刺すような人間だと思ってんのか? 勇樹くんが私をかむような人間だと思ってるのか!?」

「人間じゃない。ヴァンパイアだ」

 お父さんが冷徹な声で言う。罪人を裁くみたいな声だった。ちょっと待ってよ。勇樹がなにかしたか? 人を傷つけたのか? あいつはただ“噛まれた”だけじゃん? 過失って言ったら学校から家までの道を一人でてくてく歩いてただけじゃん。そんな扱い絶対おかしいよ。

「あのね、美咲、ご近所の目もあるから、あそこに出入りするのは控えてくれないかしら? 別に仲良くするのが悪いって言ってるわけじゃないのよ。ただあなたのことが心配なのよ」

「わかんない。なに言ってるのか全然わからない」

「聞き分けなさい」

「嫌だ。お父さんとお母さんが間違ってる。私は正しい」

 ばちん。目の中で火花が跳ねた。首が捩じれた。……殴ったな? 理屈で説き伏せられないからって娘のほっぺた叩いたな? その手だけであたしの顔くらい平気である大きな大人の手で私の頬を張ったな? 「死ね」私はぽつりと呟いた。テーブルの上の包丁を取って、自分の部屋に向けて歩く。

「待ちなさい、話しはまだ」

 手を伸ばそうとした父親に向けて包丁を振った。ひゅん。ちっ、当たらなかった。お父さんが怯んだ。

「叩いて話しを終わらせたのはそっちじゃんか」

 それともなにか? おまえらにとって話し合いってのは“自分の主張を一方的に押し付けるだけ”のことであってこっちの主張に声を傾ける必要はまったくないと? それってただの命令じゃないの。少なくとも“話し”とは別のものじゃないの。

 私はそのまま部屋にカギをかけて引き篭もる。ははっ。“私がお父さん刺すような人間だと思ってんのか?”だってよ。さっきの私にいまの私を見せてやりたいところだ。私はお父さん刺すような人間だったよ。ふぁっく。それからベッドの上でしくしく泣いた。

 お父さんは私を捕まえて捻じ伏せて包丁を取り上げるべきだったのだ。所詮小学二年生だ。多少傷はつけれてもそんな大怪我はさせれないだろう。お父さんが私にどうしてもヴァンパイアと付き合っていくのが世間体に悪いし危険だしダメで私のためにならないっていうなら包丁くらいで怯まずにそれを突き通すべきだったのだ。自分が強いときだけ暴力で言う事を聞かせずに刃物持ち出した娘の暴力に立ち向かうべきだったのだ。お父さんが考えるお父さんなりの正当性を示すべきだったのだ。でもお父さんは自分がちょっとでも危険になるとすぐに身を翻してなにも言わなくなった。クソだ。あいつらは全部クソだ。私は正しい。私は間違ってない。噛まれただけの勇樹くんをみんなしていじめるなんて絶対に間違っている。なのにあいつらにはそれがわからない。どうしてなんだろう。なんでみんなあんなに雑魚で臆病で脆弱な勇樹くんが自分たちに噛みついて自分たちをヴァンパイアにするなんて妄想に憑りつかれてるんだろうか。私にはさっぱりわけがわからない。



 翌朝。お父さんがなにか言おうとして私と目があって、結局なにも言わずにクチを閉じる。私の目の中に浮かんだ憎しみに怯む。クソだ。と、私はもう一度思う。支度を終えて家を出て学校にいく。

 勇樹くんがこないまま朝のホームルームが始まる。先生が「勇樹くんのことなんだけど」話し始める。「勇樹くんに特別支援学級に移ってもらいたいという人は手をあげてください」半数くらいの挙手。私は手を挙げなかった。地獄みたいな教室だなと思った。唯一救いに見えたのは扇ちゃんが手を挙げなかったことくらいだった。どうでもいいけど阪田と北島も手を挙げていなかった。

「みなさんの意見はよくわかりました。ヴァンパイアと人間の共存はとても難しいことです。みなさんの意見を尊重して、」

「自分たち教師は差別していないけれど、私達からこういう意見があったから勇樹くんを教室から追い出すってことですか?」

 私は大きな声を出した。

「そうではありません。ただ保護者の方々からの意見がたくさん寄せられていて」

「おまえらって子供守るためにいるんじゃないの? 勇樹くん守ってくれないの」

「勇樹くんもみんなも、お父さんお母さん方からお預かりしている大切な子供です。勇樹くんにとっても特別支援学級に移ることは悪いことではありません。勇樹くんは、その、少し変わってしまったから」

「変わったのはおまえらが勇樹くんを見る目だけじゃないの?」

「……」

「勇樹は何も変わってないよ。馬鹿で臆病で頓馬で間抜けで優しいだけだよ。違う? あいつ、みんなに脱げ脱げって言われて恥かかされてもみんなのこと傷つけなかったよ。あんなこと言われたら私だったらみんなのことボコボコにしてたよ。でも勇樹は空飛んで逃げただけだよ? 違う? 私なにか間違ったこと言ってる?」

「美咲ちゃん」

 先生が聞き分けのない子供を見る目で私を見た。クラスのみんなも同じ目で私を見る。世界に正しいのは私一人しかいないのに誰もそれに気づかない。あんなに人畜無害でバカな勇樹を危険物みたいに扱うことのアホらしさについて誰も気づかない。ここにはアホしかいない。アホしかいないんだ。

 なのになぜか聞き分けのない子供は私の方で世間的にアホなのは私の方で、勇樹くんは危険物で教室から追い出されてしまう。そんなの絶対おかしいのに誰もわかってくれない。

「ばか」

私は叫ぶ。でも私の叫びは誰にも届かない。誰の心も揺らさない。

吉武先生が「一時間目は自習にします。美咲ちゃん、これからちょっと一緒に来てください」と言う。私はしぶしぶ先生と一緒に教室を出る。

 先生は階段を降りて一階の隅のほうへ私を連れていく。「特別支援学級」と本来何年何組と書いてあるプレートの部分に書いてある。先生が振り返って、すっと屈みこんで私と視線をあわせる。眼鏡を外す。真剣な目がまっすぐ私を見る。

「あのね、美咲ちゃん。私だって突然教室を変えると言うのは随分強引でひどいやり方なんじゃないかなとは思ってるの」

だったら、なんでだよ。

「でもね、勇樹くんが優しくて思いやりのある素敵な男の子だって、私や美咲ちゃんがわかっていてもみんなのお父さんやお母さんにはなかなか分かってもらえないのよ。だってクラスの中ですら、勇樹くんのことをどう思ってるかはみんなまちまちでしょう? だから学校としてはこういうやり方しかできないのよ」

「……」

「それにここだって別に悪い場所じゃないわ」

 先生が立ち上がって、特別支援学級のドアを開ける。

「山本先生、こんにちは」

 初老くらいの優しい顔をした先生が吉武先生と私を見て皺の寄った顔で微笑んで「ああ、吉武先生。こんにちは。どうなさいました?」と言った。

「ちょっとこの子に、ここのことを見せたいと思いまして」

「そうですか」山本先生はちょっと視線をさげて私に見て「こんにちは、山本です。きみの名前を教えてもらえるかな?」と言った。「飯島美咲です」私はちょっと拗ねたままの口調で答える。

「飯島さん、いらっしゃい。さあ、どうぞなかへ」

 そこには男の子が四人と女の子が一人いる。落ち着きなく体をゆすってたり、不安そうな目で私を見つめていたり、逆に自分の手元にしか見てなくて私に興味がなかったりする。男の子の一人が車椅子の上から感じのよさそうな顔でにこっと笑った。私は吉武先生と彼らの授業風景を少し眺める。やってるのは算数なのだけど、突然男の子がノートになにかを書き始める。まったく授業とは関係のないなにか。山本先生がそれをやわらかく咎めるとぐずりだして指導を拒否する。山本先生が粘り強く、でも怒ったりはせずに説得して算数のプリントに戻る。授業が終わって男の子たちがひそひそと話している。

私には吉武先生のやりたいことは別に伝わらなかったけど言いたいことはわかった。“そんなに変わらない”、授業の内容とか。ここにいる人はちょっと個性的かもしれないけれど他人を傷つけない勇樹くんなら多分仲良くなれる。彼らのことは私にはまだちょっとわからないが、もしかしたらうちのクラスの無節操で他人に興味津々で勇樹くんに「脱げ」コールしちゃったりする「健常者」共よりもずっとずーっとまともかもしれない。少なくとも大人数で囲んでなにかすることはない。だってここには五人しかいないんだから。なるほどな?

車椅子の男の子が近づいてきて感じのいい顔でニコっと笑う。不思議な雰囲気のある子供だった。年上だ。ズボンの右の裾から肌色に塗られたプラスチックに靴と靴下が被せられている。右足が義足。「その子は?」私の身体をさっと見渡して少なくとも身体的な何かでここにきたわけではないということを見て取って言う。私の愛想のない視線を受けて「はぁ」とため息を吐く。「教材扱いされるのは不愉快だな」……そうかもしれない。「ごめん」謝っておく。

「きみが謝ることじゃないよ。僕は吉武先生に不愉快だって言ってるんだ」

「そうね、安藤くん。ごめんなさい」

「まあわざわざ連れてきたってことは君が例のヴァンパイアかい?」

「違う。それは私の友達。心配で」

「ふうん」

 安藤くんはちょっと皮肉気に口元を歪めて「なるようになってみないとわからない。なにも保証はできないけれど、ここに来るんならその子はクラスメイトだ。仲良くできるようにがんばってみるよ」と言った。私は頷く。私たちのクラスにだって転校生とかいきなり来たら“できれば仲良くなりたいな”くらいには思うけど仲良くできる保証はない。すっごく嫌なやつかもしれないし、馬が合わないかもしんない。そういうことだ。

 人間とヴァンパイアの間だけじゃなくて人間と人間の間にもいろいろある。

 山本先生がやってきて「大丈夫。勇樹くんはきっとここでもうまくやれますよ」といって私の頭を撫でた。ぺしんと私はその手を払った。吉武先生がちょっと首を傾げる。休み時間が終わりかけで私は吉武先生と一緒に特別支援学級を出て教室に戻る。

 吉武先生は(わかってくれたかしら?)みたいな目でちらちらと私を見る。でもやっぱり私はこんな急な形で勇樹くんと別々の教室で授業受けるのはちょっと嫌だなと思う。クラス替えとかだったら仕方ないと割り切れなくもないんだけど。



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