二話
吸血鬼 (きゅうけつき、英 vampire):神話や民間伝承などに登場する架空の生物とされていたが、十九世紀初頭に実在が確認された。血を吸い栄養源とする。寿命は百年~百五十年だが千年以上生きる個体もあるとされている。犬歯から分泌される体液を注入することで人間を吸血鬼に感染させることができるが実は感染力は非常に弱く罹患する人間は少ない。噛まれた場合はすぐに傷口を流水でよく洗い消毒薬などで殺菌し病院へ。 (Wikipediaより抜粋)
勇樹はしばらくの間、自分が突然ヴァンパイアになってしまってどれだけ辛かったかを滔々と話していた。なんでも学校の帰り道で突然大人の男の人に首筋をかまれたのだと言う。それでなんとかうちに帰ったんだけど気分が悪くて気絶するように寝てしまって起きたらこんなになってて、他の人に移しちゃったら嫌だしこんな姿見られたら嫌われそうだしで部屋に引きこもってたんだそうだ。ちょっとくらいお風呂に入らなくても平気でトイレにもいかなくて大丈夫だったらしい。それでおばさんまで遠ざけてたんだそうで、私が窓割って入ってきたときにも姿を見られて嫌われるのが怖かったらしい。ふーん、へー。私は勇樹くんの話に全然まったく興味がなかったけれど一応聞いてやる。私にとって大事なのは勇樹くんが私を部屋に入れようとしなかったという一点だけなのだ。勇樹のくせになまいきだ。
おばさんが割れた窓ガラスを見て「あらあらまあまあ。あーそうか、そうすればよかったのねえ」とボケてるんだか感心してるんだかわからない感想を呟いてるときに私は「もうちょっとしたら鍵開けるので、しばらく二人で話させてください」と窓の外に向けて言う。
「うーん、ゆうきー、それでいいのー?」
のほほんとした声で窓越しにおばさんが尋ねる。
勇樹くんは隣で「それでいいっていえ」と圧力をかけている私に負けて「う、うん!」と返事。よくできました。
「わかったわー。じゃあ一時間したら、ガラスの修理のこともあるし声かけるわねー」
ちょっとネジが外れてるんじゃねーのと思うおばさんが窓の傍から遠ざかっていく。
とりあえず私はゲームアプリを立ち上げて勇樹くんと遊ぶ。遊びながら話しかける。
「学校もういかないの?」
「行きたくない」
「ふうん」
でも私は勇樹くんいないとつまんないからクビに縄つけて引きずって行ってやると思う。
しばらく遊んだあとで「それ、引っ張っていい?」私は勇樹くんの背中に生えた皮膜の張った黒い羽を指さす。「え、ええ?」戸惑ってる勇樹くんの背中に回って羽をいじくりまわす。硬い。骨が通っている。皮膜は勇樹くんの皮膚とそんなに変わらなさそう。思いっきりパンチしたら破れるかもしれない。破ってみたい。「ふ、ひゅ」くすぐったそうに勇樹くんが身を捩る。「うおりゃあ」私は羽を引っこ抜こうとした。「いっ、いたいいたいいたい」羽は抜けなかった。勇樹くんが痛がっただけだった。ふむ。勇樹くんがコスプレに目覚めた可能性を考えたのだけど別にそういうわけではないらしい。ほんとに生えてるんだ。うわー、おもしろーい。次に私は勇樹くんの正面に回って顔を覗き込む。「クチあけて」涙目で首をふりふりする勇樹くんのクチに手を突っ込んで無理矢理開けさせる。うわー、牙だ。犬歯が他の歯に比べて一回りくらい大きくなって尖っている。触ってみる。「はふなひよ」危ないよ? と言ってるらしい。舌先が指に触れる。
こんこんこん、と部屋のドアがノック。私は勇樹くんの口から手を離す。
「そろそろいいかしらー?」
おばさんの声。
私は一応勇樹くんに「開けるよ」と確認をとってやる。怯えたままでぎこちなく勇樹くんが頷く。私はベッドから這い出してドアを開ける。ジュースとちょっとしたお菓子を載せたお盆を持ったお母さんが勇樹くんの部屋に入ってきて、翼と牙の生えた勇樹くんを見て「あらあらまあまあ、どうしましょう?」と言う。このおばさん、ぼけてんなと私は思う。
おばさんはお盆を小さなテーブルの上に置いたあとで私同様みょうちくりんなコスプレの可能性を疑って羽に触れる。「引っ張ってみてもいいかしら?」考えること一緒かよ。
「うーん、どこからどうみてもヴァンパイアねえ」
実にご立派などこにだしても恥ずかしくないヴァンパイアだ。
「とりあえず検査してもらいましょうか。病院いってみよう?」
おばさんが「美咲ちゃん、これから勇樹を連れてくから」帰れと促すのを「一緒に行っていいです?」と割り込んでみる。「うーん、勇樹がいいならいいけど」おばさんが勇樹の顔色をうかがうと勇樹は私の手をぎゅっと握る。不安がっている。「そうね、来てもらいましょうか。ありがとね」どうでもいいけどありがとね、の裏側に(ガラス割ったのはやりすぎよ)の副音声が聞こえました。……ガラス窓って幾らくらいするんだ?(調べてみると約10000~15000円。後日、親に死ぬほど怒られました。一時のテンションに身を任せてはいけません、とほほ)
上着くらいじゃ羽を隠せそうになかったので勇樹くんを毛布でくるんで車に乗って病院へ。受付を済ませてジジババの溢れる待合室でスマホゲームやろうとしたら「病院ではやっちゃダメだよ」と勇樹くんが言うので仕方なくスマホの電源を落として備え付けてあった漫画を手に取る。勇樹くんが毛布の前をおさえながら私の手元を覗き込む。なぜ病院においてある漫画が「修羅の門」なのか私にはわからない。(陸奥圓明流、虎砲。私は勇樹くんをパンチした)まあ特に理由はないんだろう。どうでもいいけれど昨今の病院の精密機器がスマホの電波ごときでどうにかなるやわなつくりをしているとは思えないし、もしも悪意を持ってスマホ的なものから電波を放射して病院の危機を狂わせる人間を警戒するならば逆にもっと厳重な警備が必要だと思うのだけどどうなんだだろう? 何が言いたいかというと現代っ子の私は、病院でゲームがやりたい。やらせろ。
そのうち勇樹くんの名前が呼ばれて、おばさんと私はそれに引っ付いていく。
扉がしっかり締まってることを確認してから勇樹くんが毛布を取る。医者のおじいさんがその姿に驚く。しばらく黙りこむ。「どうでしょう?」おばさんが医者になんか言えよと促す。
「ええと、その、」
あまりに堂々とヴァンパイアな勇樹くんにびっくりしてお医者さんはマスクの下のクチをもごもごさせる。私は直感する。こいつ、たぶん役に立たないぞ? その医者は勇樹くんの喉を覗いて胸の音を聞いたあと、レントゲンとか血液検査とかで引っ張りまわしたけれどやっぱり実のあることはなにも言えずに「検査結果が出たら連絡いたしますので」とだけクチをもごもご動かす。
「やっぱり栄養のあるもの食べさせた方がいいんでしょうか。あと安静にしてた方がよかったり?」
医者があまりにも実のあることを言わないのでおばさんの方から尋ねる。
「え、ああ、そうですね。安静にするように」
こいつ適当言ってやがるな。というのをおばさんも私も感じ取る。こんなので金取れるんだから医者って実はぼろいのでは? まあケースバイケースで普段はちゃんと仕事してるんだろう。ヴァンパイアを診るのがはじめてだっただけなのだきっと。症例少ない病気きたら役に立つんか、あいつ。とりあえず勇樹くんへの扱いが悪かったから私の好感度は最悪だった。
結局なにもわからなくてもう一回毛布でくるんだ勇樹くんを車に乗せてうちに帰るしかなかった。途中でスーパーに寄っておばさんが私と勇樹くんにアイスを買ってくれた。バニラアイスを舐める私の隣で勇樹くんは微妙な顔をしている。「どうしたの?」、「あんまり美味しくない……」、「舐める?」私はさっきガラスで切った腕を突き出す。勇樹くんが私の傷口を舐める。おばさんがバックミラー越しにその様子を複雑そうな顔で見ている。
それはともかく私は勇樹くんのアイスを横取りする。